第40話 身も心も、全て捧げるつもりでいるんです!
セヴェリの部屋は、静謐さを保っていた。
大きなソファの上で彼に強く抱き締められたまま、サビーナは目を瞑っている。
セヴェリもサビーナも、そのまましばらく動こうとはしなかった。
彼は、人の温かみに飢えていたのかもしれない。
婚約者に裏切られ、腹心に彼女を奪われ、その痛みや苦しみを周りに悟られぬよう、強く自分を保っていたのだろう。
誰にも愚痴や泣き言も言えぬ中、セヴェリはきっと一人悲しみに暮れていたに違いない。
もっと早く、こうしていれば良かった……
サビーナは後悔しながらセヴェリをギュッと抱き締め返した。
彼が文句を言える相手は、サビーナ以外に誰もいなかったのだから。
どれだけの時間を静寂が支配していたのか。
セヴェリがようやく細い声を上げる。
「すみません……あなたの気持ちも考えずにこんなことを」
「いいえ。私にできることがあれば、なんでも致します。だから……なんでも仰ってください」
「……なんでも?」
耳元でそう囁かれた後、セヴェリはゆっくりとサビーナの抱擁を解いた。
そして困ったような……しかし冷涼な瞳で次の言葉を紡ぎ始める。
「なんでも……などと、軽々しく言うものではありませんよ」
「いえ、決して軽々しくなど……!」
「言ったでしょう。私は腹黒で、底意地の悪い人間なのですよ」
「そんなことはありません! セヴェリ様はお優しくて思いやりのある、素晴らしい方で」
「買い被りです!」
言葉を乗せるようにそう言ったかと思うと、セヴェリに肩を掴まれてグンッと強く押し出された。体は自然と後方に倒れ、ソファの上へと倒れ込む。
なにがあったか理解できずに見上げると、そこには苦しそうなセヴェリの顔があった。
「セヴェリ……様……?」
「わかりますか?! 私のしようとしていることが……私の考えていることがっ」
「なに、を……」
わからなかった。ただそう言いながら悲しみに押し潰されそうになっている顔を見て、彼が苦しんでいることだけは伝わってくる。
「ここであなたを犯せば、妹思いのリックバルドに復讐ができると……そう考えているんですよ。彼の嫌がることなら、なんでもしたい気分です」
肩に置かれてある手が、さらに力を増した。
残念ながらサビーナを手篭めにしたところで、リックバルドは痛くも痒くもないだろう。
でも、それでも。
それでセヴェリの気が、少しでも晴れるのなら。
サビーナは哀れなセヴェリに目を向けると、ゆっくりと目を閉じた。
「……サビーナ?」
「お気の済むように、なさってください」
そう告げる声が、勝手に震えた。唇が冷気に晒されたかのように振動しているためだ。
「ちゃんと聞いていたのですか。あなたを犯すと言っているのですよ」
「……はい」
「なんでもすると言ったことを取り消すなら、今のうちです」
何度も確認を取るセヴェリに、サビーナは薄眼を開けて微笑んだ。
やはり、彼は優しいのだ。今取り消すと言えば、きっとセヴェリはサビーナを解放してくれるに違いない。
こうやって逃げ道を残してくれる彼は、『優しい人』以外の何者でもないとサビーナは思う。
「なにを笑って……気でも触れましたか?」
「いいえ。セヴェリ様はやっぱりお優しい方だと……」
「まだ言いますか」
ギリッとさらに押し付けられて、肩に痛みが走る。思わず顔を歪めてしまうが、なるべく平気なフリを装った。
「抵抗しなさい。鍵を掛けてはいない。声を上げれば、誰かが助けにきてくれるでしょう」
「助けなど要りません。私は自分の意思でこうしています」
「私が優しくすると思っているのなら、大間違いですよ。一度始まれば、あなたが抵抗しようが泣き叫ぼうが止めませんから」
「……はい。それで結構です」
想像すると怖くてまた少し唇が震えてしまったが、真っ直ぐに伝えられた。
それを受けて、セヴェリの腕はなぜか少し緩む。
「なぜそこまでするんですか……!」
「そうする権利が、セヴェリ様にはあるからです」
「あなたには、全く関係のないことでしょう!」
「なんでもすると言った自分の言葉を、違えるつもりはありません」
もう覚悟は決まった。
これでセヴェリの気持ちが少しでも晴れ、サビーナの罪責感がわずかでも払拭されるのなら。
なにをされたって、我慢できる。
「後悔しても、知りませんよ」
その言葉と同時に、強引に上着を取り払われた。袖のない白いインナーは、サビーナの腕を露わにしている。
その露出した上腕を、セヴェリに指先でツツツと撫でられた。ぞくりとした感覚がサビーナの体を走り抜けていく。
そのままセヴェリの手はサビーナの手を撫でながら下に降りて行き、足へと指を這わせられる。無意識にビクリと体が震えた。片方の膝裏を持ち上げられると、勝手に体が硬化する。
覚悟は決めたものの、やはり怖いものは怖い。
サビーナは恐怖を遮断するように、ギュッと目を閉じた。
「……サビーナ」
名を呼ばれるも、答える余裕はなかった。目を瞑ったまま拳を胸の前に置き、身を硬くして震えながら待つ。
なにがあっても耐えるだけだ。セヴェリの気が収まるまで。
「サビーナ。起きなさい」
セヴェリの声が上がると同時に、抱えられていた片足が降ろされた。その命令に逆らうことなどできず、サビーナは目を開けて上体を少し起こす。
彼は相変わらず苦しそうな瞳でこちらを見ていた。
「セヴェリ様……?」
「まったく、あなたという人は……」
そう言うと、セヴェリはサビーナの手を引いて座らせた。そして先ほど脱がされた上着を手に取り、サビーナの肩へと掛けてくれる。
「あの……どうして……?」
「そんなに震えてまで、私の悪癖に付き合う必要はありませんよ」
「悪癖……? なんのことか……」
「からかいが過ぎたということです。ともかく、上着を着なさい」
どういうことか未だ理解できずも、サビーナは肩に掛けられた上着に袖を通した。それを見てセヴェリはハァと息を吐いている。
興醒めさせてしまう要素が自分にあったのだろうか。セヴェリに恨みを晴らしてあげられなかったことに申し訳なさが募る。
「あの、大丈夫です! 私、もう震えたりしませんから……怖がったりしませんから……」
「だから、なんですか?」
「えと……好きに、その……犯してくださいっ」
かなり真剣に伝えた言葉だった。
覚悟は決まっていたのだ。拒否するつもりは微塵もなかった。
しかしセヴェリは。
「っぷ! ックックックック」
いつものようにどこかでスイッチが入ったようで、肩を揺すり始めてしまった。
「あの! 私、真剣です! セヴェリ様になら、身も心も、すべて捧げるつもりでいるんです!」
「クク……ええ、よくわかりましたよ。あなたの気持ちは」
セヴェリは笑いを抑え込むための息を長く吐き、そして再びサビーナに目を向けてくる。そしてひとつの質問をサビーナに浴びせ掛けてきた。
「私が人をからかう理由、分かりますか?」
「え……いいえ」
唐突の問いに、彼のからかいには理由があったのかと首を捻らせる。もちろんサビーナには、その理由など皆目見当も付かなかったが。
「私は、私がどこまで許されているのかを調べているのですよ」
「ええと……すみません、意味が……」
「つまり、からかったり意地悪をすることで、その人の私に対する怒りの上限を知ることが目的なんです」
「はぁ……なんでそんなことを……?」
やはりよくわからずにサビーナは首を傾げた。そんなことをする意味が、まったくもってわからない。
「どうしてでしょうかね……安心を得たいのかもしれません。この人ならば、ここまでしても許してくれるという許容を知ることで、私はこんなにも受け入れられていると思いたいんでしょうね」
わざわざそんな確かめ方をしなくては、セヴェリは人に受け入れられていると思えないのだろうか。
確かめずともセヴェリを受け入れられる人なら、この屋敷には大勢いるというのに。悲しい人だ。
「正直、歪んでいると自分でも思っています。けれど人を怒らせることをして許容してもらえた時、ほっとするのですよ。本当にこれは、悪癖ですね」
「じゃあ、今私を襲おうとしたのは……」
「ええ、いつもの『意地悪』ですよ。サビーナがどこまで私を許してくれるのか、試していたんです」
セヴェリの言葉に、サビーナは眉を寄せた。
今のは本当にただの意地悪だったのだろうか。
あんな苦しそうな顔をして。
つらく悲しい胸の内を吐露して。
「……違います」
サビーナはいつの間にか、首を横に振っていた。
セヴェリのいつものからかいや意地悪を、サビーナは知っている。
彼はそういう時、いつもクスクスと楽しそうにしているのだ。
心底楽しみながら、ちょっと悪い笑みを浮かべて。
「なにが違うんです?」
「今のは意地悪なんかじゃなかったはずです」
「なにを……」
戸惑うセヴェリの両手を、サビーナは握った。彼の手は、真冬の山中に一人淋しくいたのかと思えるほど、冷たくなっている。
「セヴェリ様は、もっと怒っていいんです。もっと泣いていいんです。それだけのことをされたんですから……つらい時は、苦しい時は、私に当たって構いません。なにをされても、私はセヴェリ様を受け入れますから……っ」
サビーナはその手を温めるように優しく包む。
セヴェリはサビーナを見て笑おうとし……しかし笑えなかったようで、顔を悲しく歪ませた。
「あまりあなたに、情けないところを見られたくないのですが……」
「絶対に人に言ったりはしません。口止めの懐中時計をいただいていますし」
クスリと笑うと、同じようにセヴェリも微笑んでくれた。そして彼の手がサビーナの手の中から抜け出すと、背中に手を回される。
またしても、セヴェリに抱き寄せられていた。今度はそっと、優しく、空気の通り道を作るように。
「怖い思いをさせました……許してください」
サビーナは彼の肩口で、ブンブンと首を横に振る。あんな程度、セヴェリが受けた仕打ちに比べれば大したことはない。
「もうあんな酷いことはしません……けれど、こうしてあなたを抱き締めること……たまには許してくれますか?」
不安そうに言葉を紡ぐセヴェリ。それが彼の心の安定剤になるのなら、反対するわけがない。
「はい。いつでもこうして、抱き締めて差し上げます」
サビーナもまた手をセヴェリに回して優しく抱き締める。
「……ありがとう、サビーナ」
二人は優しい抱擁を交わし合う。
雪の解け始めの暖かい日差しのような腕の中で、サビーナとセヴェリは互いにとろけるように体を預け合っていた。
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