07.告白
この料理屋に来るのはしょっちゅうだが、エリザは個室を利用するのは初めてだ。
個室は料金が跳ね上がるだけあって、防音もしっかりしているし、貴重そうな絵画や花瓶が飾られていて無駄に緊張した。
もうお互いに食事はすんでいたので、飲み物だけを頼む。少ししてジアードのコーヒーとエリザの紅茶がくると、ジアードの方から切り出された。
「それで、話というのはなんだね」
誰もいない二人っきりの個室。そんな場所で目尻を緩やかにさげられた顔を見ると、勝手に耳が熱くなり、心臓もばくばくと波打ってしまう。
もう、ロベルトが変なこというから、意識しちゃうじゃない!
ハテナとでも音が出そうな顔をしたジアードは、四十歳であるにも関わらず、とてもかわいらしい。といっても女っぽいわけではなく、むしろ太い首やら厚い胸板は、軍内で一番男らしいのだが。
おそらくジアードは、無自覚にいろんな人を虜にしている人だ。なのに鈍感なものだから、とてもタチが悪いと思う。そこがまた、いいと思えるところでもあるのだが。
不思議そうな顔をするジアードを見て、かわいいと絶叫したくなる衝動をぐっとこらえたエリザは、考え考え口を開いた。
「えーと、ですね……あの、私にお時間をくださって、ありがとうございます」
最初に当たり障りのないことを伝えると、「どういたしまして」と微笑まれるものだから、どうしていいのかわからなくなる。
忙しいジアードの時間を奪ってしまっているのだからと頭を切り替え、カーラにいわれた言葉を脳内で整理した。それでも、どう切り出したものかと迷ってしまう。
少し悩んだあと、エリザはある男の名前を出すことにした。
「……セノフォンテ様は、どうしていらっしゃるでしょうか……」
改宗してラゲンツにいってしまった、第二軍団長でジアードの従兄、セノフォンテ。どういう反応をされるだろうかとびくびくしていると、ジアードは少し困ったように笑っていた。
「セノは、あちらでもうまくやっているだろう。あいつは騎士としてしか生きられん男だから、いつか私と戦うときがくるかもしれんな」
後半は顔を曇らせていて、それでも覚悟したような力強い声が部屋に響く。
「つらくは、ないんですか……?」
「つらいかつらくないかでは考えないよ。私は、私のやるべきことを貫くだけだ」
それは、もしセノフォンテと対峙することがあれば、刃を向ける覚悟はできているということだろう。おそらくは、お互いに。
「私は……つらいです。仲のいいジアード様とセノフォンテ様が、敵対することになるなんて……」
「……すまない」
「いえ、そうではなくて」
思いがけず謝られてしまい、エリザは慌てて手を振った。
「セノフォンテ様は、ジアード様にラゲンツ行きを伝えたといっていましたが……止めなかったんですか?」
「ああ。セノの決めたことだ。一度決めたことを覆すような男でもない」
「一緒に行こうといわれたのでは……」
「そうだな、誘われた」
「ジアード様は、改宗……なさらないんですか……?」
ようやく本題に入り、先ほどとは違う動悸でエリザの心臓はうるさくなる。
「……セノには、妻も子もいる。けれど私にはもう、誰もいないからな」
誰もいない。
その言葉が、エリザの胸に刺さった。
ジアードの大切に思う人は、今も亡くなった家族だけなのだと。
エリザは、その中に入っていなかった。当然だ。ジアードにとってエリザはただの知り合いで、ただの部下なのだから。
なのにエリザはいつの間にか、カーラやロベルトがいってくれた言葉をどこかで期待してしまっていたらしい。
ジアードはエリザのことを娘のように思ってくれていて……ジアードの心を動かせるのは、己だけなのだと。そう、勘違いしてしまっていた。
ジアードの言葉はなにも間違ってはいない。それでも、自分という存在をジアードに認めてほしかった。
「だ、誰もいないなんて、いわないでください……っ」
目からなにかが込み上げそうで、ぐっと喉元で押し殺す。
「……エリザ」
「改宗、しましょう、ジアード様! 私……」
「ラゲンツに行きたいなら、止めはしない。むしろ、そうしてくれ。エリザには、生きてほしい」
逆に改宗を勧められたしまったエリザは、ぶんぶんと首を横に振る。
「私は! ジアード様と一緒じゃなければ、絶対にどこにも行きません!!」
「エリザ……」
ジアードは傍目にわかるほど、困りきった顔をしていた。まるでだだっ子とその親のような光景。
けれど、だだっ子でもよかった。ジアードが、ともにラゲンツに行ってくれさえするならば。
「すまない……私は、行かない。行くならば、シルヴィオをつけよう。さっき、本人に了承をとった。私のもとを離れ、エリザとともにラゲンツに行くようにと」
その言葉に、エリザは愕然とする。
「なんで、ですか……私は、ジアード様のそばにいたいのに……」
ぽろりと我慢していた涙が溢れてくる。シルヴィオが、ジアードの命令を断れるわけないではないか。
「私、そんなに必要のない人間ですか……おそばにいては、ただの足手まといですか!?」
「それは違うよ、エリザ」
「じゃあどうして、ラゲンツに行けなんていうんですか!」
ひっくと子どものようにしゃくりあげると、ジアードは手を伸ばして優しくエリザの頭を撫でてくれる。
「君が大切だからだよ、エリザ」
耳に心地いい言葉は、泣いている頭では理解しかねて、処理できぬまま脳の片隅に追いやられた。
なぜだか胸ばかり痛くて、なにをいわれても涙は止まりそうにない。
「私は、エリザを小さな頃から知っている。なにがあっても、めげずにがんばってきたエリザを見てきたのだ。生きて、幸せになってほしいと思うのは当然だろう?」
「なら……私と一緒に……ラゲンツに、い……ひっく。行ってください……」
「エリザ……」
ジアードの手が、エリザから離れていく。それが答えなのだろうとわかって、絶望の影がエリザの心を覆った。
「私は、 リオレイン王を最後までお護りしようと思う。すでに死を覚悟しておられる王族の方々を、私だけでも見捨てることはしたくない」
「……でも……ジアード様だって、奥様や娘さんが生きていたら……きっと、改宗を考えたはずです……」
「そうかもしれない。だが、私にはもう妻も娘も……」
「私じゃ、だめですか!?」
ダンッとテーブルに手をついて立ち上がる。軍団長を相手になにをしているのかという冷静な自分は、どこかに消されていた。
「私は、ジアード様の娘にはなれませんか……妻には、なれませんか!?」
「……エリザ」
いってしまってから、カッと耳が燃えるように熱くなる。唐突なエリザの告白に、ジアードは青天の霹靂だとでもいわんばかりの表情をしていた。
それでも、一度解き放たれた言葉は止まらない。
「私は、叶うなら! ジアード様のお嫁さんに……っ」
「エリザ」
言葉の続きは、ジアードの悲しい声に止められた。
眉の端を下げて喉をつまらせたようなその顔に、なにをいわれるのか察してしまう。
「気持ちは、とても嬉しいよ。だが……すまない」
頭が、真っ白になる。
断られてしまった。わかっていたことなのに。
娘のように思われていても、娘ではない。ましてや、奥方の代わりになろうなどとは、おこがましいにもほどがある。
だからずっと気持ちを封印していたのに。気づけば、思いがはじけてしまっていた。
胸が、痛い。
ずっと諦めていたはずなのに、いざとなると諦めがつかない。
「私じゃ、だめ、なんですか……お、奥様が亡くなって、七年だし……きっと、奥様だって、許してくれると……」
「そうだな。きっと許してくれると、信じている」
「だったら……っ」
「私には今、想い人がいるんだよ」
ガン、と模擬剣で体を打たれたような衝撃が走った。
呼吸は一気に浅く短くなり、今にも倒れてしまいそうになるのをなんとか耐える。
「ジ、アード、様は……その、方と……」
「いや、気持ちを打ち明けるつもりはない」
「ど、して……」
エリザの問いには答えてくれず、ジアードは眉をさげてほんの少しだけ微笑んだ。
その相手が誰だかは知らないが、付き合うつもりがないならやはり自分と……という言葉が喉まででかかっている。
びっくりするくらいに諦めの悪い自分に辟易し、ごくんと言葉を飲み込んだ。
何度いっても、おそらくは無駄だろう。妥協で人と付き合えるほど、ジアードは器用な方ではないのだ。
そういうところも、エリザは大好きなのだから。
でも、だからこそ、ちゃん自分の気持ちは伝えたい。本気なのだと、知っていてもらいたい。
「ジアード、様」
ぐいぐいと袖で涙を拭いて、エリザはしっかりとジアードを見つめる。
エリザの決意の顔に気が付いたのか、ジアードもすっと立ち上がり、真っ直ぐこちらを向いてくれた。
「私、ジアード様が、大好きです」
しっかり目を見て伝えると、ジアードもまた真剣な顔で受け止めてくれる。
「ありがとう、エリザ」
「一緒に……改宗してくれませんか。私を選んでくれなくてもかまいません。私はただ、ジアード様に生きていてほしい……っ」
一生懸命に言葉を紡ぐ。じっとエリザを見ていたジアードは、ゆっくりと言葉を厳選するように
「私はもう、心を固めている。エリザの気持ちは、本当に嬉しいのだが……すまない。応えることはできない」
答えを予想していたからか、先ほどよりはいくらか冷静でいられた。心を刺す剣の数に、まったく変わりなかったが。
「では最後まで、ジアード様のそばでお仕えさせてください。ジアード様がラゲンツに行かないのならば、私もここに
「いや、エリザはシルヴィオとともにラゲンツに行きなさい。ここにいても、お前たちに未来はない」
「行きません、絶対に」
エリザが決意を表明すると、ジアードは苦しそうに顔を歪ませる。
「……頑固だな」
「きっと、ジアード様に似たんです」
「そうかもしれん」
はは、とジアードは片眉を下げて笑う。
思いは届かなかったが、それでもこのかわいい上司の役に立ちたいと、エリザは心から願った。
「お願いします、ジアード様。私はシルヴィオやロベルトに比べたら、学もないし剣の腕もおとるし、頼りない存在かもしれません。でも、きっとジアード様のお役に立ってみせます! おそばにいることだけでも、どうかお許しください……っ」
懇願すると、ジアードはしばらくじっとエリザの目を見たまま、考え込んでいた。
その葛藤が己のためであることを感じとれて、ほんの少しだけ心で笑みをつくる。
悩んでいたジアードは、フッとひとつ息を吐くと、諦めたように声を出した。
「わかった。エリザの人生だ。好きにするといい」
「あ、ありがとうございま……っ」
「ただし」
ジアードはエリザのお礼を断ち切るように、指を一本あげる。
「エリザが私を好いてくれているのと同じように、エリザのことを思っている者もいる。その者たちを悲しませぬと約束してほしい」
なにをいわれるかと思いきや、びっくりするほど簡単なことだった。今までエリザは、誰にも告白されたことはない。きっとこれからも、なにもないに違いないのだから。
エリザがこくりとうなずくと、ジアードはほっとしたように笑い、頭をごしごしと撫でてくれた。
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