第24話 あの時の百倍は怒ってるよっ!
サビーナは手首を押さえながら、ベッドの上でうずくまっていた。
痛む手は、薬草の湿布が貼られて包帯でグルグル巻きにされてある。明日までに腫れは引くだろうか。利き腕でなくて良かったが、通常業務に支障をきたすわけにはいかない。
結局リックバルドに一太刀浴びせることも叶わなかったサビーナは、先ほどの戦闘を思い出してギリギリと歯を食い縛る。
しかしサビーナも、なんとなくこうなることが予想できていたからこそ、気兼ねなきく真剣で挑めたと言えるのだが。
それにしてもこんなにコテンパンにやられるとは思っていなかったので、やはり苛々と痛む箇所を抱き締めていた。
そんな風に伏せっていると、誰かが勝手に扉を開けて入ってくる気配がする。確認する元気は起きなかった。確認せずとも誰なのか、わかってはいたのもあるが。
「おい、馬鹿妹。具合はどうだ」
「っきー! 痛いに決まってるよ!」
ガバッと起きた途端に背中にピキッと痛みが走り、涙目で腰を折る。それを見て、息を吐き出しているリックバルドに苛立って仕方ない。
「派手な兄妹喧嘩だとシェスに笑われたが。とりあえずあんな勝負を挑んできた意図から聞こうか」
「わかんないの? 自分の胸に聞いてみなよ!」
そういうとリックバルドは半眼でサビーナを見つめながら、ポツリと呟くように言った。
「……やはり、レイスの件……だろうな」
レイスリーフェを敬称も付けずに呼ぶ姿を見て、サビーナの頭は怒りで支配される。
この面食い男のせいで、セヴェリが苦しむ羽目になっってしまったのだ。絶対に許せない。
「わかってるんじゃないっ」
「まぁお前がセヴェリ様とユーリスに行くと聞いた時点で、バレる覚悟はしていた」
リックバルドは難しい顔の中に哀愁を含ませている。だからというわけではないが、次のサビーナの言葉の語気は弱まった。
「リック……なんで? なんでレイスリーフェ様と……。キアリカさんと別れたのも、レイスリーフェ様が原因なの?」
「ああ、そうだ」
リックバルドはつらそうな瞳で頷きを見せる。
今、この手に包丁が握られていなくて良かった。あったなら、きっとリックバルドの腹部をひと突きしていたことだろう。
「しんっじられない……」
「信じるも信じないも、事実だ」
「リック……わかってるの? 相手は高位貴族で、セヴェリ様の婚約者なんだよ? レイスリーフェ様と、その……ね、寝たって聞いたよ!? 不貞行為じゃないの!」
「……もうそんなところまでバレているのだな」
冷静にそう言い放つ己の兄を見て、やっぱり腕の一本でも斬り落としておけば良かったと後悔する。
「もうやだぁ……なんでそんなことするの……。私達は、オーケルフェルトに仕える者なんだよ? セヴェリ様を裏切るようなこと、しないでよぉっ」
「言っておくが、先に誘ってきたのはレイスの方だぞ」
「被害者面するなーっ! 誘ったのが相手でも、リックが手を出さなきゃ済んだ話でしょ! この面食いバカ兄貴ッ!!」
「手を出したのは、キアと別れた後だが」
「そういうことを言ってんじゃないのっ!!」
この兄は、いつものサビーナのことを馬鹿だ馬鹿だと罵ってくるが、リックバルドの方がよっぽど馬鹿だ。レイスリーフェに手を出すとどういうことになるのか、予想がつくだろうに。
「ああもうっ……頭痛いよ……どうする気?」
「お前がセヴェリ様を慰めて差し上げればいいだろう?」
「……まさかリック、セヴェリ様を誘惑しろって言ったのは、自分のためじゃないよね……?」
「ああ、まぁそれもある」
「自分勝手過ぎるでしょ!! こんのアホ兄ぃ〜〜〜〜ッ!!」
怒りが爆発し、手元の枕を思いっきり投げつける。それは苦もなく受け止められて終了となってしまったが。
受け止められた枕をポイと投げ捨てられるのを見ると、今度は悲しくなってきた。脱力するように手をベッドについて項垂れる。その姿を、リックは冷静に見下ろしてくる。
「もうセヴェリ様に顔向けできない……」
「まぁ、そんなに落ち込むな」
「誰のせいよっ!!」
「だから言っただろう。お前がセヴェリ様を誘惑すれば、全てが丸く収まる。身内が起こした不祥事でさえもな」
「リックが言うなっ! 私に尻拭いをさせるんじゃな〜〜いッ」
苛立ちと情けなさで、涙が出てきた。泣きながらキッとリックバルドを睨むと、当の本人は
「なにがおかしいのっ!?」
「いや……お前がそんなに怒るのは、昔お前の焼きプリンを全部食ってしまった時以来だと思ってな」
「あの時の百倍は怒ってるよっ!」
サビーナは目に涙を溜めながらそう言うも、リックバルドの表情は変わらず腕を組んで見下ろしている。
まったく、この兄の考えることは理解不能だ。今は焼きプリンがどうとか言っている場合ではないというのに。
「ところで、セヴェリ様はなんとおっしゃっていた?」
「うう……レイスリーフェ様とのこと? 不貞をわかっていながら、結婚するって……結婚して、リックとのことを黙っている代わりに、クラメルの軍事を傘下に置くように言ってた」
「やはりそうなったか……これは是が非でも、サビーナに惚れてもらわなければならなくなったな」
サビーナはタラリと冷や汗を流す。確かにこのままだと、謀反が決行できる地盤が整ってしまう。
「じゃあ、まあどうにか頼む」
「え、ちょ! リック!」
リックバルドは妙な笑みを浮かべながら、勝手なことをほざいて部屋を出ていってしまった。バタンと閉められる扉を見て、サビーナは歯ぎしりをする。
「うーーーーっ! さいってい!!」
怒りのままに右の拳をベッドに打ち付けた。するとペキッと変な音が鳴って、倒れ込むように一人悶絶する。
異常に情けない気持ちに囚われ、グスンと鼻を鳴らして、ゴロリと天井を見上げた。
とんでもないことになってしまった。セヴェリを誘惑するのは彼を救うため、使用人を路頭に迷わさぬようにするため、そして身内の不祥事を揉み消すため……
考えただけで憂鬱だ。なぜ自分がこんなことをしなくてはならないのか。
彼は、本当にレイスリーフェのことを愛しているというのに。
自分が入り込む余地など、一分の隙間もないというのに。
「……よし、ふて寝しよう」
サビーナはなにもかもが嫌になり、とりあえず今はふて寝を決め込んだ。
現実逃避、である。
サビーナは全てをシャットダウンするかのように、まだ昼間だというのにすぐに眠りに落ちていった。
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