13.伝言
進軍を続けていた一行は、影が少し東に伸びた頃にセノフォンテの……敵軍の姿を確認した。
来ることを予期していたのか、あちらも戦闘準備は万端のようだ。占拠した村を背に、隊列を組んでこちらを見据えている。
両軍ともいきなりの突撃はせず、一定の距離を保って睨み合いを続けた。
第三軍団の士気は十分だ。熱気で焼け焦げそうなほど、エリザの肌を刺激してくる。
「みな、出てくるな。可能ならば、セノと話がしたい」
そういって、ジアードは今にも飛び出しそうな第三軍団の男たちを抑える。
「ロベルト、来い」
一歩前に出たジアードは、お供にロベルトを選んだ。にも関わらず、エリザも前に飛び出す。
「私もお連れください!!」
「エリザ!」
エリザを追ってシルヴィオも前に出てくる。二人を見たジアードは、いつものようには微笑まなかった。
「エリザ」
「おそばにいさせてほしいといいました! ジアード様は、了承してくださいました!」
真っ直ぐ訴えると、ジアードの目がほんの少し緩む。
「そうだったな……」
「いい、ですか!?」
「好きにすればいいといったのは、私だ。シルヴィオ、お前も来るんだ」
「っは」
許可をもらえたエリザは、冷たかった手足に体温が少し戻ってきたような気がした。
ジアードの隣をロベルトが、その斜め後ろをエリザとシルヴィオがついていく。
隠れる場所などない開けた草原地帯。
逃げることなどもう不可能。
ジアードは敵軍に近づき過ぎない位置で止まった。
向こうではセノフォンテがなにやら周りのものと話し、やはり三名のお供を連れてこちらに歩いてくる。
ドキドキと高鳴る心臓を抑えるように、エリザは拳をぎゅっと握りしめた。
「セノと話ができそうだ。私の言動に口を挟むなよ、三人とも」
こくりと頷いているロベルトとシルヴィオ。後ろにいるエリザが頷かなかったのを、ジアードが知る術はないだろう。
ざっざと音を立て、恐れもせぬ堂々たる風格で近づいてくるセノフォンテ。
お付きの騎士は一名が元リオレインの騎士、残り二名がおそらくラゲンツ一等国民の騎士だ。ラゲンツの国旗の色である黒と青を基調とした騎士服。
元リオレインの騎士は、藤色の騎士服を黒く染め直しただけのようで、デザインは今着ているエリザたちのものと変わらない。
「よう、ジア」
「久しぶりだな、セノ」
二人はこの緊張感の中、気安く名前を呼び合っていた。
隣にいたラゲンツの一等国民がセノフォンテを睨みつけているが、お構いなしだ。
「さて、お前の兵は約二百といったところか。この兵力差をどうするつもりだ、ジア」
「どうもこうも、全員が散る覚悟はできているよ」
「だが、散らせたくはないんだろう?」
なんでもお見通し、といった顔でセノフォンテは口の端をあげている。エリザのいるところから、ジアードの表情は見えない。
「死なせたくないなら、今すぐ全員を寝返らせるんだジア」
「それで納得するような奴らなら、とうにそっちに行っているさ」
「じゃあどうするつもりだ」
「背水の陣の第三軍団は強いぞ。そちらにも必ず被害は出る。こんな少数の軍を相手に、それはお前とて本意ではないだろう? セノ」
聞こえてくる低い声音は、どこか楽しそうですらあった。それは、セノフォンテも同様であったが。
「そうだな。俺がお前を倒せばそれで済む」
にい、と笑うセノフォンテに、隣にいたラゲンツの騎士が嫌な顔を見せた。
一騎打ちを提案しているのだとわかり、エリザの心臓がざわつき始める。戦うのがジアード一人だけでは、ともに死ぬことが……できない。
「ジア、お前が負けた時には、あそこにいる二百の兵は投降するんだな」
「投降ではなく、改宗させる」
「できるのか」
「納得させる」
投降ではなく、改宗。でなくば、奴隷にされてしまうということを、ジアードもセノフォンテも理解している。
「その代わり、俺が勝てば兵は一度ラゲンツまで引いてもらう。いいな」
「よし、いいだろう」
「こら待て! そんな勝手な一騎打ちなど許さんぞ!!」
隣で聞いていたラゲンツの騎士が声を荒げる。
その慌てぶりから元リオレインと現リオレインの騎士をぶつけ合い、三等国民の総数を減らす算段なのだろうということが、エリザにもわかった。
一騎打ちはラゲンツの思惑と反する。だからこそジアードは一騎打ちを提案し、セノフォンテはそれを受け入れたのだということも。
「この戦争の指揮は俺に一任されているはずだ。どう戦おうと自由だろう」
セノフォンテは高い視点からラゲンツの騎士を見下げるようにいった。
おそらくはラゲンツの騎士といえど、この者たちは情報伝達役の下っ端なのだろう。決定権などはなさそうだ。
「お前らの家族がどうなってもかまわんのだな!?」
そう脅すラゲンツの騎士にも、セノフォンテは臆さない。
「俺がジアに勝てば文句はないのだろう」
ぐっと言葉を詰まらせるラゲンツの騎士を横目に、セノフォンテは視線をジアードに戻す。
「ジア、一度戻ってそっちを説得してこい。俺もこっちの奴らを説得する」
「わかった」
ジアードとセノフォンテはお互いにじりじりと距離を空け、そしてくるりと踵を返した。
セノフォンテのお付きの者が背を向けたジアードに切り掛かって来ぬよう、エリザはシルヴィオやロベルトとともに警戒する。
ジアードが十分に離れたところで、エリザたちは後ろ向きのまま下がり、相手との距離が保てたところで急いでジアードに追いついた。
「ジアード様!!」
たった二百の本隊に辿り着く前に、エリザは飛び込むようにしてジアードに縋り付く。
「エリザ」
「おやめください、一騎打ちなんて……っ」
死んでほしくないと思っていた。仲間の、誰も。
確かに、この一騎打ちならば勝っても負けても、仲間は死なない。ジアードが勝てば、もうしばらくの猶予はできるのだから。
けれど……ジアードに勝つつもりはない。そんな思いを感じてしまったエリザは、震える手を隠せなかった。
「……すまんな」
くしゃ、と髪を撫でられる。
謝罪の言葉は、エリザの頭の中を真っ白にさせた。
するりと腕が離れ、ジアードはロベルトとともに本隊へと合流していく。その様子を、エリザはかすんだ目で追いかけるだけで、足は動かない。
ジアードから説明を受けたであろう仲間たちが騒ぎ出し、ロベルトがそれを押しとどめて説得に入っているようだ。
「……行かなくていいの、シルヴィオ」
エリザは、なぜかずっと隣にいるシルヴィオに、目も合わせず問いかけた。
「ロベルトがなんとかするだろう。あいつはなんだかんだと優秀だしな」
「シルヴィオは一見まじめだけど、不良騎士だよね」
「さぁな」
ふふ、と乾いた笑い声を上げたあと、エリザは口を閉じた。
いや、本当はわかっている。シルヴィオは本当の本当は、すごくまじめだ。
きっとこうしてエリザの隣にいるのだってジアード命令か、なんらかの意図があってのことなのだろうから。
しばらくすると、全員が納得してくれたようだった。納得する以外、選択肢はなかったのだろうが。
みながジアードの名前を呼び、勝ってくださいと祈るように願っている。
それに応えるようにジアードが高く拳を上げると、より一層『ジアード様!』と呼ぶ声が高まった。
ジアードが踵を返し、再びエリザの方に戻ってくる。
「シルヴィオ、外してもらえるか。エリザと少し話したい」
その言葉にシルヴィオは敬礼し、ロベルトの方へと歩いていく。
目の前のジアードは、眉尻の上がった強い顔をしていて、エリザの胸はしくしくと痛み始めた。
「エリザ。みな、納得してくれた。あとはエリザだけだ」
「ジアード、様……」
「私が負けたら、第三軍団は全員改宗する。エリザもそれに従ってもらう」
「いや、です……勝って、ください……っ」
エリザは子どものような感情で声を絞り出した。ジアードがいないなら、改宗したって意味はない。
上官の命令に背くのは軍規違反だがどうでもいい。みんなは助かっても、ジアードだけが死んでしまう。そんな未来は嫌だ。
「勝負は時の運だ。どう転ぶかはわからんよ」
「わざと、負けるなんてことは……」
「そんなことはせんさ」
にこりともしないその表情。嘘が下手だ、とエリザは奥歯を噛み締めた。
どうあっても、止められないのだろう。一騎打ちを止めたところで、全面戦争に突入するだけだ。こちらが全員殺されるのは目に見えている。
見送るしか、ないの……?
ジアードだけが死ぬとわかっていて、送り出さなければいけない。
それが最善なのだと頭ではわかっていても、心の反発は激しくて。けれど、泣いて叫んでわがままをいうほど、子どもでもなくて。
死を目の前にしたジアードを見ると、エリザはカーラとの約束を思い出した。
「では、行ってく……」
「待ってください! カーラ様が……っ」
「カーラ?」
想い人の名前を出されたジアードは、一瞬強ばった顔を解いた。
「カーラ様が、ジアード様に伝えてほしいと……」
「……なにをだね」
「カーラ様の言葉……そのままお伝えします」
本来は、カーラが死んだ時に伝えるはずだった言葉。けれども、今をなくしていつ言えるというのだろうか。
エリザはあの日の美しいカーラの涙を思い出しながら、まっすぐジアードに告げた。
「『カーラは、あなたのことが大好きだった』……と」
徐々に傾き始めていた陽が、ジアードの頬を照らす。
目の端がきらりと反射し、口元にはほんのりと笑みがうかがえた。
「……そうか」
「なにかお伝えしたいことがあるならば、私が……」
「いや、いい。自分で伝えよう。ありがとうエリザ。カーラの気持ちを知れて……よかった」
自分で伝える……というのはきっと嘘だ。勝つつもりじゃない。むしろ、負けるつもりだからそういったに違いなかった。
カーラへの言伝を頼むと、エリザはリオレインの王都に戻らなければいけなくなる。そうなると、改宗してラゲンツにはいかなくなる……おそらく、ジアードはそれを危惧したのだ。
どこまで部下に優しい人なのだろうか。
わがままを、いってさえもらえないなんて……。
自分が頼られる存在でないことはわかっていた。しかし最後くらいは役に立ちたかったのにと、込み上げそうになる涙を飲み下す。
「エリザ、達者でやるんだぞ」
「……っ!!」
言葉が出てこないエリザの横をすり抜け、ジアードはぐんぐんと前に進んでいった。
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