08.シルヴィオとロベルト

 エリザはジアードとともに個室を出た。

 振られてしまって悲しい気持ちと、それでもそばに置いてくれる喜びがない混ぜとなり、不思議な感情が生まれている。

 それでも、最善は夫婦となってラゲンツ国に行くことだったのだから、心はつらさの方がまさった。


 廊下を出た先には、先ほどエリザが座っていた場所にシルヴィオがいた。ロベルトもこちらを振り返りながら立ちあがる。どうやら、待ってくれていたらしい。


「ジアード様、エリザ……」


 一歩前に出たシルヴィオが、どうすればいいか探るようにジアードを見ていた。ジアードはそれに応えるように口を開く。


「シルヴィオ。先ほどの話は、なしだ」


 その言葉に、シルヴィオがコクリとうなずく。するとジアードは、自嘲するように眉を垂れ下げた。


「お前の言った通りだったよ。エリザは納得しなかった」

「そうだと思いました」


 どういうことかとジアードを見上げると、彼は顔だけをエリザに向ける。


「シルヴィオは、エリザが納得した上でなら、ラゲンツに責任を持って連れていくといってくれたのだ。無理やり連れていくようなことはせんだろうから、心配せずともいい」


 優しく微笑むジアードに、エリザはほっとした。

 実力行使に出られてしまえば、エリザはこの三人にかなうはずがないのだから。

 しかし安堵と同時に疑問が湧き出てきて、エリザはシルヴィオに目を向けた。


「ラゲンツに連れていくって……もし私がそうするっていったら、シルヴィオも改宗するつもりだったの?」

「……まぁな」


 そう答えるシルヴィオの視線は、エリザから逸らされる。そんな彼をエリザはぽかんと見上げた。

 シルヴィオが、ジアードを置いたまま改宗なんてあり得ない。ジアードの言葉に逆らえないのは、わかっているが。

 隣ではなぜか、ロベルトがにやにやしながらシルヴィオを見ていて、エリザは首を傾げた。


「さて、私は帰るがお前たちはどうするね」

「俺たちはもう少し飲んでから帰ります。エリザは俺たちが送りますので」


 エリザがなにかをいう前に、ロベルトに勝手に決められてしまった。

 ジアードは「頼んだよ」といいながら支払いを済ませると「あまり飲みすぎないようにな」と料理屋を出ていく。

 それを三人で見送ると、今度はロベルトが支払いを始めた。どうやらジアードが、こちらの分の支払いも済ませてしまっていたようだが。


「あれ? まだ飲むんじゃないの?」

「これ以上飲ませたら、シルヴィオが倒れっちまうぜ」


 顔が変わらない人物なのでわからなかったが、どうやらシルヴィオは相当飲んでしまったようだ。ちゃんと歩いてはいるが、いつものような洗練された動作ではない。


「大丈夫? シルヴィオ」

「ああ、俺は大丈夫だ」


 少しとろんとした瞳に、哀愁が漂っている。

 ロベルトと違って、シルヴィオはあまり表情に出さない男だ。

 なにを考えているのだろうか。ジアードの命令だったとはいえ、エリザとともに改宗するつもりだったなどと、理解ができない。


 あ、もしかして、私と一緒にラゲンツ国に行くのがいやで、やけ酒してたのかな。


 順当と思われる答えを導いたエリザは、呆れながら笑ってシルヴィオの背中をぽんと叩いた。


「ばかだなぁ。私がシルヴィオと二人だけで、ラゲンツに行くわけがないでしょ」

「……ああ、そうだろうと思ってたさ」


 どうやらシルヴィオには、エリザの行動を読まれてしまっていたようだ。ならば心配する必要もなかったはずなのにと首を捻らせる。

 ふとみると、ロベルトがあちゃーという顔をしていた。ロベルトの顔色はわかりやすいが、なぜそんな態度になるのかは、エリザにはやっぱりわからなかった。


「ま、出ようぜ。二人とも」


 エリザとシルヴィオは、ロベルトに背中を押されるようにして店をあとにする。

 家の灯りも人気もない大通りを進むと、数歩先を行っていたロベルトが突如振り返った。

 暗がりなので、近くにいてもお互いの顔ははっきり見えない。


「エリザ。ジアード様に、ちゃんと告白できたか?」


 いきなり確信をついた質問に、ちょっとは配慮してほしいとロベルトを睨んだ。見えてはいないだろうが。

 この暗さなのに、なぜだかシルヴィオの視線だけは強く感じる。


「……したよ、告白。するつもり、なかったのにさ……」


 ズキズキと胸の痛みがぶり返してきた。

 ぎゅっと服の裾を握り、大きくなる息を噛み殺す。告白するよう促してきたロベルトを責めたところでどうしようもない。

 結果はだめだったが、きちんと伝えられたことには感謝しているのだ。だからなるべく、明るく振る舞おうとエリザは顔を上げた。


「私もさー、ジアード様のお嫁さんになりたいーだなんてバカなこと言っちゃって。ジアード様にすごく困った顔させちゃったよ。あ、でもね、優しいんだよ。気持ちは嬉しいっていってくれてさ。結局、私がおそばに仕えることも許してくれて……」


 明るく喋ろうとすればするほど、グサグサと胸に刺さってくる。二人の男は、闇の中で沈黙を保っているだけで。エリザは、ぐっと奥歯を噛み締めた。


「……ちょっとは、笑いなさいよ……」


 こっちはなるべく明るく終わらせようとしているのに、二人はお通夜のような暗さである。そんな二人に、なぜか肌がピリピリと逆立ってきた。

 どこからか悲しい泉が湧き出てきそうで、抑えようとすると口調が荒くなる。


「笑えばいいじゃない。どうせ、心の中では笑ってたんでしょ!? 私みたいな一介の騎士が、ジアード様の心を射止められるわけがないって……もしかしたらなんていう、勘違いすらはなはだしいって!」

「エリザ……」


 完全なやつあたりだと思っても、ふつふつと湧き上がってくるものは止められない。二人がどんな顔をしているのかなんて、見えない。知らない。


「私みたいな孤児が、あんな名家の当主に、相手にされるわけないのに! ジアード様はお優しいから、私の告白は困らせただけで……っ」


 困らせた。

 ジアードは、困っていた。確実に。


 ふえ、と子どもみたいに声をあげそうになって、むぐっと手で口を押さえた。

 うーーという情けない声が、こもった手の中から漏れて溢れる。

 告白できて良かったんだと、思おうとした。けどやっぱり、悔しくて苦しい。


「……悪かった、エリザ。お前が振られるの、わかっててけしかけた」

「うぅ……なん、で……」

「いつまでも、進みそうになかったからよ」

「なに、が?」


 しゃくり上げながら聞き返した言葉は、ロベルトには届かなかったらしい。

 沈黙するロベルトの代わりに、シルヴィオがの声が聞こえてくる。


「俺は、エリザがジアード様を落とす可能性もあると思ってた。そうすれば二人とも生きられるし、最善だったはずだ」

「あんなに飲んでたくせによくいうぜ……」

「うるさい、ロベルト」


 なぜか呆れたような声を出すロベルトに、シルヴィオは冷たく言い返している。

 そんなやりとりを聞いて、エリザは身を縮めた。


「期待にそえなくって、ごめんね……」


 そうなのだ。エリザがジアードとうまくいっていれば、一緒にラゲンツに行ったことだろう。そうすればシルヴィオとロベルトもこの地にとどまる理由はなく、みんなで改宗できたはずだったのだ。

 そんなエリザの心を読んだのか、シルヴィオが優しい声をあげる。


「別に、エリザがジアード様と結婚できなくても問題ないんだ。あやまる必要はないさ」

「うわー、お前も素直じゃねえ!」

「……」


 ロベルトの声がピタッと声が止まった。

 なぜだかシルヴィオから解き放たれている無言の圧力はエリザも不快だ。そんな空気をやわらげるために、エリザは問いかける。


「ロベルト……私がジアード様のこと好きって、なんで知ってたの?」

「いや、お前の態度はバレバレだし……気づいてないのは、ジアード様本人くらいのもんだったぜ」


 そうだったのかと思うと、急に恥ずかしくなってきた。

 明日からちゃんと第三軍団の仲間の顔が見られるだろうかと心配になる。


「まぁここにもバレバレ君はいるけどなー」

「やめろ」

「え、シルヴィオも誰か好きな人、いるんだ?」


 暗がりの中、シルヴィオの顔を見上げる。どんな顔をしているのかわからないが、無言をつらぬいているのをみるに、触れてほしくはないのだろう。


「ああ、ごめんごめん、聞かないよ」

「……ヘタレ」

「黙ってろ」


 ロベルトはヘタレというが、好きな人の名前をいうのは、結構勇気のいることだ。無理して聞き出すつもりなんて、さらさらない。


「シルヴィオは、うまくいくといいね」

「……そうだな」

「私は、だめ、だったからさ……」


 もう止まったと思った涙が、再び溢れそうになる。

 ぐすっと鼻を鳴らすと、二人の視線が注がれるのがわかった。


「あー、ごめん。私ちょっと、だめっぽいや。ここから一人で帰れるから……じゃ……」


 体を翻して逃げようとした瞬間、ガシッと誰かに腕を掴まれる。涙が弾けるように飛び出して、エリザの頬を濡らした。


「泣けばいいさ。この暗さじゃ、エリザの泣き顔はどうせ見えない」

「けしかけたのは俺だしな。放っておけるわけねーだろ」


 振り返ると、二人はとても優しい顔をしていた……気がした。

 優しくされると、なぜだかとても込み上げてくる。


「あは、は……私……思った以上に、ジアード様が好きだったみたい……」

「ああ」

「断られても、諦めたくなくて……」

「……そうか」

「で、も……」


 ポロポロと耐えきれず涙が押し寄せてくる。

 この二人のせいだ。二人がやたら神妙で、優しいから。


「ふ、振られちゃったぁ……ああああぁぁ」


 広げられた二人の腕の間に飛び込む。

 びえええ、と情けない声をあげて泣くエリザを、シルヴィオとロベルトは優しく包んでくれた。

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