27.闇

 ファルムの家は一階建ての、貴族でもなんでもない一般的な家庭のようだった。

 隣家とはかなり離れていて、ポツンとさみしく建っている印象を受ける。

 中に入ると、奥さんらしき人物と息子らしき人物がにこにこと立っていた。

 そんな彼の家族の姿を見るとエリザの杞憂だったのだろうかとも思ったが、二重の扉を通って地下室に連れて行かれた瞬間、そんな生ぬるい考えは吹き飛ぶことになる。

 その場所は、壁沿いに大きな壺がいくつも置かれていて、なにかがこもったような奇妙な匂いがした。

 暗い部屋の隅には、一人の女性がうつろな瞳でうずくまっている。いや、うずくまっているのではなく、両足がないのだ。

 事故か、病気か、それとも……。

 にこにこ笑うファルムを見上げると、彼はさも自慢げに彼女に近づいた。


「ほら、彼女は綺麗だろう? 私の初めてのだるまちゃんになれるよ、きっと」


 嬉しそうに彼女の切断面を撫でるファルム。

 やはり彼女の足をこうしたのは、彼で間違いない。


「これだけ根本から切ると、みんなショック死するか失血死してしまってねぇ……彼女はとっても優秀なんだ」


 みんな、という言葉にゾクリと身震いする。この男は一体何人の女性を犠牲にしてきたというのだろうか。

 この国での奴隷の人権はないらしく、なにをしても自由とはいえ、あまりにもむごい。


「でもねぇ、彼女は人妻だったらしくてねぇ……処女じゃないんだよねぇ……」


 にこにこ笑いを舌なめずりに変えたファルムは、エリザの体を凝視してくる。その視線から逃れるように、エリザは横を向いた。

 なにか、武器になりそうなものはないだろうか。片手でも扱えそうな武器は。

 目だけで探すも、切断の道具はここに置かれていそうにない。


「まぁ、ゆっくりしてくれ。ああ、トイレはその壺にねぇ。彼女の汚したものは、妻のイナーが掃除するから」


 そういってファルムは地下から出て行き、扉が閉められた。

 壁の一番上に細長い小さな窓があった。光はそこから差し込み、空気も出入りしているようだ。

 エリザは動かない女性に近づくと、そっと声をかけた。


「あの……話せ、ますか?」


 虚ろな瞳はわずかに動いて、そして戻っていった。


 こうしてエリザは、このファルムの家の地下で生きることとなった。

 食事は三度出る。ファルムの妻が、エリザたちの世話を焼いてくれて不便はなかった。

 体も拭いてくれるし、部屋も清潔にしてくれる。それでも染み付いたこの地下の奇妙な匂いは取れなかったが。

 もちろん外には出してもらえないし、毎晩ファルムが切断面を撫でていくのも気持ち悪いが、それさえ我慢すれば奴隷収容所よりは楽だ。

 いつか切断されるという恐怖さえなければ。


 エリザは暇を潰すように、一緒に地下にいる女性に話しかけ続けた。

 一方的に自分のことを聞かせ続けていたら、ある日、彼女は返事をしてくれた。名前はベルタナというらしい。

 元々はルドマイン皇国の貴族階級だったが、夫が軍人で最後まで皇国に残ったがために、奴隷にされたのだと彼女は語った。

 そうしてエリザはお互いの境遇をベルタナと話をして一日を過ごすようになり、そのまま何事もなく二週間が過ぎた。

 それだけこの地下室で過ごしていると、大体の状況が掴めてくる。ファルムは普通の会社員のようだが、それほど高給取りではないようだ。朝八時に家を出て、五時過ぎに帰ってくる。休みは日曜だけ。

 ファルムの妻のイナーとは、食事や掃除の時など、毎日のようにやりとりがある。その言葉の端々から、ファルムのやり方にはついていけない様子が窺えた。

 そして二人の息子であるヨーランは、十五年前の二歳の時にやはり奴隷として買ってきて、自分たちの息子としたようだ。

 毎日しつこく話しかけるうちに、イナーはヨーランに本当の愛情を抱いていることまで教えてくれた。そして、地下にいる奴隷に逃げられたり、わざと逃したりしたときには、ヨーランを殺すと脅されている……とも。


 イナーが協力してさえくれれば、逃げ出すのは容易だと思っていた。

 けれど仲良くなったベルタナを置いてはいけないし、仮に逃げられたとしてもヨーランが殺されてしまう。

 傷つけると犯罪になってしまう一等国民のイナーが殺されることはないにしろ、彼女を悲しませることはしたくない。


 ファルムを、殺すしかない。


 エリザはそういう結論に達した。

 ただ、イナーは仕事をしておらず、収入源はファルムにのみ頼っている状態。ヨーランの学費のこともあり、この生活を破綻させるようなことはしないだろう。なにか武器が欲しいと頼んでも、きっと渡してはくれまい。


 じゃあ、どうする?


 武器もなく、左手しかない状態で飛びかかっても、返り討ちにされてしまうだろう。それどころか二度と逆らえないようにと、手か足のどちらかを切断されてしまうかもしれない。

 そうなってはもう、抵抗すらできなくなる。


 確実に、ファルムを殺す方法は……


 上手くいくかはわからないが、武器を手に入れる方法はひとつだけあった。それは、四肢を切断する時。なんらかの道具を持ってくるはずだ。


 それを……奪う!


 奪えるかどうかはわからない。

 そもそも、その時に自由を与えられているとも限らない。

 けれど方法は、それしかなかった。


 そうしてその日は訪れる。

 いつもはなにも持たずに地下に降りてくるファルムが、大きなナタを持って降りてきたのだ。

 それを見た瞬間、ベルタナがガクガクと尋常でなく震え始める。


「さて、今日は誰の、どの部位を切り取ってやろうかなぁ……?」


 ファルムは楽しそうにエリザとベルタナを交互に見ている。決意は十分に固まっていた。


 隙をついてあのナタを奪う…… そしてそのまま、あの首を斬り落とす!!


 その後のことは、正直まだ考えていない。

 そのまま逃走するかどうかは、イナーの出方もあるし、現在の段階で決められることではなかった。

 ただ今実行しなければ、誰かの腕か足がなくなってしまうことは確実なのだ。


 ファルムが一歩一歩階段を降りてくる。

 降り切ったその瞬間になにかを投げつけようと、エリザはコップを置いてある小さなテーブルへと一歩進む。その動きに気づいたファルムが、じろりとエリザを見た。


「ん? そういえば、お前は騎士だったなぁ」


 普通はナタを見れば後ずさるものだろう。そこを進んでしまったため、ファルムに怪しまれてしまったようだ。

 どうする、と逡巡した隙に、ファルムがイナーとヨーランを呼んでしまった。


「イナー、こっちのだるまちゃんを縛り上げておいてくれ」


 後ろから紐を持ったイナーとヨーランが降りてきて、エリザの目の前へとやってくる。

 にこにことしていたはずのイナーは、急に無表情へと切り替わった。


「やめて、イナーさん……っ」

「ヨーラン」


 イナーの合図を受けたヨーランに手を掴まれて後ろに回された。抵抗する術なく、腕ごと胴をぐるぐるに巻かれた上、柱に縛り付けられてしまった。


 どうしよう……切断、される……っ!!


 足に力が入らず、その場にへたりこむ。心臓が爆発するのではないかと思うほど大きな音を立て、ハァハァと空気が小刻みに出入りした。

 しかし左腕ごと紐で巻かれた姿を見たファルムは、エリザへの興味を少し失ったようだ。


「そっちのだるまちゃんは、先に手をなくしておきたかったんだよなぁ。今日は久しぶりに、こっちのだるまちゃんにするかぁ」


 ファルムはベルタナに視線を移した。ベルタナは「ひぃ」と声にならない声を上げ、両手で逃げようと這いずり回る。

 やめてと叫びたいのに、声が出なかった。こちらに対象が移るのが怖くて、声を出すのを脳が拒否している。


 そうしてベルタナは、ファルムに左腕を斬り落とされた。


 エリザは、なにもできずにその光景を見るしかなかった。


 ファルムが出て行ったあと、イナーが包帯を取り出してベルタナを介抱している。その途中で、イナーは手当をやめた。


「……死んでるわ」


 まるでよくあることのようにイナーは呟き。

 エリザの脳は閉ざされたように闇に落ちていった。

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