14.嵐

 遠ざかるジアードの背中。

 いけないとわかっていても、体が勝手にジアードを追いかける。


「エリザ!」

「行くな!」


 両腕を後ろからがっしりと掴まれた。

 ロベルトとシルヴィオが両脇から、前に出ようとするエリザを引き止めてくる。


「いや……ジアード様が……っ」

「止めるな、エリザ」


 ロベルトの冷たい言葉。


「二人は、平気なの……!?」


 平気なはずはない。そんなこと、エリザが誰よりわかっている。それでも聞かずにはいられなかった。


「こんな形で俺たちだけが生かされて、平気なはずがねーだろ……っ」


 ギリと噛まれたロベルトの唇からは、血が滲んでいる。逆側にいるシルヴィオを見ると、彼は奥歯を食いしばるようにして感情を殺していた。

 それでも彼らはジアードに従うしかないのだ。何世代にも渡って受け継がれてきた、その主従の関係がゆえに。

 ジアードに勝つ気がないとわかっているからこそ、余計に悔しいに違いない。


 ジアードが一人で草原の中に立つと、セノフォンテもお供をつけずに歩いている。そして鳥が上空をゆっくり旋回する中、二人は対峙した。

 その周りに横槍を入れられるものはおらず、一定の距離を保って全員が二人を注視している。


「ジア。お前とは何度こうして剣を交わしただろうな」


 するりと剣を引き抜き、ゆっくりとジアードに刃を向けるセノフォンテ。


「ああ。だが真剣を交わすのは、これが最初で最後となるだろう」


 ジアードもまた剣を引き抜き、切先をセノフォンテの剣と交差させる。

 一陣の風が吹き抜け、太陽の光が刃を鋭く輝かせた。


 背中を預け合って戦ってきたはずの二人が刃を向け合う姿は、心臓を蝕まれているかのようにじわじわと恐怖が襲ってくる。


「文字通り、真剣勝負だ。手を抜くなよ、セノ」

「お前がな、ジア!」


 二人は一度バックステップを踏んだかと思うと、それを合図としたかのようにお互い前に飛び出した。

 ガキンという剣戟があたりに響き、二人の剣が今度は鍔元で交差する。

 どちらかが死ぬまで終わらない戦い。

 セノフォンテが剣を振り下ろすたびにエリザの心臓がヒュッと縮まる。

 ジアードは縦の剣をいなすと懐に飛び込み、そのまま横薙ぎの剣を繰り出した。

 戻りざまセノフォンテは剣を受け止める。力技で弾かれると同時に突きだされ、ジアードは素早くバックステップを踏んだ。

 追い討ちをかけるようにセノフォンテが突っ込み、その勢いを利用するように剣を弾いたジアードが後ろを取る。

 すかさず繰り出されたジアードの剣技は、セノフォンテのバックガードによって防がれた。


 手の内を全て知り尽くしている二人は、薙ぐ剣を受け止め、断つ剣はいなし、受け流し、突く剣を躱してははじき返している。

 息を持つかせぬ攻防に、本当の〝真剣勝負〟なのだと実感させられる。


 わざと負けるつもりだと思っていたけど……気のせい、だった……?


 カーラの想いを知れたことで、死ぬ選択肢が薄れたのだろうか。

 わずかな光がエリザの胸を刺し、ぎゅっと祈るように指を胸の前で組む。


 勝って、ジアード様……っ

 カーラ様のためにも……お願い……


 日は徐々に傾き、あたりは夕焼け色に染まる。

 二人の影が長く伸び始め、ギンギンと刃の交差する音が何度も響いた。

 実力の拮抗したジアードとセノフォンテの戦いは、一騎討ちとしては驚くほど長時間、剣を重ね合わせている。

 すると次第に、ジアードの危うい場面が増えてきた。

 当然だ。ジアードはここ最近、まともな量の食事をとっていないのだから。

 思わず一歩前に出るエリザの鎖骨を、シルヴィオが大きな手でグッと押し留めてくる。


「今は、だめだ」

「わかってる、けど……っ」


 それでも足は勝手に駆け寄ろうとしてしまう。

 行ってはすべてを台無しにしてしまうとわかっているのに。

 劣勢に立たされるジアードを見ては、正気ではいられなくなる。


 ジアード様が……死んじゃう……!


 そう思った瞬間、鮮血が夕焼けに溶けた。

 ジアードの手からぽろりと剣が溢れ落ち、ガランと落ちる音がやたら大きく響いた。


「ジア……ド、様……?」


 長く伸びたジアードの影が、よろよろとおかしな動きを見せ、どうっと大地に張り付く。


「ジアードさまあぁぁぁああ!!」


 抑えられていたシルヴィオの手が離れ、エリザはまっすぐにジアードの元へと駆け出した。

 近づくたびに、仰向けに倒れた肩から腰にかけての傷が深いことがわかる。足をもつれさせるようにしてようやく傍までくると、エリザはガクンと膝をついた。

 血溜まりが、足にまでまとわりついてくる。

 もう、どうあっても、助からない。


「ジアード……さまぁ……っ」

「……エリ……すまな……」


 エリザをなでようとしたのか、その手がピクリと動いた。しかしただそれだけだ。

 その大きな手が、エリザの頭に届くことはない。


「死なないで……いやだ、死なないでぇ……っ!!」

「エ……ザ……たのみ、が……」


 息をするのも苦しそうな声に、エリザはすかさず耳を近づけた。

 ジアードの口から、今までに聞いたことのないほどの弱々しく、そして優しい言葉が放たれる。

 愛しい人の頼みが耳に入った瞬間、エリザの目からはするりと涙がこぼれ、ジアードの手をぎゅっと握った。


「必ず。ご安心ください……っ」


 エリザの言葉にジアードの口角が一瞬だけ上がったかと思うと、彼はそのまま逝った。

 握った手にはなんの反応もなく、たった今まで血の通っていた人は無機質なものへと変化している。

 死んだ、と理解しているのに信じられない。涙だけは勝手に目から滝のように流れ出ていた。

 いつの間にか後ろに来ていたロベルトとシルヴィオが、ジアードに対して敬礼のポーズをとっている。二人の涙をこらえている夕日に染まったその姿は、今にも叫び出しそうなほど苦しさにもがいていた。


「ロベルト、シルヴィオ」


 ジアードを殺した張本人、セノフォンテもまた傷ついたように二人に声をかけている。


「スカルキ家の当主は、今この時より俺が継ぐ。二人には色々働いてもらうことになるだろう。否は許さん」

「……っは」

「わかっております」


 三人の会話を、エリザは目を瞑ったままのジアードを見つめながら聞いていた。

 冗談だと笑って起きてくれはしないだろうかと、あり得ないことを願いながら。


 セノフォンテは、国境沿いの教会で受洗し全員改宗しろといっていた。洗礼の証は耳にされたカフスのようだ。

 ちゃんと見てはいないが、改宗した全員がそのカフスをしているのだろう。

 ロベルトとシルヴィオが第三軍団をいさめながら連れてくる。仲間のすすり泣く声で、エリザもまた涙があふれてきた。


「エリザ、行こう」


 そう促してきたシルヴィオに、エリザは首を横に振る。


「私は、行かない」

「……ずっとここにいるつもりか」


 そう、したかもしれない。

 きっと、自分の命が尽きるまで、ジアードのそばから動かなかっただろう。あの最後の頼みを聞かなければ。


「私は……王都にこのことを報告に行かなきゃいけない」

「だめだ。ジアード様は、ここにいる全員の改宗をかけて戦った。それにはエリザも含まれてる」


 最初はきっと、そうだった。ジアードは、エリザの思い上がりでなければそう思っていてくれてたはずだ。

 エリザに生きていてほしいと思ってくれている気持ちが嬉しかった。


「でも、この状況を誰かが王都に伝えなきゃいけない。王都にいるみんなの家族に伝えなきゃいけない。そうすれば、改宗者がもっと増えるはず……でしょ?」

「だったらエリザじゃなくてもいいだろう。俺が……」

「シルヴィオ」


 大きな影がシルヴィオを隠した。セノフォンテが近づいてきて、だめだとばかりに首を振る。


「お前が抜ければ、第三軍団の統率が崩れる」

「大丈夫です、ロベルトがいますから」

「だめだ。これは命令だ」


 命令といわれ、シルヴィオはぐっと言葉を詰まらせている。

 そんなシルヴィオを横目に、エリザはまっすぐセノフォンテを見上げて懇願した。


「どうか、このことを王都に知らせに行かせてください。改宗者が増えれば、余計な血を流さずにすみます」

「そうだな、もとより誰か一人は返すつもりだった。だが、お前じゃなくても構わないんだぞ」

「いいえ、ぜひ私に」

「エリザ!」


 シルヴィオが声を上げ、ロベルトも何かをいいたそうに顔を歪ませている。

 彼らも、そして第三軍団のみんなも、帰ってはいけないのだ。彼らがラゲンツに行った方が、残った家族はラーゲン教への改宗の決意ができるのだから。


「私が行くよ。私にはもう、誰もいないから」


 家族も、大好きだった人も。

 もう誰もいなくなった。


 シルヴィオは言葉を詰まらせ、どこか悔しそうにエリザから顔を背けている。


「私が、行きます」

「そうか……」


 セノフォンテはうなずき、馬を一頭与えてくれた。その気遣いに感謝し、エリザはジアードの遺体を起こそうと首筋に手を入れる。


「……手伝うよ、エリザ」


 ロベルトと共にジアードの重い体を持ち上げて馬に乗せると、落ちないように布で縛り付けてくれた。


「ありがとう、ロベルト……」

「ジアード様を、頼む……」

「うん」


 ジアードをこんなところに放置することなんてできない。

 きちんと王都で埋葬してあげたいと思うのは、第三軍団なら誰しもが思うことだ。

 ロベルトは第三軍団の馬の荷を下ろして、手綱を渡してくれた。


「エリザはこっちに乗れよ。疲れてるだろ」

「……いいの?」

「ああ、気にすんな」

「ありがとう」


 ロベルトの疲れた笑みに、エリザもまた力なく笑い返す。

 そうして馬に跨ろうとしたその瞬間、後ろから抱きしめてくるものがいた。


 あたりはもう薄暗くなり、後ろも振り向けない状態だったが、柔らかく長い髪が頬に当たることで誰かはわかった。


「シルヴィオ……」

「行くな、エリザ……っ」


 優しく……しかし強く繋がれた腕に、エリザはそっと触れた。

 シルヴィオは顔には出さないが、仲間思いの男だ。しかし、こんなにも熱い行動に出る男だっただろうか。

 エリザはその腕を、ゆっくりと外して振り返る。


「シルヴィオ……」


 一番星が、ようやく煌めく程度の明るさ中で、エリザは目を見張る。

 普段、顔色を変えぬシルヴィオが。

 どこか冷めていて、何事にも淡々と対応するシルヴィオが。


「なんて顔してるの……」


 泣いてはいない。けれども、心臓病を患ったのかと思うほどの苦しそうな表情。

 どうしてこんな顔をしているというのだろうか。


「エリザ……落ち着いたら、王都を抜け出してラゲンツに来るんだ……今は、ジアード様を……頼む」


 前半には返事をせず、エリザは後半にのみ頷いた。

 ジアードが死んだのは悲しいが、これでロベルトとシルヴィオは生きられるに違いない。

 それだけが、嬉しかった。

 二人には、生きて幸せになってもらいたい。ジアードと、己の分まで。


「じゃあ……ね。シルヴィオ、ロベルト」


 エリザは馬に飛び乗ると、ジアードを乗せた馬の手綱を手に取る。


 己の名を呼ぶ叫ぶシルヴィオの声を背に、エリザは王都への帰還の道を歩み始めた。

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