32.気づき
パタンと音がして、部屋からロベルトの姿が消えた。
エリザが急いで胸元のボタンをとめようと焦っていると、代わりにシルヴィオの指が降りてきてボタンを穴にくぐらせてくれる。
「あり……がと……」
「ああ」
たったこれだけのことで顔に熱が集まってくるのがわかる。変な動悸もしてくるし、恥ずかしくて顔をあげられない。
ロベルトが、変なこというから……っ
先ほどの『お前、ちゃんとエリザに好きだっていったか!?』というロベルトの言葉を頭で反芻させた。
ロベルトはきっと、なにか勘違いしている。シルヴィオには好きな人がいるのだから、好きといってもきっと友人としての好きに違いないのだから……そう思っていても、どこかで期待してしまっている自分がいた。
なんで、期待なんか……
自分の気持ちが理解できず、シルヴィオを前でもじもじしてしまっているのが、なにか悔し恥ずかしい。
「エリザ」
名前を呼ばれることなど慣れているはずなのに、勝手に心臓がドキンと大きく動く。
目だけでシルヴィオを見上げると、やはり彼は真面目な顔でエリザを見ていた。
「最初にいっておくべきだったな、悪かった」
「なに、を……」
「俺の好きな人は、エリザだ」
その言葉に、エリザの頭の中は一瞬真っ白になった。
頭が回らずぽかんとシルヴィオを見上げると、くらりとするほど美形な顔が、少し意地悪く微笑んでいる。
「う……そ?」
「本当」
「いつから!?」
「覚えてない」
覚えてないほど昔から、ということだろうか。
にわかには信じがたい話だ。
「だから結婚をしたいと思ったのは、エリザの腕の責任を取るためじゃない。きっかけではあるが、このことがなくてもエリザの生涯の伴侶となりたかったことに変わりはない」
これは、大真面目なシルヴィオが、責任をとるために嘘をついているのではないか……そんな思いが拭いきれず、エリザは声を上げた。
「でも今まで一度も、それらしきことをいわなかったじゃない!」
「まぁエリザがジアード様一筋なのは見てわかってたからな」
「それでも普通、好きなら態度に出るでしょ!?」
「ロベルトにはバレバレだったみたいだから、態度には出てたはずだが」
「うそ、全然知らないんだけど!」
「エリザは、ジアード様並みに鈍感だしな」
「そんな、ことは……っ」
そういいかけて、エリザは言葉を飲み込んだ。同じことをカーラにもいわれていたことを思い出し、むむっと口を歪める。
「だから俺は元々、エリザと結婚したいと思っていたんだ。腕の責任を取るというのは……エリザにイエスといわせるための小細工だったことは、否定できないな」
「なにを自信満々にいってるの、シルヴィオ」
冷淡な顔立ちで堂々と小細工発言をするシルヴィオに、エリザは思わずぷっと吹き出した。
そのまま止まらずクスクス笑っていると、シルヴィオの大きな手が降りてきて、頭をそっと撫でられる。
「久々に、エリザの笑う顔を見られたな」
「あ……うん、そうかも」
ずっと笑えていなかったことに、エリザは今初めて気づいた。
少し笑うだけで、氷が溶けはじめたような、少し人に優しくなれるような、安堵感が心に広がる。
「結婚、してくれないか。エリザ」
真っ直ぐに向けられたシルヴィオの透き通った瞳。
最初にそういわれた時とは桁違いなほどに、胸が高鳴った。
エリザのことを好きだといってくれたシルヴィオ。今は信じられる。腕のこととは関係なしに、プロポーズしてくれているということくらいは。
「で、も……」
「やっぱり……ジアード様のことが忘れられないか」
「それは、もちろんそうだけど……」
ジアードは初恋の人で、エリザを救ってくれた人で、父親のような人だったのだ。絶対に、忘れられるわけがない。忘れたくない。
「けどそれは、シルヴィオやロベルトと同じ気持ちだと思う」
ジアードは二人にとっても大切な上司で主人で、かけがえのない人だっただろう。
すでに故人となってしまった人への思いは、おそらく彼らと変わりない。そもそもエリザは、とっくの昔に振られているのだから。
「じゃあ、俺のことが嫌いか?」
少し不安を纏った表情に、エリザは首を急いで横に振った。
「嫌いなわけない! 好き、だけど……っ」
「ロベルトと同じ〝好き〟か?」
ロベルトへの〝好き〟と、シルヴィオへの〝好き〟という気持ちに、差はあるだろうか。
エリザは真剣に考えた末に答えを出した。
「違う、と思う……さっき私……ロベルトに迫られた時、シルヴィオがいいって……シルヴィオの顔ばかりが出てきたよ……」
本当のことを伝えただけだというのに、顔が徐々に熱くなる。
シルヴィオは驚いたように少し目を開くと徐々に顔が綻び、エリザをゆっくりと抱きしめた。
「シル……」
「ずっと一緒にいたい。偉そうな約束はできないが、絶対に大切にする。これだけは守る」
シルヴィオの心が嬉しい。でも、だからこそ胸が痛む。
「でも、私……またいつ、シルヴィオに酷いこといっちゃうかわからない……!」
突如襲われるフラッシュバックに、エリザは恐怖していた。
近くにシルヴィオがいれば、きっと罵倒してしまう。どうして死なせてくれなかったのと責めてしまう。
「シルヴィオを、傷つけたくない……っ」
ころころと涙がこぼれ落ち、シルヴィオは抱きしめていたエリザの体から離れていく。
誰だって、傷つけられるのは嫌に違いない。一緒にいないほうがいいのだから、逃げるシルヴィオを責めてはならないと、エリザはぐっと口を噤んだ。
「それでもいい。エリザがそばにいないほうが、俺はよっぽど傷つく」
真剣な瞳のシルヴィオに、またも涙が溢れ出てくる。今度は喜びからの、涙が。
「シルヴィオ……いいの?」
「いい。本当は傷つけたくないと思ってくれているだけで、十分だ。それは、俺を好きな証拠だろ?」
そうだ、好きだから傷つけたくない。
いつのまにこんなに好きになっていたのか、思い返してもわからない。
エリザは返事の代わりにこくんと頷いた。それを見たシルヴィオが、少し泣きそうな顔で目を細ませて笑っている。
「結婚、してくれるか」
「……うん」
その答えに、シルヴィオはエリザの左手を取ったかと思うと奴隷印にキスし、右腕の切断面にキスし、そして最後にエリザの唇へとキスしてくれた。
奴隷であることも、右手のないことも、エリザ自身を全て受け入れてくれるという証なのだろうか。
ふわりとくすぐるシルヴィオのまつ毛と髪を感じながら、エリザは優しい口づけを受け入れたのだった。
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