第28話 仕切り直しって、いつしてくださるのでしょうか!

 サビーナが懐中時計を大事に仕舞うと、「そう言えば」とセヴェリが話しかけてきた。


「デニスと食事に出掛けていたという話でしたが、少しそのことを伺っても?」


 彼のその問いに、サビーナはコクリと頷く。別に聞かれて困るようなことはなにもない。


「二人だけで食べに出たのですか? それとも、リカルドも一緒に?」

「いえ、二人だけですが」

「……やはりあの時、デニスとなにかあったのですか……?」


 セヴェリは訝るように少し眉根を寄せている。

 あの時というのは、ユーリスに行く途中の、ビネルという街でのことに違いない。デニスが夜中に勝手に部屋に入っていたのだ。勘違いされても仕方ないとはいえ、そこはきちんと否定しておかなければ。


「いえ、なにもありません。まぁその……膝枕はしてしまいましたが、少し滅入っているとかで眠れないと言われてしまって。でも本当にそれだけです。なにもやましいことはしていません」

「滅入って……その理由をサビーナは聞いたのですか?」

「あの……聞いたというか、私に説明するような感じではなく、独り言のように愚痴ってましたので……よくわかりませんでした」


 本当は謀反に関することだと理解できてはいるが、ただサビーナは事実だけを述べた。セヴェリは「そうですか」と納得してくれたようだ。

 彼は視線を窓の外に移した。その横顔はどこか憂えていて、サビーナは眉を下げる。


「どうか、なさいましたか? セヴェリ様」

「ああ……いえ、なんでもないのですよ。ただデニスが女性と食事に出るのは久々のことだったので、少し気になっただけです」

「久々……だったんですか?」


 あの店でデニスは女性客とも話していたし、友人は多い方かと思っていた。たとえ友人でなくたって、あれだけ美形であれば食事にくらい誘われていそうなものだが。


「ええ。デニスは顔がいい分、なんというか……女難体質で。幼い頃は女の子たちに虐められてよく泣いていましたし、恋人ができてもろくなことにならないと言いますか……なにせ彼はオツムの方がアレですから、どうにも騙されやすくて」


 セヴェリはデニスの歴代の恋人を思い出したのか、額に手を当てて大きな溜め息を吐いている。

 真剣にデニスを心配しているような、それでいて呆れているような、そんな感じの仕草だ。


「でもデニスは悪い男ではないのですよ。むしろ本当に気のいい男なのです。ただちょっとその……アレなだけで」


 セヴェリはさすがに、デニスを馬鹿とは表現せず濁してはいるが、丸わかりだ。でも彼がデニスのことをとても気に掛けている、というのは理解できる。

 セヴェリにとってデニスは、きっと大切な人物なのだろう。ちょっとオツムがアレなのも可愛いと思っているに違いない。


「前回の恋人には、お金を根刮ねこそぎ持っていかれましてね……病気の母親を、医術の発達した他国の病院に入れてあげたいというのを、コロッと信じてお金を出してしまったんですよ。女はお金を持って母親とこの地を離れた……と、そこで終わっていればデニスもまだ傷付かずに済んだのですが」


 セヴェリはまたも額に手を当てて首を左右に振っている。


「ど、どうなったんですか?」

「その女は、別の詐欺で逮捕されましてね。デニスの件も明らかとなりお金は戻ってきたのですが、信じていた恋人が詐欺師とわかってさすがにショックを受けたようで」

「う、うーん、それは……」


 確かに人の良さそうな、しかもちょっとオツムがアレなデニスを騙すのは、容易たやすかっただろうとは思う。

 しかし、それならば最後まで騙してやってほしかった。別件で逮捕されて真実が明るみになるなど、デニスにはきっと寝耳に水で、虚しい思いをしたに違いない。


「それ以降、デニスは女性を敬遠し始めましてね。いえ、普段通りと言えば普段通りだったのですが、女性と二人きりになることは避けていたんですよ。だからビネルでの件も今回のことも、少し驚いてしまいまして」


 だからさっき、セヴェリとシェスカルが『いい傾向』だと話していたのかと、サビーナは納得した。確かにそんな経緯いきさつがあれば、誰でも心配してしまうだろう。


「ですから、デニスがそんな気持ちになれたのは嬉しかったんですよ。相手がサビーナというのが少し意外ではありましたが、彼の見る目は間違っていないと思います。デニスをよろしくお願いしますよ、サビーナ」


 あれ? とサビーナは眉を顰めた。

 これは、セヴェリにデニスを勧められているような気がするが、考え過ぎだろうか。デニスの女性不信を取り除いてやってくれと頼まれてるだけに過ぎないのだろうか。

 そんなことを考えていると、それを察したのかセヴェリが言葉を続ける。


「デニスは本当に心が澄んでいる男なんです。サビーナとなら、きっと上手くいく」


 セヴェリのその言葉に、これはくっ付けられようとしているのだと理解して、サビーナは焦った。

 サビーナはセヴェリを惚れさせなければならない立場にあって、セヴェリに別の男と上手くいくよう持ち掛けられては困る。これは、セヴェリに気のある素振りでも見せておいた方がいいかもしれない。


「あの、セヴェリ様……っ」

「なんですか?」


 話し掛けた後で、どうすべきか頭をフル回転させる。そして伝えるべき言葉が決まると、それがいいかを吟味する前に口に出してしまった。


「仕切り直しって、いつしてくださるのでしょうか!」

「え? 仕切り直し……?」


 言ってしまった後で、顔が燃えるように熱くなった。あの時のことを持ち出すなど、どうかしている。

 しかしセヴェリは『なんのことかわからない』とでも言いたげに首を傾げていた。仕方なく、サビーナはその言葉の説明を続ける。


「あの、その……私のファーストキスの、仕切り直しですっ」

「……ああ」


 セヴェリは申し訳なさげに首を振っている。そして相変わらず顔を熱くし続けているサビーナに、目を伏せるようにして声を出した。まるで、あの時の事実から目を逸らすように。


「あれは事故です。あなたのキスの数にカウントしてはいけませんよ。忘れなさい」

「……え?」


 まさかこんな言葉が返ってくるとは思っていなかったサビーナは、目を点にした。では、あの『仕切り直しをさせてください』と言ってくれていた言葉は、一体なんだったというのだろう。


「あの……どういう……だって、あの時は」

「すみません、あの時の私はどうかしていました。リックバルドにレイスリーフェを奪われて……少し仕返しをしてやりたいと、心のどこかで思ってしまっていたんです」

「あ……なる……ほど……」


 セヴェリの言い訳に、胸がストンと落ちるのを感じる。と同時に、なぜかすごく虚しい気分になった。胸が冷たい湖に沈められたような、低体温になってしまったかのようで、体が寒く重く感じる。

 そんなサビーナの様子を見て、セヴェリは眉を悲しいくらいに下げていた。


「すみません。あなたを利用しようとしてしまい……」

「い、いいえ! その……あの……」


 言葉が出てこなかった。なぜか頭が回ってくれない。利用されそうになったというだけで、なにもされてはいないというのに。


「……すみません」


 セヴェリの謝罪に、サビーナは首を左右に振るのが精一杯だった。声を出せば、言葉が震えてしまいそうで。なぜか勝手に震える唇を、ギュッと嚙みしめた。

 セヴェリはそっとサビーナに近づき、囁くように言葉を紡ぐ。


「大丈夫、あなたにはきっと素敵なファーストキスが待っていますから。私のような腹黒い男ではなく、心の澄んだ男がきっと……ね?」


 サビーナは、やはりなにも言えずに俯いていた。

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