32.すべてを失おうと、あなたに嫌われようと

 優しいキスが終わると、エリザはシルヴィオの顔を見られないくらいに照れてしまった。

 それでも気になってチラリと目の端でシルヴィオをとらえてみると、普段と変わりない冷淡な顔をしている。

 これはきっと、照れ隠しの表情だなと気づいたエリザは、心の中でクスっと笑ってしまった。


「行こう。ロベルトに報告しなくちゃな」

「あ……うん、そうだね……」


 つい先ほどあんなことがあったロベルトに報告するのは気まずいが、それでも伝えないわけにはいかないだろう。

 どんな反応をするだろうかと少しの不安を抱きながら、シルヴィオの後をついていく。

 するとロベルトはキッチンで一人立ったまま、コーヒーを飲んでいた。


「お、話はすんだか? どうなった?」


 背を向けていたロベルトはエリザたちの気配に気づき、振り向きざまそう笑っている。


「ああ、結婚することになった」

「はは、やっぱりなー!」


 きっと、こうなるようにロベルトは仕向けてくれたのだし、少なくともシルヴィオはそう思っているようだ。

 けれどエリザはその笑顔の中に、少しだけ寂しさを見た気がした。


「そんな顔すんなよ。よかったな、エリザ」


 ロベルトの優しい声と言葉に、エリザの心は温かいような、ありがたいような、申し訳なさも含んだ不思議な気持ちでこくんと頷く。


「じゃああれだな、ジアード様に報告に行こうぜ!」

「いや、だが俺には移動制限が課せられているから、元のリオレインの王都には行けないぞ」


 初期に寝返った元リオレイン国民には割と自由が与えられていて、元住んでいた場所に戻る人も多い。しかし第三軍団の面々は、後期の寝返りだ。そういう者の、特に軍人の王都への移住は禁じられている。もちろん入るのにも国の許可が必要だ。

 王都には軍事施設が整っているし、そこでまた組織を作られて反旗を翻されては困るからだろう。

 だからエリザもシルヴィオも、懐かしの王都に行こうなんていう考えはまったくなかった。

 そんなエリザたちに、ロベルトが嬉しそうに教えてくれる。


「実は俺、元王都の守護警備騎士に任命されたんだ。一等国民の権限でお前らくらいなら連れていけそうだし、ついでにあっちで暮らそうぜ。お前らの新居、俺が責任持って探してやるよ」


 新居、という言葉に、エリザとシルヴィオは顔を見合わせた。

 気恥ずかしく、それでいて胸の奥からじわじわと温かいものが広がりをみせる。

 思い出の地で一緒に再スタートを切れるのかと思うと、それだけでいいことが起こりそうな予感がして、わくわくした。


「王都も様変わりしちまってるだろうけど、戻ったやつらもいるし、いつもの料理屋も再開したらしいしな!」


 ダメ押しのロベルトの言葉で、エリザは頷きながら笑った。


「うん、また一緒にみんなでご飯を食べに行きたい!」

「おう、行こうぜ! いいだろ、シルヴィオ!」


 エリザとロベルトが同意を求めると、シルヴィオは目を細めて「もちろんだ」と幸せそうに笑っていた。




 ***




 それから数週間後、エリザたちは元リオレインの王都へと帰ってきた。

 今は王都とは呼ばれずに、リオの街と名付けられているらしい。


 そこでまず、三人はジアードの眠る墓へと向かった。

 小高い丘の上にある墓場は、夕暮れの光があたりを暖かい色に照らし、心地よい風が吹き抜けている。

 ジアードの墓へと進むにつれて、夕日に照らされた人型のシルエットが目に入った。

 大きな男の人影がジアードの墓の前に佇んでいるのをみて、エリザはどきんと胸を鳴らす。


「ジアード様の墓の前に、誰かいるみたいだ」

「あの背格好……ジアード様……?」

「まさか」


 エリザのありえない発言をシルヴィオは否定し、それでも三人は『まさか』と目を見合わせる。

 そしてごくんと息を飲み、少しずつその人影に近づいていった。


「あ、の……」


 エリザが話しかけると、黒いシルエットが振り返る。

 その顔は、ジアード……


「ああ、お前らも来てくれたのか」


 ではなく、従兄であるセノフォンテだった。


「セノフォンテ様……どうしてここに」

「俺がジアの墓参りをしては、おかしいか?」

「いえ、そういう意味では……」


 ジアードを殺したのは、間違いなくセノフォンテだ。

 だが、恨みを抱けるわけもない。あの時はみんな、最善の選択をしていただけなのだから。


「一日だけ、王都……いや、リオの街だったな。ここにくる許可をもらったんだ。どうしても、ジアと話がしたくて……な」


 寂しそうな瞳は、見間違いではないだろう。

 ジアードとセノフォンテは従兄弟同士で、幼き頃から研鑽を高め合ってきた仲だと聞く。

 その大切な相手を、仕方がなかったとはいえ屠ったのは、他ならぬセノフォンテなのだから。


「お前らには、悪いことをしたと思っている」

「……いいえ」

「セノフォンテ様のお気持ちはわかっているつもりです」


 シルヴィオは静かに否定し、一等国民となるために王の犠牲を強いたロベルトは理解を示す。

 エリザはなにもいわずに、三人の話を聞いていた。


「ラゲンツに行き、関わることもほとんどなくなってしまったが……ロベルト、シルヴィオ。我がスカルキ家はリオレイン王国の滅びとともに消えた。お前たちをもう、スカルキの家名で縛ることはない。自由に生きろ」


 そしてセノフォンテはジアードの墓を振り返る。


「それを、ジアも望んでいるはずだ」


 石で封じられた墓の影が伸びて、エリザに届く。ジアードの声が聞こえるような気がして、エリザは一歩前に出た。


「エリザ……ジアをここまで運んでくれたこと、感謝する」

「……私が、そうしたかっただけです」

「ジアは、エリザのことを本当にかわいがっていたよ」


 セノフォンテの低い声は、ジアードとよく似ている。

 まるでジアードがそこにいるような気配を感じて、エリザは込み上げるなにかを必死に飲み下す。


「ジアが家族を失ったあと、あいつはエリザを本当の家族のように思って大切にしていた。あいつは、確実にエリザを愛していたよ」

「……ふ……」


 涙の堰が決壊し、ボロボロと滝のように流れ始める。

 なんの涙なのかわからない。嬉しいのか、悲しいのか。

 ただ、ようやくジアードの気持ちがエリザの心に伝わってきて。それがとても温かくて、やさしくて、ありがたくて。


「ジア、ド、様……ありがと、ござ……」


 ひっく、としゃくり上げながらエリザは声に出した。きっとジアードは、いつものように温かく微笑んでくれているとわかって。

 そこにいるジアードに、エリザは報告をする。


「わた、し……、シルヴィオと、結婚、しま……す!」


 すべてを赤く染めたあの日の夕陽が、エリザの心に温かい光を与えてくれた。

「そうか、おめでとう」というセノフォンテの言葉が、ジアードと重なって聞こえて。

 涙の止まらないエリザを、シルヴィオが隣から肩を抱き寄せてくれた。





 墓参りが終わってもそこを動きたくなかったエリザに、ロベルトはいつもの料理屋で待ってるからなといって、セノフォンテと丘を降りていく。


 暗くなりはじめた空の下に、エリザとシルヴィオだけが残っていた。


 シルヴィオが薄いガラスに触れるように、そっとエリザの背中に手を回してくれるので、エリザは甘えるようにその胸に顔を預ける。


 シルヴィオにこんな思いを抱く日が来るなんて、思いもしていなかったことだ。あの日・・・の自分に教えてやりたいと、エリザは少し顔をあげる。


「落ち着いたか、エリザ」

「うん……ありがとうシルヴィオ」

「別にいい。じゃあ、ロベルトたちと合流……」

「ちょっと待って。聞いてほしいことがあるんだ」


 エリザは、あの時のことを聞いてもらいたいとシルヴィオの足を止めた。

 伝えてどうなることでもない。けれども、ただ知っていてもらいたい。


「なんだ?」

「あのね……私、あの日……シルヴィオが、城に侵入してまで私に会いにきてくれた日……」


 シルヴィオが危険を冒してまで、会いにきてくれた理由が、今ならわかる。

 だからこそ、今の気持ちとともに伝えておきたい。


「あの日、私は決意してたの。すべてを失おうと、あなたに嫌われようと……自分に課せられた使命を果たさなければならないって。だから、シルヴィオを追い返した」

「……ああ」


 ほんの少し、寂しそうに潤んだシルヴィオの瞳に、エリザは左手を伸ばした。


「でもね……今は嫌だ。すべてを失うなんて気が狂いそう。シルヴィオに嫌われるのは、もっと嫌……!」


 フラッシュバックに襲われる頻度は少し減ったとはいえ、それでもシルヴィオをその度に傷つけているのは変わらない。

 嫌われたく、ない。


 エリザの左手がシルヴィオの右手にそっと触れられる。そのまま手を口元に移動させられたかと思うと、ちゅっとかわいい音を立てた。


「なにがあっても嫌ったりしない。もう二度と、すべてを失う覚悟なんかさせたりしない。信じてくれ」


 いつもは冷淡に見える顔が、とても熱く感じて。

 エリザの胸は、なにかが満たされるようにぬくもりが広がっていく。


「ここにいる、ジアード様に誓う。エリザを守り、一生愛することを」


 シルヴィオは決意の言葉とともにジアードの墓の前に向くと、リオレイン流の敬礼のポーズをとってみせた。


「ありがとう、シルヴィオ……信じる……信じるから……っ」


 その騎士の誓いを見て、エリザはぎゅっとシルヴィオにしがみついた。

 シルヴィオの愛情は、求めれば求めるだけ返してくれる。



 すべてを失おうと、あなたに嫌われようと。



 そんな風に思わずにすむように、シルヴィオはきっとエリザを愛し続けてくれるのだ。


 私も、シルヴィオにこの気持ちを伝えたい……返したい。


 そんな思いとともに、エリザは声にする。


「シルヴィオ、好き……誰より、一番……」


 まるで子どもがするような告白になってしまったと、エリザの頬は熱を持つ。

 受け入れられることがわかっている告白は、安心して伝えられて……でもドキドキして。

 シルヴィオは今まで見たことがないような幸せな笑みに変わる。


「エリザ……」


 ゆっくりと、シルヴィオの唇が降りてくる。

 誓いのキスだと感じたエリザは、そっと目をつむった。


 空はいつの間にかとばりが下りていて、星は流れることなくきらきらと瞬いていた。



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最後までお読みくださりありがとうございました。

次の作品はジアードとセノフォンテの若い頃が出てきますので、またよろしくお願いします。


→次の作品を読む

『恋した人に愛されたくて』

https://kakuyomu.jp/works/16816927862298317276



→前の作品を読む

『王子に溺愛されています。むしろ私が溺愛したいのですが、身分差がそれを許してくれそうにありません?』

https://kakuyomu.jp/works/16817330650156557360



シリーズでまとめた作品一覧はこちらからどうぞ!

https://kakuyomu.jp/shared_drafts/rk5Gail1hzaxSis63deP90imcruwuoIv

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すべてを失おうと、あなたに嫌われようと。 長岡更紗 @tukimisounohana

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