31.答え

「ただい──……、どうしたんだ? 二人とも」


 シルヴィオから二十分遅れて帰ってきたロベルトが、いつもの空気と違うことを察したのか、そんな声を上げながら帰ってきた。


「いや、なんでもない。食べよう」

「ん? ……おう」


 ロベルトはそれ以上は踏み込まず、いつもと同じように三人で夕飯を食べる。

 食後の片付けはいつもロベルトとシルヴィオがしてくれていて、エリザは自室に戻ってベッドに座った。

 エリザは一人になると、先ほどいわれたシルヴィオの言葉を思い返す。


『結婚しよう、エリザ』


 その言葉に、今さらながらどきどきと胸が高鳴ってきた。

 責任を取るためだけだとわかっているが、それでも生まれて初めてされたプロポーズだ。

 もしできるなら、罪悪感や責任感など関係のないところで、聞いてみたい言葉だった。


「シル……ヴィオ……」


 もし、なんて考えたところでどうしようもない。そうわかっているのに、なぜか胸が悲鳴をあげるように痛みを発し始める。

 シルヴィオと結ばれるなんてばかげた話だと、吐く息とともに痛みを吹き飛ばした。

 お互いに好きだなんて感情はないはずだ。もし、あったとして……斬った斬られたの関係では、幸せになれるとは思えない。


「っふ、幸せって……」


 頭を掠めた幸せという言葉に、思わず嘲笑する。

 奴隷となって、こんな状況になってもまだ、人並みの幸せを追い求めている自分がおかしかった。

 苦痛なく生きられているだけで、十分なはずなのに……と心を納得させようとしたその時、トントンというノックの音が部屋に響く。


「はい?」

「俺だ。入っていいか?」


 ロベルトの声がして入室を促すと、後ろ手に扉を閉めて中に入ってきた。


「なに、ロベルト」


 ベッドに腰掛けたまま見上げると、ロベルトは珍しく大真面目な顔でエリザを見下ろしている。


「話は、シルヴィオに聞いた」


 その言葉に、目の前のロベルトから少し下方に目を逸らす。するとロベルトはエリザの許可なく隣に腰掛けると、視線を無理やり合わせるように覗き込んできた。


「シルヴィオと一緒にいるのがつらいなら、俺と……二人で、一緒に暮らすか」

「え……?」


 一緒にいてつらいのは……きっと、エリザの方ではない。エリザの右手を見るたびに罪悪感に駆られている、シルヴィオの方。

 エリザはそんなシルヴィオを見るのがつらいだけ。結果的にロベルトのいったことは当たっているのだが。

 ロベルトの真剣な瞳が、エリザの瞳に焼きつけられる。


「出しゃばるつもりはなかった。けど、斬った者と斬られた者がそれぞれに罪悪感を抱いて生きていくくらいなら」


 ロベルトはエリザに寄り添うように体を近づけたかと思うと、そっと背中に手を回してくれた。


「ずっと、好きだった。俺と結婚してくれ」


 ロベルトの急なプロポーズに、自分でも驚くほど胸が高鳴っていた。これは喜びという感情なのだと、認識できるほどに。


「ロベルト……」


 ロベルトとなら、楽しく暮らせるかもしれない。

 シルヴィオはエリザのない右手をみるたびにつらくなるだろう。きっと、シルヴィオはエリザの腕を奪った責任を逃れようとはしない。おそらく、一生。

 そんな風にシルヴィオを縛り付けて一緒になっても、きっと幸せとはいえない。だから、エリザはシルヴィオの求婚を断ったのだ。


「一緒に、幸せになろうぜ」


 目を細めて笑うロベルト。優しく愛しい瞳でそういわれた瞬間、涙が溢れ出てきた。

 一緒に幸せになろう……当然といわれれば当然の言葉だ。結婚とは、ともに幸せになるものなのだから。

 嬉しい反面、胸が苦しみを訴え始めた。

 その言葉をいってほしかったのはロベルトではなく、シルヴィオだったのだと気づいて。

 だがシルヴィオには感情が伴っていない。それがわかるからこそ、余計につらかった。


「エリザ」


 サイドの髪をかき上げられ、瞳が近いところで交差する。


 でも、ロベルトとなら……


 ゆっくりと迫りくるロベルトの唇。

 ロベルトは、エリザのことを好きだといってくれる。

 いつも明るいロベルトとなら、幸せになってもいいのだと……そう思える。

 しかし頭では理解しているのに、キスされるのだと思った瞬間、エリザは抵抗するようにロベルトの胸を押し出していた。


「いや……っ! 私やっぱり……」

「俺じゃあだめか?」


 だめじゃない。ロベルトほどの優しくて頼りになる男はそういないし、エリザだってもちろん彼のことが好きだ。それはもう、大好きなのだ。

 なのに、なぜか心はロベルトを拒否している。それがどうしてなのか、自分でもわからない。


「だめじゃない……だめじゃない、けど……」

「シルヴィオ、だろ?」


 ロベルトの口から出てきた互いの親友の名前に、エリザは無意識に体を震わせた。


「なん、で……シルヴィオは、関係な……」

「忘れさせてやるよ」


 また、ホロリとなにかが溢れそうになる。

 ロベルトは、きっと全部を承知の上で……自分を受け入れてくれるのだとわかって。


「……忘れられるの……?」

「ああ」


 ゆっくりと迫る口づけを、今度は避けなかった。

 ただなぜか、重なった唇はとても優しかったにも関わらず、ボロボロと涙だけが流れ落ちる。

 その涙でさえもロベルトは口づけてくれて、より一層胸が苦しくなった。


「エリザ」

「ごめ……なんか、止まらなくて……」


 目の前にいるのはロベルトだというのに。

 彼と一緒なら、幸せになれるとわかっているのに。

 だからキスを受け入れたはずなのに。


 どうして、シルヴィオの顔ばかり出てくるの……っ


 このままではロベルトに申し訳ない。涙を止めようとすると、エリザの体はゆっくりと押し倒され、ベッドの上へと組み敷かれた。


「ロ、ベ……?」

「夫婦になるんだし、いいだろ。忘れさせるには、この方法が手っ取り早い」


 そういったかと思うと、ロベルトは自身の上着をグイと脱ぎ去り、その厚い筋肉をあらわにさせる。あまりの展開に、エリザは頭が追いついていかない。


「まっ……うそ、冗談、だよね?」

「冗談いってるように見えるか?」


 少し笑ってはいるが、大真面目なときのそれだ。

 だからこそ、エリザの血の気は引いた。まさか、いきなりこんなことになるなんて考えてもいなかったのだ。

 ロベルトの手がエリザの体を這い始め、勝手にびくりと腰が跳ねる。


「やめて……やめて、ロベルト……」


 抵抗を試みるも、片手ではまったく歯が立たない。


「なんで……! やめて、おねが、やめてぇっ」

「……やめねぇ」


 本気でするつもりなのだとわかり、必死に抵抗した。

 受け入れるという選択肢は、なぜかエリザの頭の中から吹っ飛んだ。

 下着に手を掛けられた瞬間、エリザは考えるよりも先に叫び声を上げる。


「シルヴィオ!! 助けて、シルヴィオー!!」


 声の限り叫ぶと、別室にいたシルヴィオがバタンと扉を開けて駆けつけてくれる。

 ロベルトに迫られているエリザを見て、シルヴィオは複雑な顔をした。


「ロベルト、とりあえず離れろ。エリザが嫌がってるように見える」

「ああ、嫌がってんな」


 ロベルトはそういうと、あっさりとエリザから離れていく。

 エリザは慌てて起き上がり、あらわになった胸元のシャツを左手で握り締めると、ロベルトから離れてシルヴィオの影に隠れた。


「無理やりするなんて、お前らしくないぞ。ロベルト」

「そーだな。でもこれで気持ちがわかっただろ、エリザ」


 鼻歌でも歌い出しそうな表情で、ロベルトは上着を取り、袖を通し始める。

 きょとんとその姿を見ていると、服を着終えたロベルトがこちらを見てニッと笑った。


「ロベルト……まさか、わざと……?」

「おう。俺がお前のことを好きだっていったのも、一緒に暮らそうっていったのも、全部嘘だ。あ、もちろん友人としては好きだけどな!」


 その言葉にほっとはしたが、喉に異物が入ったような違和感だけが残る。

 エリザがなにもいえずにいると、ロベルトは黙ったままのシルヴィオに向かっていった。


「エリザはお前がいいんだよ。お前と一緒にいた方が、幸せになれるんだぜ」

「だが」

「お前、ちゃんとエリザに好きだっていったか!? 腕を斬っただとか責任だとか、そういうことをとっぱらって話してやれよ!」


 ぷんすかと怒ったあとは、この男らしくニカっと笑う。

 人の機微に聡く、なんでも器用にこなすロベルト。

 だからこその、こんな手段だったのだろうか。


「ロベルト……」

「ごめんな、エリザ。嫌なことしちまって」


 その言葉に、エリザはふるふると首を振った。

 なんでも表情に出るロベルトの、その悲しそうな顔。

 彼が一緒に暮らそうといってくれた時は。

 好きだといってくれた時は。

 キスをしてくれた時は。

 どんな顔をしていたのかを思い返してみる。


 ロベルトがエリザを好きだと断定していたのは、確かカーラだったか。

 あの時、エリザはそんなことがあるわけないと笑い飛ばしてしまったが、今なら──


 足を進めてエリザたちとすれ違おうとするロベルトに、エリザは言葉をかける。


「ごめん……ごめん、ロベルト……」


 ちょうど真横に来ていたロベルトは、その場で一瞬止まり。


「……ありがとう、だろ」


 そういって、エリザの後ろにある扉を開けて出ていった。

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