09.嵐の前の静けさ
エリザがジアードに振られてからも、シルヴィオとロベルトは普通に接してくれていた。
暗がりだったとはいえ、大泣きしてしまって恥ずかしかったが、二人の気遣いは感じていたのでエリザも受け止められた。
カーラには、ジアードの寝返らせに失敗したことを告げた。
彼女は、「あなたでだめなら、仕方ないわね」と苦しそうに呟いただけであった。
それから一ヶ月、やはり改宗する人は増え、どんどん人は少なくなっている。いつも利用していたあの料理屋も、閉店してしまっていた。
宿舎の料理番もいなくなり、基本的にみんな自炊となった。昼間は軍務があるため買い出しにもいけないし、行けたとしても店自体が少ない。そもそも生産者が奴隷落ちを恐れて少なくなっているのだ。食事もまともにありつけない。
ロベルトやシルヴィオが家から食料を持ってきてわけてくれるが、それだってなけなしの食べ物だろう。その分、彼らの家族や使用人がお腹を減らすわけだから、あまり無茶はいえなかった。
「はぁ……お腹減った……」
窓を開けて夜空を見てもお腹が膨らむわけではないが、寝転ぶと余計に空腹を感じる。
これはみんな改宗してしまってもしょうがないなぁと、ぼーっと三日月を見つめていると、部屋の扉がノックされた。
「はい?」
「あー、私だが。食事はすんだかね?」
ジアードの声に驚いて、扉を慌てて開ける。そこにはやはり、優しい目をして微笑む大柄の男が立っていた。
「あ、一応食べましたが……」
といった瞬間、ぎゅるるる〜と派手な音を立ててお腹が鳴く。
こんな時にやめてよと自分のお腹を押さえながら見上げると、ジアードはそっと笑っていた。
「もしよければ、うちで料理を食べないかね」
「……ジアード様のお家で、ですか?」
「ああ。正直にいうと、料理を、その……作ってほしいのだが。できるかね?」
「え? そりゃあ、簡単なものなら作れますが」
そう伝えると、ジアードは『助かった』といわんばかりに息を吐いた。
「実は、うちの使用人も
照れ臭そうに頭を掻きながら笑うジアードは、やはりかわいくてついつい顔が緩んでしまう。
「じゃあ、私でよければ。ジアード様のお口に合うものを作れるかどうかはわかりませんが」
「どんなものでも嬉しいよ。私が作ると、貴重な食材を無駄にしてしまうからね」
どうやらジアードは、料理が苦手らしい。そんなところもかわいいなと思いながら、エリザはジアードの家に向かった。
高位貴族であるジアードの家は、この王都の中でも驚くほど大きい。
が、中に足を踏み入れた瞬間、冷たい空気がエリザを襲った。人のいる気配が、まったくしないのだ。
「……誰も、残っていないんですか……?」
「ああ。最後まで残っていた侍女と下男も、やっと説得できたのでな。出て行かせた」
どうやらその二人が、最後まで残っていた使用人だったらしい。きっとジアードを一人残してはいけない、忠誠心の高い人たちだったのだろう。
「……さびしいですね」
「……そうだな」
素直に認めたジアードは、広い家を眺めた。
かつて、ここには彼の妻がいて娘がいて、たくさんの使用人で溢れていたのだろう。
ジアードの瞳はなにかを探すように宙を舞い、しばらくしてエリザの瞳に戻ってきた。
「……台所はこっちだ。作ってもらえるかな」
「はい」
台所で出された食材は、やはりそう多くはなかった。二人分を作ってくれといわれて、エリザは恐縮しながらも自分の分も作る。
といっても大したものはできず、野菜のスープと、日持ちのする硬いパンを切って焼いただけの質素な食事だ。なにも食べられないよりは、よほどありがたかったが。
二人で向かい合わせにテーブルにつくと、温かいスープにほっと息を吐く。それがジアードと同時だったものだから、エリザたちは顔を見合わせて微笑んだ。
穏やかな時間だ。もうこの国が沈むなんて、考えられないほどに。
リオレイン王国の南の国境はもうかなり侵攻されていて、実質ラゲンツの統治下となっている。
人がほぼ住んでいない上に騎士も守りにつけられない状況なのだから、侵略するのは容易だったろう。それでなくとも、ラゲンツには元リオレインの騎士がたくさんいるのだ。どこをどう攻めればいいのか、熟知している者ばかりである。
本当に、いつ王都に攻め入られても不思議じゃない状況だ。
「エリザ。私は、ラゲンツ軍がこれ以上侵攻してきたときには、打って出るつもりだ。第三軍団は、全員連れて行く」
「はい」
第三軍団も人が減っている。負けることは確実だが、不思議と怖くはない。
エリザを置いていくと言われなかったことに、安堵したくらいだ。
「ここまで残った者に、なにをいっても無駄だろう。みな、命を散らす覚悟があると私もわかっている」
こくん、とエリザは首を縦におろしたあと、まっすぐにジアードを見つめた。
悔いはない。むしろ、ジアードのそばで死ねるなら本望だ。
本当の本当は、ともに生きたかったが。
「だが、ひとつだけ約束してほしいことがある」
「……なんでしょうか」
「私が死んだあと、無駄に後を追うようなことはするな。生きられるなら、生き延びろ。それが私の望みだ」
それが、ジアードにできる最大限の譲歩なのだろう。
気持ちは嬉しかった。ジアードにとって自分は、少しでも価値のある人間のような気がして。
「……わかりました」
おそらく、その約束は守れない。
ジアードが死ねば、きっと絶望しかなくなる。
その中でどういう行動に出るかは、その時になってみないとわからないのだから。
しかしエリザはそれを伝えることはせず、ジアードの言葉に従うふりをした。
やっぱり……死んでほしくない……
本人が覚悟しているのだから、どうしようもないとはわかっていても。しつこいと怒られるかもしれなくても。
ジアードが無駄に死ぬなといってくれたように、エリザだってそう思ってしまう。
「あの……ジアード様の想い人は、もうラゲンツにはいかれているのですか?」
自分では止められないのなら、その人にすがるよりほかない。
嫌な顔をされるかもしれないと思ったが、ジアードはとても穏やかだった。
「いいや。
「その方と一緒に、改宗することは……」
「いっただろう。思いを打ち明けるつもりはないと」
「けど……」
そこまで聞くと、エリザはなにかが引っかかった。
思いを打ち明けるつもりはない……つまり、打ち明けられない事情があるということだろう。
答えが出そうで出ないもどかしさに、エリザはつい聞いてしまった。
「どなた、ですか?」
「……口には出せん人だよ」
物悲し気なジアード。
誰が想い人なのかものすごく気になるが、これ以上は聞いても教えてくれないだろうと聞くのは諦めた。
「思いを打ち明けなくても……一緒に改宗を促してみては? このままじゃ、その人だって……」
そこまでいうと、エリザは言葉を止めていた。
その人にどんな事情があるのかはわからない。
しかし、ジアードのつらく苦しい瞳を見ただけで、どう足掻いても改宗できない人なのだろうということがわかってしまった。
ジアード様は、本当にその人が好きなんだ……
その人が改宗できないから、ジアード様もここで散るつもりなんだ……!
エリザは、誰だかわからない相手に嫉妬した。
その人さえいなければ、ジアードはエリザとともにラゲンツに行ってくれたかもしれないと思うと。
悔しく、やりきれない思いで心が支配されていく。
けれど、これ以上なにかをいえるわけもなかった。
少ない夕飯を食べ終えると、数点しかない食器を洗って片付け終える。
「もしよければ、これから毎日作りにきてくれると嬉しいのだが……」
照れたようにそういうジアードに、エリザは笑顔で「もちろんです」と答えた。
その瞳には、違う人が映っているのだろうなと思いながら。
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