第38話 あ、それオムライスです
「サビーナ、用意はできましたか?」
「は、はい! もちろんです!」
セヴェリの声が聞こえて、サビーナは読んでいた小説を机に置くと、立ち上がった。
サビーナが準備することなどなにもない。メイド服から騎士服に
なのになぜ部屋で待っていたかというと、セヴェリがいつものクスクス笑いを浮かべながら、部屋で待機するようにと言われていたからである。
サビーナが急いで扉を開けると、そこには……
「お待たせしました。行きましょうか、サビーナ」
扉の前にはなぜか、黒縁眼鏡を掛けた執事服姿のセヴェリが立っている。サビーナは思わず夜行性の猿のように目を丸めた。
「え……セ、セヴェリ様!?」
セヴェリはいつものクスクス笑いを封印し、ニヤリという笑みを向けてくる。
いつものゴテゴテとした貴族特有の服ではなく、黒い燕尾服だ。セヴェリをグッとスマートに見せ、金色の美しい髪をより輝かせている。
それと大きな黒縁眼鏡が、意外なほどセヴェリに似合っていた。真面目で、しかも人望のある生徒会長……といった感じの風体だ。実際にセヴェリは昔、生徒会長だったらしいが。
「どうですか? これでぱっと見、私だとはわからないでしょう」
「は、はい。有能な執事に見えますが、なぜそんな格好を……」
「あなたが、私と二人で出掛けるのに支障があると言ったからじゃないですか。だから変装をしたのです。これで気兼ねなく二人で街中を回れますよ」
そう言えば、変装がどうとかいうことを言っていたように思うが、この衣装はわざわざあつらえたのだろうか。セヴェリの身の丈にピッタリと合っているところを見ると、きっとそうなのだろう。
「では今日は、女騎士と密会する執事という設定でいきましょう」
「設定なんかあるんですか?」
「ええ、その方が楽しいでしょう?」
セヴェリはクスクスと笑いかけ、ニヤリと笑い直した。どうやらそういうキャラで通すつもりらしい。
黒縁眼鏡で悪い笑みを浮かべる執事姿のセヴェリは……鼻血が出そうなほど、素敵だった。
こうしてエセ執事とエセ騎士とは、街中に繰り出すのだった。
仕事を終えた後なので、まだ夕刻だ。
赤く染まった西日が、二人の影を長く伸ばしている。日が完全に落ちるのも時間の問題だろう。
オーケルフェルトの屋敷は少し街中から離れているため、サビーナとセヴェリは街への一本道を、テクテクと歩いた。
「今日はどこに行かれるんですか?」
「そうですね。折角変装したので、普段行ったことのない場所に行ってみたいですね」
「行ったことのない場所? どこですか?」
「それはサビーナが考えてください」
さらりと言われてサビーナはギョッとする。セヴェリは黒縁眼鏡の奥から双眸を光らせた。ニヤリと笑う口元は、いつものセヴェリらしくない。変装すると、成り切ってしまうタイプらしい。
「行ったことのない場所と言われても……。セヴェリ様がどこに行ったことがないのかも知りませんし」
「ではどこでもいいのですよ。サビーナが普段利用しているお店や、学生時代に友人と遊んだ場所なんかでも」
「ええ! そんなところにセヴェリ様を連れてはいけません!」
「おや、どんなところでしょうか。とても興味がありますね。ぜひ連れて行ってください」
嬉しそうにニコニコ言われてしまうと、もう断れない。仕方なく、学生時代に友人とよく行ったお店に向かった。
店の前まで来ると、セヴェリはやはりそこには入ったことはないようだった。当たり前だろう。主に女子が利用する、メルヘンでファンシーなお店だったのだから。ちなみに店の名前は『メルヘンファンタジー』だったが。
「す、すごいお店ですね……」
中に入ったセヴェリは、少し黒縁眼鏡をずらして中を見回している。ここは外観よりも内装がすごい。壁もカーテンも全てピンク系で統一されていて、そこらじゅうフリルだらけ。ぬいぐるみやアンゼルード人形がそこかしこに配置されてある。
女子学生が多く利用していて、割と人気のお店だ。
「無理そうなら、出ますか?」
「いえ、まぁ……サビーナもいますし、大丈夫です。しかしここに来るなら我儘お嬢様と執事という設定の方が良かったかもしれませんね……」
若干遠い目をしたセヴェリと席に着く。そこで出されたメニューを見て、セヴェリは目を見張った。
「『メルヘン山の頂から流れくる愛の川、鳥のさえずりと共に』……なんの料理ですか、これは」
「あ、それオムライスです」
「なぜっ!?」
「山が形を現していて、愛の川がケチャップソース、中にはチキンライスが入ってるってことですよ」
「さっぱりわからないのですが……」
「慣れですね。店員さんに聞いても詳細は一切教えてくれません。それがこの店の味なんです」
「適当に頼むしかないということですか?」
「それがこの店の売りのようですし」
「最近の女子学生には、こういうものが受けるんですね……」
そう言いながらセヴェリはメニューと格闘している。しかししばらくして諦めたように首を横に振った。
「まったくわからないので……オムライスにします」
「じゃあ私は『牛たちの饗宴。湖に浮かぶ島と白雪』にします」
「なんなのですか、それは……」
「多分、クリーム系のチーズパスタかと」
そう言うと、セヴェリは苦笑いをしていた。女子同士でくると『牛たちの饗宴』だけで大受けするのだが、どうやらセヴェリには受け入れられなかったようだ。
注文したものが並べられると、やはりセヴェリはオムライスで、サビーナが頼んだものはサイドに牛生ハムが並べられたクリームチーズパスタだった。
「良かった……味はまともなのですね」
「はい。名前がちょっと変わっているだけで、いたって普通の料理ですよ」
「ちょっとどころではありませんけどね」
そう言いながらセヴェリはオムライスを口に運んでいる。たかがオムライスでも、高貴な人が食べれば高級料理に見えてしまうから不思議だ。
「そう言えば」
セヴェリは一旦手を止めてサビーナを見た。サビーナは口の中にあるものを嚥下してから「はい」と答える。
「今日は鍛錬所の方には行かなかったようですね」
「え……? はい、行ってませんが」
「リカルドの困惑顔を見せてあげたかったですよ。奥方とのラブシーンがあると隊員たちに触れ回っておいたので、今頃タントールの劇場は、オーケルフェルトの騎士たちが席を占めているかもしれませんね」
相変わらず楽しそうにクスクスと笑うセヴェリ。これは意地悪というより、性格が悪いような気がしてきた。自分にはそんな実害がないので、苦いながらもまだ笑っていられるが。
セヴェリ様は基本はお優しいのになぁ……
どうしてこう人をからかうのが好きかな。
そんな風に思いながらセヴェリを見る。彼はハッと気付いたように、クスクス笑みを封印してニヤリと笑いを変えた。執事モードというのを忘れていたらしい。
普段の優しい笑みもいいが、ニヤリとした顔もクラリとくるほどいい。多少の性格の悪さなど、これで許せてしまう。
「リカルドのあの顔、デニスにも見てもらおうと思っていたのに、彼は丁度席を外していて。ああそうそう、劇のラストですが、王妃は王の看病で持ち直してハッピーエンドだったらしいですよ。古来の劇では王妃は死んでしまうそうなのですが、タントール独自に書き換えたようですね」
「あ、そうなんですね。私はハッピーエンドの方が好きなので、そっちの方がいいと思います。まぁちゃんと見ていなかったんですが……」
「リカルドに最後はどうなったかと聞いたら、変な顔をされましたよ。ラストを見逃した理由は告げられませんでしたがね」
それはそうだろう。大笑いしていて見逃したなどと言ったら、さすがのリカルドもセヴェリの人格を疑うかもしれない。
そんなこんなを話していたら、互いの皿は空になっていた。デザートを頼むか聞いたところ、メニューを開いてすぐに閉じ、「やめておきます」と言ったのでサビーナも頼むことはしなかった。
外に出ると、完全に日は落ちていて真っ暗だ。街の明かりはまだあるが、人通りは少なくなっている。
サビーナはなにがあってもいいように、すぐに剣を抜けるよう左手で鞘を持つ。
セヴェリはというと、眼鏡を外して目頭を少し押さえていた。
「うん……眼鏡というのは疲れますね」
「度が入っているんですか?」
「いえ、入ってませんが、付け慣れていないので」
「どこかで休憩していかれます?」
「そうですね。あまり人のいないところで休んでから帰りましょう」
セヴェリの提案で、二人は近くの小さな庭園へと入った。ランディスの街には、こういった場所がいくつもある。
先にセヴェリに長椅子へと座ってもらい、サビーナも促されて左側に腰を下ろす。街の明かりはここまではあまり届かず、かなりの暗闇だ。そのお陰か、セヴェリは周りの目を気にせず大きな伸びをしていた。
「ああ、失礼。サビーナと二人だと、つい気が緩んでしまって」
「いえ、お気になさらないでください。いつも人目を気にしなければいけない立場なんですから、私の前でくらいは楽にしてくださると嬉しいです」
「おや、嬉しいことを言ってくれますね。ではひとつお願いを聞いていただけますか?」
「はい、なんなりと」
そう言うとセヴェリはニッコリ笑って。
「膝枕をしてください」
そう言った。サビーナは耳を疑ったが、聞き間違えてはいない。今セヴェリは、確かに膝枕と言った。
「あの、ここで、ですか?」
「ええ」
「だ、ダメです!」
「なぜ?」
「膝枕なんかしていたら、もし誰かが襲ってきた時に対応が間に合わなくなってしまいます!」
サビーナが必死に抗議をすると、セヴェリは「ランディスの街中で襲われたことは、ただの一度もありませんけどね」と息を吐いた。
しかし今までなにもなかったからと言って、今宵何も起こらないという保証にはならない。
万にひとつの可能性であったとしても、セヴェリを危険に晒すことはできないのだ。
「申し訳ございません、セヴェリ様」
「では、屋敷の中ならばよろしいですね?」
「はい。……え?」
「わかりました、じゃあ戻りましょう」
セヴェリはスチャッ眼鏡を掛けて立ち上がる。ニヤリと笑う口元が、なぜか悪徳執事に見えてしまっていた。
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