10.別れ

 それから数日、エリザはジアードの家に通い、夜はご飯を作って一緒に食べた。

 二人きりの時間はとても嬉しかったが、カーラの想いを知っているエリザは、彼女に対して申し訳ない気持ちがつのる。

 カーラは結婚しないと決めているが、せめて食事くらいは一緒にさせてあげてもいいのではないか。そんな思いから、エリザは軍務中に隙を見てこっそり話しかけた。

 といっても今日の軍務は、放置された畑を耕したり、食べられる野草を探したりという仕事である。

 畑で実ったものはほぼ盗られているので、これからは畑の警護も仕事のひとつになりそうだ。


「カーラ様」


 軍団長であり王族の一人であるカーラも、剣をくわに持ち替えて畑を耕している。

 エリザが話しかけると、カーラは汗を拭きながら振り返った。


「あら、どうしたの? エリザ」

「私、最近ジアード様のところで食事をいただいているのですが、カーラ様も一緒にどうかと思いまして」


 カーラは一瞬パッと明るくなったが、すぐに元の軍団長の顔に戻している。


「それ、ジアードが誘ってくれたの?」

「いえ、先にカーラ様に伺いました。おそらく、ジアード様は否とはいわないでしょうし」

「そうね、彼はいわないでしょうね」

「あの……どうされます?」


 恐る恐る伺うと、カーラは美しい顔を遠くにいるジアードに向けている。


「私が直接ジアードにお願いするわ。あなたに誘われたといってもかまわない?」

「はい、それはもちろん! 事実ですし」

「ありがとう」


 そういって嬉しそうに笑い、くわをその場に置いてジアードの元へと歩き出した。その姿を見守っていると、後ろから誰かがそのくわをとっていく。


「よかったのか?」

「シルヴィオ」


 シルヴィオはそのくわで、カーラの続きを耕し始めた。畑仕事をするシルヴィオは似合わないなと思いながら、その姿を見つめる。


「よかったのか、って?」

「せっかく二人で食事していたんだろう」

「うん、でも……カーラ様も一緒の方がいいかなって」

「ああ……カーラ様も、ジアード様のことが好きらしいしな」

「知ってたの?」

「ロベルトが、多分そうだといっていた」


 無表情のままザクザクと土にくわを入れていくシルヴィオ。

 ロベルトは心を読めるのかと思うほど、人の心の動きに敏感だ。そういえば以前、エリザジアードが好きなのかといわれたことを思い出した。


「……カーラ様はもう覚悟しておいでだし……好きな人とちょっとでも過ごせたら、嬉しいと思うんだ」

「お人好しだな」


 ざくっと耕しながら、目だけで流し見てくる。

 シルヴィオに畑仕事は似合わないと思ったが、前言撤回だ。美形はなにをしていてもさまになった。


「私はもう、振られてるから」


 エリザのその言葉にシルヴィオはもう反応を見せず、黙々と畑を耕している。

 気づけばカーラはこちらに優雅に歩いて来ていて、エリザは姿勢を正した。


「どうでしたか、カーラ様」

「ふふ、お邪魔することにしたわ。今日から三人分の食事、よろしくね。私も料理はからきしだから」

「な、なるべく美味しいものを作れるように頑張ります……」


 早まったかなと少し思ったが、カーラの嬉しそうな顔を見て、これで良かったのだと自分にいい聞かせた。



 その日の夜からは、三人での食事が始まった。

 目上の二人と一緒に食事をとるというのは最初は気が引けたが、カーラもジアードも楽しそうにしているのを見るとエリザもリラックスできた。

 ジアードはもともと、たくさんの人たちと一緒に食事をとってきた人だから、人が増えることを喜んでくれた。カーラの方はいわずもがなだ。

 エリザは二人が話しているのを邪魔することはしないが、ジアードもカーラも気づかってエリザに話しかけてくれる。


「あら、この野草のサラダ、とてもいい味してるわ」

「ありがとうございます。ごまの油が手に入ったので、臭み消しに使用してみたんですよ」

「最初は野草の味に慣れる日がくるのかと思ったが、意外にいけるものだな」

「エリザの料理のおかげね」

「いえいえ、そんなことは……サラダなんて切るだけですし」


 この日も、そんなことを話しながら食べ進める。

 ジアードなんかは見た目にも痩せてしまっていて、量が足りていないのがわかるのだが、余分に分けようとしても絶対に受け取ってくれない。

 その度に、もう死を覚悟しているのだとわかって悲しくなる。


「そういえば今日は、バルナバが……」


 ジアードとカーラの間で交わされる、たわいもない話。

 それをぼうっと聞いているとなぜだかほっとした。この二人の声の振動が、とても緩やかに優しく流れるからだろう。

 柔らかに、嬉しそうに微笑むカーラはとてもかわいらしく、ジアードの優しい瞳と口調は体に沁み入る。

 お互いがお互いを思いやるような言葉の調べは、二人がデュオしているようにしっくりと落ち着くのだ。

 だからこそ、カーラが片想いなのは見ていて胸が痛かった。


 カーラ様は、ジアード様に好きな人がいること、知ってるのかな。


 エリザはそのことをカーラには伝えていない。勝手にジアードの情報を流してはいけないと黙っていた。

 カーラは素敵な人物だ。強くて優しく、軍団長でありながら王族。綺麗で凛々しくて、男だけじゃなく女だって心を奪われてしまってもおかしくない、そんな女性。

 恋敵ではあるのだが、エリザはもう振られてしまっているし、ついつい応援したくなってしまう。それが難しいことは、エリザもわかっているのだが。


 和やかに過ごしていたその時、ドンドンドンッと激しいノックの音が家に響いた。

 騎士職である三人は、すぐさま椅子から立ち上がって剣に手を掛ける。


「ジアード様! ロベルトです! 火急の知らせがあります!」


 ジアードを確認するとコクリと頷いたので、エリザは即座に玄関に飛んでいって鍵を開けた。

 するとロベルトが汗を拭いながら中に入ってくる。


「どうした、ロベルト」

「ラゲンツ国の部隊が、こちらに侵攻している模様です。真っ直ぐ来れば、明後日には王都に着くと思われます」


 明後日という言葉に、エリザはぶるりと身体が震えた。

 とうとう、来る。いつ来てもおかしくないとは思っていたが、具体的な日数を告げられると覚悟の中に恐怖が混じる。


「予定通り、第三軍団はこれから迎え撃つ。我が軍に今すぐ戦の準備をさせろ! 整い次第、ここを出る!」

「っは!」


 ロベルトはジアードの指示を聞くと、飛んで出ていった。

 動かなくては、とエリザも頭ではわかっているも、不安が押し寄せて体が固まる。


「ジアード……!」


 カーラがジアードに駆け寄っている。不安そうな表情を、隠してもいない。


「カーラはバルナバとともに王都の警備を固めてくれ」

「ジアード、やっぱりみんなでここを護った方が……」

「王がどういう決断をされるかくらいの時間は稼げるさ。第三軍団われわれが死ねば、さらに寝返る者も増えるだろうしな」

「……っ、ジアード……」


 王都まで攻め込ませてしまえば、もう寝返る機会は失われてしまう。第三軍団の命と引き換えに、少しでも多くの人を救いたいというジアードの気持ちが痛いくらいにわかった。


「……行ってはだめ……」


 絞り出されたカーラの声は、今にも消えそうなほど弱いもので、悲痛さがエリザにまで伝わってくる。


「……カーラ」

「あなたが行くならば、私も出陣します!」

「第四軍団まで、道連れにするな!!」


 ビリビリと家が鳴るほどの声を、ジアードはあげた。

 肌が粟立ち、どくどく動く心臓を押さえながら二人の行方を見守る。

 カーラは声を荒げられたことにひどく驚いたように呆然とし、ジアードはそんなカーラをきつい眉のままじっと見つめている。


「少しでも民衆を救いたいというのが、あなた方王族の願いだろう。今、カーラがすべきことは、第四軍団と残った民間人の説得ではないのか」

「それは……」


 カーラは言葉を詰まらせたあと、こくんとうなずいた。いや、うなずくしかなかったのだろう。

 王が降伏宣言をすると、その時点で リオレイン王国に所属していた者は全員奴隷にされてしまう。降伏は最後の手段なのだ。それでも、王族は処刑されてしまうに違いなかったが。


「そしてカーラ……できるならば、逃げろ」

「……え?」


 顔を上げたカーラは、先ほどとは打って変わって優しい目をしたジアードを見つめている。

 逃げろという言葉に、エリザも心で首を傾げた。一般人を装って、改宗しろということだろうか。しかしそれは無理がある。カーラは軍団長ということもあり、他の王族よりもさらに顔が知れ渡ってしまっている。


「リオレインでもラゲンツでもない、どこか他の国へ。戦乱に乗じれば、包囲網を抜けることも可能かもしれん」

「そんな! 国民や王を差し置いて、私だけが逃げ出すなんてことは……!」

「私は、カーラに生きていてほしいのだ。カーラにも立場というものがあろうから、強要はせんよ。ただ……選択肢には入れておいてくれ」


 ジアードは、優しい。この国で死ぬしかない運命のカーラに、生きるという選択肢を与えてあげた。

 実際にカーラがどうするのかは、わからないが。

 カーラの目からするりと涙がこぼれ落ち、ポツリと床が濡れてじわりと広がる。


「私は、ジアードにこそ生きてほしい……今からでも遅くはないわ。第三軍団は今からみんな改しゅ……っ」


 言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 ジアードの唇が、カーラの唇を押さえつけていたから。

 その瞬間、エリザはようやくカチリとなにかが嵌った気がした。


 そっか、ジアード様の好きな人って……


 見てはいけないと思っていても、涙を流すカーラがきれいで。彼女の唇をむさぼるジアードが、切なくて。

 その光景を見ていると、涙が溢れそうになる。


「ジ、アー……」


 やがて離されたカーラの唇からは、愛しい人の名前が漏れ出す。


「すまない。この不敬は、私が戦死することで帳消しにしてくれ」


 ぼろぼろとカーラの海色の瞳から雫がなだれ落ちる。

 なにかをいいたそうに口をはくはくとし、それでも声にならない姿に胸を締め付けられた。

 ジアードはカーラから視線を移し、エリザを真っ直ぐに見つめる。その顔は、すでに第三軍団長のそれだった。


「行くぞ、エリザ! 覚悟はいいな!」

「っは!!」


 振り返らずにこの家を出て行くジアード。

 エリザはそんな己の軍団長を追いかけ、泣き崩れるカーラをあとにした。

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