第29話 どうして隊長は、素朴専なんですか……
サビーナはフウッと溜め息を吐いた。
セヴェリを誘惑せねばならない立場だというのに、ちっともそんな感じになれない。
彼を救いたいという気持ちは本物なのに、なにもできない自分に苛立ちを感じる。どうにかできないものかと考えていたら、やはりまた溜め息が漏れた。
「悩み事、か?」
目の前に座っている男が片眉を下げながら、しかし口の端は上げて聞いくる。サビーナはその人物の視線に己の視線を合わせた。
「シェスカル隊長……いえ、すみません、食事中に」
サビーナは現在、シェスカルが予約を入れたお店で食事をとっている。
あまりに高級な店なら断ろうと思っていたが、ここはそこまで敷居は高くないお店だった。サビーナ程度でもギリギリ入れるくらいのお店を選ぶ辺り、さすがと言える。
若いカップルが、『記念日なのでちょっとだけ頑張ってみた』といった感じで入るようなお店だ。
中に入るとすぐに料理が運ばれてきて、美味しい料理に舌鼓を打ちながら食べていたのだが、どうにもセヴェリのことを考えてしまう。
彼がレイスリーフェを愛しているのはわかっていた。そこに入り込む余地などないことも理解していながら、それでもセヴェリを誘惑しなければならない立場にある。
しかしあれだけなんの対象にも見られていないとわかると、胸に石を抱えたような重みが、サビーナに溜め息を吐かせ続けた。
「深刻そうだな」
やはりシェスカルは口の端だけで笑った。
「俺でよけりゃあ聞くけど?」
「いえ、大丈夫です」
「うっはー、即答! ま、そうだろうけどな」
シェスカルは大して気にした様子も見せずに、フォークを口に運んでいた。『傷付いた』と言われなくて良かったが、シェスカルのあっけらかんとした物言いにどこか拍子抜けだ。
サビーナもまた、目の前の食事を口に運びながら尋ねる。
「追及、しないんですか?」
「してほしけりゃすっけど? でもそうじゃねぇんだろ」
「はい」
「じゃ、聞かねぇよ」
シェスカルはいつも通りニカッと笑って答えた。あまりこだわらない性格らしい。
しかしシェスカルは取り留めのない話をするばかりで、サビーナは心の中で首を傾げる。
もしかしたらサイラスのように、リックバルドの政派を尋ねられるかもしれないと警戒していたのだが、そんな様子は一切なかったからだ。
こんな小娘と食事をして楽しいのだろうか。そんな疑問が顔に出ていたのかもしれない。シェスカルは「言いたいことがあるなら言えよ?」と片目を細めて笑った。
サビーナはその言葉を受けて、素直に尋ねることにする。
「シェスカル隊長は、どうして私を食事に誘ったんですか?」
「うん? 好みの女がいたら、誘うのは当然だろ?」
「好み……素朴ってことですか」
「ま、そういうこった」
目を細めて口の端を上げるシェスカルに、どう反応すればいいかわからない。好みと言われて嬉しくないわけではないが、その理由が素朴というのは微妙だ。
「どうして隊長は、素朴専なんですか……」
その問いに、シェスカルは少し視線を下げた。次に食す物を選んでフォークに突き刺してから、話し始める。
「……逃げられた元嫁が、素朴なメガネっ子だったんだよなぁ。それまでは割とどんな子でもいいと思ってたんだが、嫁に逃げられた途端に素朴専になっちまった」
「引きずってるんですね」
「ま、そうなっかな」
シェスカルはポリポリと頭を掻きながらそう反応した。特に深刻になっている様子もなく、平然としている。しかしさすがに逃げられた理由を問えるはずもなく、サビーナは口を噤んだ。それを見てシェスカルは少し目を広げている。
「あれ? 追及しねぇの? なんで俺が嫁と別れたか」
「追及してほしいならしますけど。でもそうじゃないんですよね?」
「べっつに構わねぇけど?」
「っえ」
こともなげに言われて驚きを隠せないでいると、シェスカルは臆面もなく言い放った。
「別れたのは、俺の浮気が原因だ」
「胸を張って言わないでくださいっ」
サビーナが焦ってそう言うと、シェスカルが嬉しそうにニシシと笑う。
「そのツッコミ方、あいつにそっくりだな。サビーナ、ちょっとメガネ掛けてみねぇか?」
「遠慮しておきます!」
その断り方も元嫁とやらに似ていたのか、シェスカルは楽しそうにケラケラと笑っている。
「もう、そんなに奥さんを引きずるくらいなら、どうして浮気なんかしたんですか」
「んー、まぁ俺も若かったからなぁ。あいつは大抵のことを許してくれてたし、これくらいなら大丈夫って甘えてたとこもあったんだろうな」
そう言われて、サビーナはふとレイスリーフェのことを思い出す。
彼女もまた同じだったのだろうか。優しいセヴェリならば許してくれると……そう思ってしまったことが、不貞行為に走らせてしまったのだろうか。
「ま、浮気がきっかけだったのは間違いねぇけどよ。元々俺とあいつじゃ進む道が違ってさ。俺が浮気しなくたって、いつかは別れてたんだと思うぜ」
「それ、言い訳じゃないですか……?」
「ハハッ、そっかもな!」
恥じる様子も見せずに、シェスカルは飄々としている。
進む道が違った。いつかは別れていた……それは、やはりセヴェリとレイスリーフェにも当て嵌まるのだろうか。
謀反を起こそうとする者と、起こさせまいとする者。
二人はリックバルドのことがなくても、いつかは別れることになるのだとしたら。むしろ今のうちに別れさせておいた方が、互いのためなのかもしれない。
そんな考えに辿り着いてしまうと、妙に心がざわざわした。満月の夜に、一人で森の中にいるような……そんな悲しく寂しい不安感だった。
サビーナはほとんど食べてしまった皿を見つめたまま、手が止まった。シェスカルはそれに気付かぬふりをするように、明るく話しかけてくる。
「今日は食事に付き合ってくれてサンキュな。家で一人で食うのは、どうにも寂しくてなぁ」
そんな彼に、サビーナは気をとり直して視線を上げた。
「だからいつもナンパしてるんですか?」
「仕事が早く終わった時はな。遅くなった時は隊員をとっ捕まえて連れて行く。今度からはお前もその対象にすっからな、覚悟しとけよ?」
「えー……私は隊員じゃないのに……」
「隊員みたいなもんだろ。よけりゃあ俺の直属の部下してやるけどな」
「遠慮しておきます。私はキアリカ班でいるのが楽しいので」
「そうか、じゃあそれでいい」
シェスカルはサビーナがすべて食べ終えるのを確認してから、「そろそろ出るか」と立ち上がった。
会計では分厚い財布を手に取り、中から二万ジェイアを支払っている。いくらかお釣りが戻っていたが、お酒も飲んでいないというのに、この値段はサビーナにとってはかなり高い。
「あの……ありがとうございました。ごちそうさまでした」
「こっちこそサンキュ。暇そうな時にまた誘うから、頼むぜ?」
「メガネ掛けろって言わないなら、考えておきます」
「っきしょ、メガネは駄目かぁ」
そこだけは本当に悔しそうに言うシェスカル見て、サビーナは少し笑った。
そしてその顔を見たシェスカルもまたケラケラと……しかし目は少し寂しそうに笑っていた。
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