26.飼い主

 翌日、エリザは奴隷市に連れていかれた。

 このラゲンツ国では公的に奴隷が認められているからか、思ったよりも格段にきれいで広い屋内施設だ。リオレイン王国では闇の売買のイメージがあったので、少々面食らった。

 どちらにせよ、奴隷の行く末などろくなものではないだろうが。


 奴隷はひとりずつ壇上にいき、バイヤーによって野菜のせりのように値段がつけられていく。

 基本的に若い者の方が値段が高く、美醜や元の職種によっても変わってくるようだ。

 たった千ジェイアで売れていく者から、三百万ジェイアに跳ね上がる者までさまざまだった。

 命に値段をつけられていることが、なんだか虚しい。


「次はお前の番だ。行け」


 会場を仕切っている者に促されて、エリザは素直に壇上にのぼった。

 片腕がないのを見て「いらない」という声が聞こえる中、「おお」と歓喜する声が混じっていて身震いする。


「次は珍しい片腕の女です! 二十三歳で処女、前職は騎士! 十万ジェイアから──」

「二十万」


 即座に手を挙げた人物を見て目を見張る。

 そこには真剣な目をしたロベルトがいた。


「三十万!」

「四十万」


 エリザに値段がつけられると、即座にロベルトも値を上げてくる。

 しかしそれも八十万までで、そこからは手を上げなくなってしまった。そこが限界だったのだろう。

 結局そこから、エリザは二百二十五万ジェイアまで値上がって決着がついた。

 愛好家の熱意というのはすごいものなんだなと他人事のように思う。壇上から去る時、最後にロベルトの姿を見ようと思ったが、どこに行ったのか見当たらなかった。


 諦めたのかな……。


 諦める以外、どうしようもないとわかっている。しょうがないことだと自分にいい聞かせるも、胸の奥がじわじわと痛んで仕方ない。

 ここまでしてくれたことに感謝をすると同時に、裏切られた気になってしまって。

 自分勝手な感情に嫌悪しながら、〝飼い主〟を待つ部屋へと入れられたあと、その男と対面した。

 一見すると普通の気の良さそうなおじさんだが、人を買う時点でろくな男ではないだろう。


「私はファルムだ。よろしくな。かわいい私のだるまちゃん」


 そういってファルムは愛おしそうにエリザの切断面を愛でている。

 ゾワリと鳥肌が立ち、蹴り上げてやりたい衝動に駆られたが、後で酷い目にあわされそうでぐっと我慢した。


 馬車に乗せられると、ファルムは御者に住所を伝えている。どうやら彼の家に向かっているようだ。向かい合って座っている異常者はにこにこと嬉しそうで、吐き気がしてくる。

 景色を楽しむ余裕などなく歯を食いしばっていると、ガコンと馬車が止まった。


「どうした、なにがあった?」


 ファルムが馬車を降りて御者に確認している。


「申し訳ありませんねぇ。車輪の調子がおかしくて……」

「ちゃんと点検しておかんからだ。直るまでどのくらいかかる」

「三十分あれば……」

「他の馬車を拾った方が早い」

「いえ、十五分で直しますので、どうぞあちらの店でゆっくり待っていてください」

「まったく……その分、割り引いてもらうからな」


 ファルムは大きな息を吐いて紐を取り出すと、エリザの左手と馬車をきつく結びつけた。


「十五分で戻るからな」

「へぇ」

「その時に直っていなければ、お前が責任持って辻馬車をつかまえるんだぞ」

「わかりました」


 ファルムはぶつぶつ文句をいいながら小さな店に入って行ったが、御者は焦った様子もない。車輪をぼうっと眺めているだけで、なにもしようとはしていなかった。

 なにか様子がおかしいとエリザが不思議に思った瞬間、何者かが馬車に飛び込んできて、びくりと身を震わせた。


「エリザ」

「ロベ……っ」

「しっ!」


 身をかがめているロベルトが、エリザの口を手で塞いでくる。

 逆側にはシルヴィオがいて、当然のように紐を解こうとしながらエリザにいった。


「降りて俺の馬に乗れ。御者は買収済みだ」

「買収……?」

「三等国民だそうだ、協力してくれた。急ぐぞ」


 シュルッと紐から解放されたエリザの奴隷印を見て、シルヴィオは一瞬顔をしかめた。

 奴隷印を隠そうとするも、逆の手がないことを思い出して、エリザはシルヴィオから顔を背ける。


「エリザ、行こう」


 もだもだとするエリザにシルヴィオは促してきて、「でも」とエリザは疑問を口にした。


「ここから逃げて、どうするの……?」

「それは……」


 口ごもるシルヴィオ。昨日の今日で時間がなかったのだ。きっと、対策などなにも打てなかったに違いない。


「だめだよ……私がいなくなったら、きっと私を買おうとしていたシルヴィオたちの仕業だって気づかれる。私たちは逃げられても、今度は二人の家族が犠牲になるんじゃないの?」

「……」


 返事のないことが、きっと答えだ。

 家族を国外逃亡させる時間もなかったのだから、当然だろう。二家族そろっての国外逃亡など、あのアリビの国境を考えると難しいに違いないが。


「こんなにまでしてくれて……ありがとう。ロベルト、シルヴィオ……」


 いっときの感情だろうが、それでも家族よりもエリザを優先してくれたことが嬉しかった。

 本当のことをいうと、怖い。逃げたい。連れ出してほしい。

 けどそのせいで彼らの家族が犠牲になるようなことがあっては、エリザは生涯後悔するだろう。


「だからって、エリザを置いていけるかよ! このままじゃ、お前は……っ」


 ロベルトに、先のない肘を優しく掴まれる。

 そう、このままではエリザは、全身がこう・・なってしまうかもしれない。

 それだけは、絶対に嫌だ。


「……今、殺してくれる?」


 エリザにはそれしか方法がなかったというのに、二人の顔は強ばった。


「お願い……楽に、死なせて……っ」


 苦痛と屈辱を与えられながら生きるくらいなら、今この場で二人に殺されたい。

 そしてそれは、今しか叶わないのだ。


「お願い……お願い……」


 エリザの意思とは関係なしに、涙が滑り落ちた。

 左手をシルヴィオが、右肘をロベルトが握ってくれている。


「……そんなことが……できるわけ、ねぇだろ……っ」


 エリザの必死の懇願にも関わらず、返ってきたのはロベルトの無情な言葉。


「シル、ヴィオ……」


 頼みの綱のシルヴィオを見上げるも、苦しそうにエリザから顔をそらされた。

 所詮、二人は他人だ。

 エリザが苦痛でうちひしがれようと、きっと関係ないのだ。

 ロベルトとシルヴィオの残酷な決断に、エリザの全身をめぐる血は絶望色に染まる。


「どう、して……」


 その時、御者が慌てたように声を上げた。


「やばいですよ、店を出てきそうです!」

「っく!」


 二人の顔に焦りの色が浮かび、馬車から飛び降りた。


「エリザ、なにがあっても必ず助け出すからなっ」


 ロベルトはそういって馬車から去り。


「もう少しだけ、耐えていてくれ……頼む……」


 シルヴィオも、急いで馬車から離れていく。


 助けてくれる……?

 本当に? どうやって……?


 聞き返せる距離ではすでにない。けれども体の血は、少しだけ浄化された気がした。


「おい、なんで奴隷の紐が外れているんだ!」


 戻ってきたファルムが、エリザの拘束が解かれているのを見て怒りの声をあげている。


「すみません。痛そうだったので、おいらがちょっと外しました」

「勝手なことをするな、逃げられたらどうするんだ。おい、車輪は直ったんだろうな」

「はい、それはもうばっちりで……」

「なら出せ!」


 ファルムは御者に対して横柄な態度でそういうと、またにこにことエリザの前に座った。


「ああ、楽しみだなぁ……高い買い物だったから、じっくりかわいがってあげるよ。私のだるまちゃん」


 この男を相手に、どこまで正気を保っていられるだろうか。

 エリザは絶望の中、ロベルトとシルヴィオの真剣な顔と言葉を思い出して光にした。

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