第23話 たまにはお兄様に稽古をつけてもらおうと思いまして!

 ランディスに帰った翌日、サビーナは真剣を携えると鍛錬所へと足を踏み入れた。

 いつもは鍛錬所に入ると真剣を置いて模擬剣に持ち替えるのだが、それをせずにズンズンと中へと歩みを進める。

 ファナミィがこちらに近付こうとしているのに気付き、サビーナは目で制した。今日は、ファナミィに相手をしてもらうつもりはない。真っ直ぐ目的の人物に向かって歩いていく。


「お兄様」

「なんだ、サビーナ」


 お兄様と呼ばれたリックバルドは、半眼でこちらを見ている。こう呼ぶ時はろくなことを言わないのを知っているからだろう。


「たまにはお兄様に稽古をつけてもらおうと思いまして!」

「稽古をつけるのは構わんが……真剣でか?」

「うん、私はね!」

「俺は模擬剣か」

「まさか、素手に決まってるでしょ」


 サビーナの提案に、やはりろくなことを言わないと思っているのだろうか。リックバルドは顔をクシャリと歪めて嘆息していた。


「馬鹿か、お前は」

「馬鹿で結構! やるの、やらないの? 逃げてもいいんだよ。オーケルフェルト騎士隊の班長さん」


 挑発してやると、リックバルドはムッとなった。短気な男なので、乗せるのは簡単だ。

 しかし横から隊長や他の班長達がやってきてしまった。リカルドとデニスは今日は休みのようだったが。もちろんサビーナも、長旅の疲れを取るようにと言われて今日は休みだ。


「サビーナちゃん、さすがにリックバルド殿が丸腰っていうのは可哀想じゃないー?」


 最初にヘラヘラやってきたのはサイラスだ。

 しかしそう言われても、まったく可哀想だとは思わなかった。一度この兄を本気で痛めつけてやらないと気が済まない。もちろん真当に勝負を挑んで勝てるわけがないので、こんな条件を提示したわけなのだが。


「ちょっとサビーナ。真剣っていうのはリックさんだけじゃなく、使う側のあなたにも危険があるのよ。せめてあなたは模擬剣にしなさい」


 サイラスの言葉だけでなく、キアリカの言葉にも無言を貫き通していると、もう一人の男が大きな声で笑いをあげる。


「あっはははははっ! いいじゃんか、やってみろよリック! 面白れえ試合が見られそうだしなっ」


 ケラケラとシェスカルが囃し立てるように笑う。それを見たリックバルドはハッと息を吐き出した。


「……仕方ないな」

「ちょっと、リックさん! もうっ、シェスカル隊長は止める立場でしょう!」

「黙ってろって、折角二人ともやる気になってんだ」

「やる気にさせたのは誰ですか! サイラスもなんとか言って!」

「僕はもちろん、サビーナちゃんを応援するよー。頑張って、サビーナちゃん!」

「んもうっ」


 キアリカには申し訳なかったが、引く気はなかった。

 セヴェリがレイスリーフェを不貞で訴えないということは、リックバルドもまた訴えるつもりはないということだ。セヴェリは泣き寝入りを強いられている。リックバルドには真剣で襲われる恐怖を存分に味わってもらおう。

 サビーナは無言で剣を抜いた。


「皆、下がっていてくれ」


 リックバルドの言葉に、シェスカルがニカニカと笑いながら皆を下がらせてくれる。リックバルドは模擬剣を近くの班員に渡すと、堂々とサビーナの前で素手のまま構えた。


「手加減しないからねっ」

「馬鹿が、それは俺の台詞だ」


 サビーナは牛の角のように、剣を肩口に当てて切っ先をリックバルドに向ける。オクスの構えだ。


「始め!」


 シェスカルが声を上げると同時に、サビーナは突っ込んで行く。

 丸腰の相手に後手に回ることなどしない。

 攻めて攻めて、攻めまくるのみだ。


「ハッ!」


 サビーナが突き出した最初の攻撃は、難なく躱された。

 しかしそのまま踏み込んで、袈裟懸けに斬り下ろす。


「っふ!!」


 リックバルドはバックステップを踏み、のけぞるように剣先から逃れる。

 そこをチャンスと見てさらに踏み込んだ。

 裏刃で逆袈裟を狙い、切り上げる。

 しかし騎士服を少し引っ掛けただけで逃してしまった。

 リックバルドは一瞬で距離を取り、サビーナの剣を見て眉を顰めている。


「馬鹿者、今のはちゃんと表刃できっちり逆袈裟を狙って来い。あんな剣ではすぐに叩き落とされるぞ」

「今は剣を持ってる相手じゃないからいいのっ」


 サビーナはこんな時にまで剣の指導をしてくるリックバルドに苛立ちを見せる。

 余裕ぶられるのは好きじゃない。

 サビーナは剣を正眼にすると腕を右に寄せ、左足を前にした。

 プフルークの構えだ。


「構えだけは一丁前だな。そこから繰り出される斬撃が期待外れでないことを祈るぞ」

「腕の一本でも失くす覚悟はしておいてよねっ」


 サビーナはまたも突進し、大きく上段に振りかぶった。

 振り下ろすと同時に右方に避けられ、カッティングラインを途中で左方に切り替える。

 フォンッと音が鳴って剣が腰に巻き付くようにしなると、そのまま勢いを付けて右に薙いだ。

 やや上方の左薙斬りが、リックバルドの胴を目掛けて直進していく。


「やーーーーっ!」


 しかし掛け声も虚しく、剣は宙を切った。

 リックバルドがその長身を屈めていたのだ。

 剣先は彼の頭の上を通過していく。


「っく!」

「甘いッ!!」


 勢いづいた剣はリックバルドを通り越し、逆の体に巻き付く。

 その瞬間、手に物凄い痛みを感じた。

 リックバルドの後ろ蹴りがサビーナの左手首に直撃したのだ。

 さらに。


「あぐっ」


 ドンッという背中からの衝撃を受けて、サビーナは勢いよくその場に倒れ込んだ。

 受け身を取ることもできず、したたかに頭を床に打ち付ける。

 剣が、手から離れていった。

 ガランと音を立てたかと思うと、クルクル回って遠ざかってしまう。

 リックバルドがサビーナの背後に回り込み、肘打ちを食らわせていたのだった。


「勝負あり! そこまで!」


 シェスカルの声が鍛錬所に響き渡る。

 手も背中も頭もズッキンズッキン傷んで、サビーナは悶絶した。


「うううーー、ううううっ!」

「ひ、酷いですよーリックバルド殿! ちょっとは手加減してあげないと!」

「真剣相手に加減なんぞできるか。こっちは丸腰なんだぞ」

「サビーナちゃん、大丈夫??」


 触れようとするサイラスを拒絶するように、サビーナは体を左右に揺らす。

 痛くて痛くてたまらない。右手で左手首を押さえて転げ回る。


「ったく、お前は容赦ねーなー!」

「お前がやれと言ったんだろうが、シェス!」

「俺は言われてもやんねーよ! 妹相手にひでぇことすんなぁ」

「……シェスッ」


 焚き付けた本人にそう言われ、リックバルドは苛立ちを隠せないようだった。


「シェスカル隊長、早く彼女を医務室へ……!」

「はいはーい、隊長! 僕が医務室に連れて行きまーす!」


 キアリカの提案に、サイラスが我先にと名乗りを挙げる。しかしシェスカルはそんなサイラスに言った。


「残念、医務室には俺が連れてく」

「えー、隊長ズルいですよーっ」

「隊長命令だ! お前らは鍛錬に戻れ! リック、お前もだ」


 その言葉と同時にサビーナの体が宙に浮く。体が痛くて何度も身じろぎするも、強い力で抱きかかえられた。

 医務室に到着すると、常駐の看護員に手当を受ける。痛みが酷くなるようなら医師を呼ぶと言われて、部屋で休むように言われた。

 手当が終わる頃には自力で立てるようになっていたが、頭を打ったのだからとシェスカルが部屋まで運んでくれる。シェスカルの腕の中はなぜか安心できて、サビーナはくたりと身を預けた。

 部屋に入るとシェスカルはゆっくりとサビーナをベッドの上に横たえてくれた。背中に痛みが走り体を強張らせると、シェスカルは心配そうに眉を下げる。


「大丈夫か? なんか冷やすもん持ってきてやろうか」

「いえ……大丈夫、です……」


 隊長という立場の人物にそんな小間使いのようなことをさせられるわけもなく、サビーナは断った。シェスカルは困った顔でサビーナの髪をそっと撫でてくれている。


「悪かったな。まさか、こうなるとは思ってなかった」

「……どうなると思ってたんですか?」


 問うと、シェスカルは眉を下げたまま少し口角を上げた。


「普通真剣を持つと、斬ることに躊躇いが生じんだよ。仲間同士だと特にな。リックなら、あっさりと剣を取り上げて終わりだと思ってた」


 と、そこまで申し訳なさそうに言ってから、シェスカルはいつものようにニカッと笑みを漏らす。


「中々筋があるぜ。鍛えれば実戦でも通用しそうだな。迷いがなく思い切りがいい」

「あ、ありがとうございます」


 初めて剣術で褒められ、サビーナは顔を綻ばせる。


「けど、兄妹喧嘩も程々にしとけよ。なにがあったか知らねぇけど、あんま無茶するな。リックがサビーナの無茶苦茶な申し入れを受け入れたのも、思うところがあったからだと思うぜ?」


 シェスカルの言葉に答えられないでいると、彼はポンポンと優しくサビーナの肩を叩いてくれる。


「じゃあな、ゆっくり寝てろ。鍛錬が一段落すればリックの奴を呼んでやっから、ちゃんと兄妹で話し合えよ」

「あ、あの……っ」

「ん?」


 出ていこうとするシェスカルを呼び止め、サビーナは少しベッドから体を持ち上げて頭を下げる。


「ご迷惑、お掛けしました……っ」


 シェスカルはその姿を見てニカッと笑い。


「いーっていーって。そんかわり、今度デートしてくれな」


 そう言って、手をヒラヒラさせながら部屋を去っていったのだった。

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