25.奴隷

 目が覚めると、ベッドの上だった。どこからか入ってくる、うっすらとしたランプであろう光。しかしそれだけでは、朝か夜かもわからない。

 見回すほど広くもなく、三面は壁、一面は格子という部屋で牢屋なのだとすぐにわかった。

 人の気配はするが、この牢にはエリザ一人だけだ。服はシーツに穴を開けただけのような簡素なものを被らされ、腰紐はすぐにもちぎれそうな細いものだった。

 どこか嘘のような出来事だったが夢ではないらしく、エリザの右腕は肘より先が見当たらない。

 包帯が巻きつけられて治療されているが、まだ血が滲んでいるし激痛が走った。

 おそらく、シルヴィオたちが助けてくれたのだろう。それにしてもこの状況が掴めない。

 エリザはどうにか立ち上がり、左手で格子を握って見張りらしき男に話しかけた。


「すみません、ここはどこですか?」


 そう問いかけた瞬間、男は剣を鞘ごと格子にぶつけた。

 ガァンという音が牢内に響き渡り、エリザはドッドと心臓を鳴らしながら一歩下がって絶句する。


「黙れ、奴隷」


 奴隷。その一言ですべてを察した。

 リオレイン王国は、もうないのだと。

 戦争に負け、こうして生き残ったものは奴隷にされたのだ。思えば当然のことである。

 最後まで抵抗していた者に自由を与えるわけがない。いつ反旗を翻すかわからぬものは、殺すか奴隷に落とすのが一番面倒がないのだから。


 見張りの男が別の男になにかを伝えている。そうしてしばらくすると、焼きごてを持った男が見張りの男とともにエリザの牢屋に入ってきた。

 なにをするのかは見当がついた。抵抗したいが無駄だろう。相手は剣を持った屈強な男が二人。対してこちらは、布の服一枚の利き腕がない女だ。


「手を出せ」


 焼きごてを持った男に命じられるまま、エリザは左手を出した。後ろから見張りの男に蹴飛ばされ、床にへばりつく。

 そのまま靴で左手首を踏みつけられると、焼きごてが迫ってきた。


「い、や……あああああああああーーッ!!」


 ジュウという音に、立ち昇る煙。肉の焼ける臭いが牢屋中に広がり、焼きごてと男の足が離れた瞬間にのたうちまわる。

 男たちはそんなエリザを見て、笑い声を上げながら牢を出て行った。


「ぐ、くうう……っ」


 左手の甲に、黒い奴隷の焼印。

 右腕を切断されたことに比べればなんてことないはずなのに、耐えられないくらい痛い。


 私が気を失ってる間にやってくれたらいいのに、起きてから焼印するなんて……


 はぁはぁと大きな呼吸をして痛みを逃す。

 少し落ち着くと、これからどうなってしまうのかという不安で頭がいっぱいになった。



 それからエリザは、牢で寝起きすることとなる。食事はお世辞にも美味しいとはいえない上に一日二回だが、量的には問題ない。

 二日目の朝になると、牢屋の外に出してもらえた。

 ここはどうやら、ラゲンツ国の奴隷収容所らしい。ここで糸紡ぎや畑仕事をさせられながら、〝飼い主〟を待つようだ。

 奴隷を欲しがる者が直接ここに買い付けに来ることもあれば、週に一度ある奴隷市場に出され、そこで買われることもあるらしい。

 右腕を失っているエリザに糸つむぎは難しく、収容所の掃除を命じられてあちこちをきれいにして回った。それでも片手というのは、雑巾ひとつ絞るのにも時間を要したが。

 いつか売られるときのためにと、手の治療はしてもらえた。

 奴隷といえど治療や食事など、最低限のことは保証してもらえるようでホッとする。

 しかしそれも売りに出されるまでの話だ。売られた先では、どんな人物が飼い主になるかわからないのだから。


 あの時、どうしてとどめを刺してくれなかったの……


 こんな状況では悲観するしかなく、エリザはシルヴィオを心で責める。

 一度助かってしまうと、自殺という選択肢は怖くてできなかった。もう二度と、あんな痛くて怖い思いはしたくない。

 けれど、このままでは死ぬより酷い目に遭わされるかもしれないという恐怖とのせめぎ合い。

 その末に、やはりあの時に死んでおけばというループに陥って苦しんだ。


 そうして収容所で過ごすこと、一週間。

 いつものように掃除をしているエリザのもとへ、ラゲンツ兵が〝客〟を連れてきた。


「ここで右手のない女というと、こいつしかいませんな」


 そんなラゲンツ兵の言葉が聴こえてぼうっと男の後ろを確認すると、黒い服を着た二人の騎士がエリザをじっと見ている。


「彼女を買う。いくらだ」


 即答したその声はロベルトそのもので、エリザは目を見張った。

 そこには藤色の騎士服を黒く染めただけのシルヴィオと、なぜか一等国民の証であるラゲンツの騎士服を纏ったロベルトの姿。


「こいつは百万ジェイアですね。お買い得ですよ」


 奴隷は二束三文で取り引きされると思っていたエリザは、その額に驚いた。

 リオレインにいた頃なら出せる額だろうが、今のロベルトたちにそんなお金があるのだろうかと二人を見上げる。


「さっきの奴隷は、十万ジェイアだといっていたが?」


 ロベルトの表情ですぐにわかる。どうやらお金は持ち合わせていないらしい。


「あれはもう三十を過ぎていて子どももいる女ですからねぇ。それにこいつは、だるま愛好家に高く売れるんですわ」

「だる……」


 その言葉にはロベルトとシルヴィオだけでなく、エリザの血の気も引いていく。

 知識としてはあった。四肢を切断して愛でる異常者がいるということくらいは。


「私は知らないが、四肢を切断して生きられる人間というのは少ないんだそうでね。その点こいつはすでに一本をクリアしているから、少々高くとも買い手がつくんですわ」


 そんな愛好家に買い取られては、待ち受けるのは地獄しかない。体が勝手にガクガクと震え、エリザは縋るように二人を見た。

 ロベルトとシルヴィオは、怒りの中に悔しさが滲み出ていて。今にも剣を引き抜きそうなロベルトを、シルヴィオが押さえているような状況だ。

 この兵を倒してエリザを連れて逃げおおせたとして、身ばれしているであろう二人の家族が奴隷に落とされるだけだろう。


 私のために、そんな危険なことを冒す二人じゃないってわかってるけど……っ


 シルヴィオの静かに怒る様子と、今にもブチ切れそうなロベルトを見ていると、気が気じゃなくなる。


「ああ、私に怒らんでくれ。だるまにしてから性玩具にするやつもいるとか、私だって気がしれんと思っているよ」

「性玩具、だと?」

「驚くことじゃないだろう。女の奴隷の使い道など、大方そんなもんだ。おい」


 男に下卑た笑みで目を向けられ、エリザはぞっとした。


「お前は、処女か?」


 ここで大真面目に答えれば、値段が上がってしまうことだろう。

 だからエリザは首を横に振る。


「違います……経験は、あります……」


 思わず目を逸らしてしまうと、訝しんだ男にガスっと蹴りを入れられてしまう。


「うぐっ」


 すねを靴で蹴られたエリザは耐えきれず、その場にうずくまった。


「やめろ、彼女は商品だろ! 無闇に傷つけるな!!」

「どうせだるまになるんだから、足に傷を負ったくらいじゃあ値段は落ちないんだがねぇ……で? 処女ではないとはいうのは本当か?」


 グイッと顎を持ち上げられ、刺さるような眼光を突きつけられる。


「それ、は……」

「本当のことをいったほうが身のためだぞ。処女である可能性があるから、お前には誰にも手を出してないだけだからな」


 舌なめずりをされて、心底吐き気がした。

 それでも非処女だといい張れば、今夜なにが起こるかは想像がつく。変な動機でうまく呼吸ができない。


「……です……」

「あ? 聞こえないぞ?」

「処女、です……っ」


 頭が熱く、真っ白になった。

 こんなことをいわされる羞恥と怒りと理不尽さで、この場に溶けて消えてしまいたくなる。

 男は満足のいく答えを得たのか、ニヤッと笑いながら立ち上がった。


「だ、そうですわ。今の情報も鑑みて、こいつの価値は百五十万ジェイアというところですなぁ」


 予想以上に値段が釣り上がってしまった。百万でも無理そうだったものが、これでは絶望的だ。


「……金は、必ず調達する」

「うちは即金での取り引きなんでね。ないならお帰り願いますわ。こいつは明日の奴隷市に出す予定なんでね」


 明日、奴隷市というフレーズにエリザの身が凍る。

 明日までにお金を揃えるなど、到底不可能だろう。

 元リオレイン国民から頼んでお金を借りるにしても、奴隷という立場にいるのはエリザ一人だけではない。他の誰かも、大切な誰かを救うためにお金を用意しなければいけない状況の中、家族のいないエリザのためにお金を出してくれるのは、ロベルトとシルヴィオ以外にはいまい。

 その二人も、どうしようもなくなったのか、身を硬化させたままだ。


「じゃあ、こいつを買い取りたいなら、明日の奴隷市場でたのんますわ。余裕を持って、二百は用意しておいた方がいいでしょうなぁ。あ、帰りはこちらですわ」


 ラゲンツ兵はエリザに背中を向けて歩き出した。

 その瞬間、二人の唇がエリザに向けて動く。


 ロベルトは『助ける』、シルヴィオは『待っていろ』とそれぞれに唇が動いたが、エリザはそれにうなずくことができなかった。


 どう助けてくれるつもりなのかはわからない。

 けれども、真っ当な方法では不可能ではないだろうか。


 私のせいで二人や家族が危険になるくらいなら……


 自死が頭をよぎったが、二人ならなんとかしてくれるかもしれないという希望を抱いてしまうと、それに縋りたくなってしまった。

 ロベルトとシルヴィオはすでに背を向けていて。

 エリザはその後ろ姿を、見えなくなるまでじっと名残惜しく眺めていた。

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