05.第四軍団長カーラ
リオレイン王国騎士団は、第一軍団から第五軍団で成り立っていた。
が、今は第二と第五がなくなり、バルナバ率いる第一軍団、ジアード率いる第三軍団、唯一の女性軍団長カーラが率いる第四軍団のみとなっている。
今日は第三と第四での合同演習の日だ。いつもは怠けたがる第三軍団の男たちに、びっくりするほど気合が入る日でもある。
せいやーせいやーという掛け声が闘技場内に溢れかえり、エリザは若干辟易した。
目の前で模擬剣を繰り出してくる仲間は、やたら嬉しそうだ。
エリザは対峙している相手の横薙ぎの剣をしゃがんで躱し、そのまま懐に飛び込んで相手の首元にピタリと剣を当てる。
「っく、参った……!」
仲間の一人は悔しそうに左手を上げた。
「くっそ、カーラ様に良いとこ見せようと思ったのによ……! エリザ、もう一回勝負だ!」
いつもは訓練が終わりの時間に近づくとだらけ始めるというのに、男というのはとかく美人に弱い生き物だ。
カーラは第四軍団長でもあるが、同時にリオレイン王国の姫でもある。現在三十三歳で結婚もしていないが、現リオレイン王の妹にあたる人物だ。独身なのは、継承争いを避けるために子どもは産まないと決心しているかららしい。
兄王を助けるために軍に身を置き、頭角をあらわして今の地位に至るというわけだ。その実力は誰しもが認めるところである。
カーラはジアードの隣に立ち、あれこれと話し合っていた。その姿は凛としていて、女であるエリザまでも見惚れてしまいそうになる。
美人で強くて地位もある王族。第四軍団はカーラに心酔する者も多くて、改宗する者は軍団の中でも一番少ない。結婚しないとわかっているから、誰かにとられる心配もなく、安心して崇拝できるのだろう。さながら第四軍団はカーラ教の女神とその信者のようだ。カーラ教なんてものは、この世のどこにもありはしないが。
その日、訓練が終わって宿舎でのんびりしていると、驚くことにそのカーラがエリザの部屋に現れた。
「休んでいたところ、悪いわね。少し構わないかしら?」
完全に就寝モードで、パジャマ姿だったエリザは慌てた。
ノックの相手は同僚の誰かだろうと思って扉を開けると、カーラが立っていたのだ。部隊も違うし、身分も地位も違う、エリザとの接点などほぼ皆無な女神が唐突に現れ、困惑した。
「えと、あの、構いませんが……あ、私、服が……えっと、どこに行けば……っ」
「落ち着いて。あなたのこの部屋で結構よ。入れてもらえる?」
「えええ、か、かまいませんが……」
「ありがとう」
前日に掃除しておいてよかったと心から思いながら、カーラを招き入れた。
第三軍団の男たちにいえば、羨ましがられること間違いなしだ。
ひとつしかない椅子を引き、カーラに座ってもらう。
バサバサと音がしそうなほどの長いまつ毛に、そこから覗く優しい海色の瞳。ロングストレートの長いプラチナブロンドは、どこかの宗教画に登場していてもなんらおかしくない姿である。
「あの、給湯室でお茶を淹れてきます」
「必要ないわ。少し話をしたいだけだから」
「はぁ……」
そんな風にいわれて、エリザは首を横に傾げた。なんの話だか、全く見当がつかない。二人っきりになるのはもちろん、まともに会話を交わしたことさえない相手だ。
そもそも、カーラが自分の名前を知っているのかすらもあやしい……と思っていると、目の前の美女はにっこりと微笑んだ。
「エリザ、といったわね」
「は、はい」
名前を呼ばれたことに驚いていると、彼女はクスクスと笑った。
「ジアードの口から、よくあなたの名前が出てくるのよ」
「ジアード様が……」
一瞬ぽかんとしたエリザだが、なにかを思う前に勝手に顔が熱くなっていく。
「本当にあなたは、ジアードにかわいがられているわね」
「いえ、あの、その……多分、ジアード様の亡くなった娘さんと私の年が、近かったからだと思います」
「そうね」
自分から言ったことを肯定されただけにも関わらず、なぜだか胸がツキンと痛む。
ぐっと奥歯を噛み締めると、海色の瞳がエリザにまっすぐ突き刺さった。
「そんなあなたにお願いがあるの」
「……私に?」
カーラのような人物がただの一般騎士に願いをするなど、なにごとだろうかとエリザはかまえた。どんな無茶をいわれたとしても断れる相手ではないので、余計に体が硬くなる。
「なんでしょうか……私にできることなら、もちろん喜んでさせていただきますが……」
「ジアードを、ラゲンツ国へ寝返らせてほしいの」
「……」
前置きもなく、ストレートに放たれたその言葉。軍団長であり、王族であるカーラからのお願いが、まさかジアードの寝返らせだとは思わなかった。
もちろん寝返らせられるなら、それがエリザにとっても嬉しいことだが、安易に喜ぶような顔を見せられるわけもない。
「ですが……ジアード様が寝返ってしまっては、もうこの国は……」
「そうね。第三軍団の騎士たちもこぞって改宗するでしょうし、そうなってはたやすく攻め込まれてしまうでしょう」
「カーラ様は……っ!」
「私は寝返ったところで処刑対象よ。私も兄さまも、覚悟はしているわ」
美しい桃色の唇が、優雅に弧を描く。凛とした姿を見ると、逆に胸が張り裂けそうになった。
「ジアードは高い忠誠心で、最後まで兄に仕えるつもりでいるの。……説得しようとしたけど、私には無理だった」
「カーラ様でだめなら、私なんかが言ったところで……」
「あなたにしか、お願いできないことよ」
ぎゅっとカーラに手を握られる。切羽詰まったその顔を見ると、不謹慎なことにどきりとしてしまう。
「ジアードは、あなたのことを大切に思っている。あなたをラゲンツに逃したいと考えているわ。でも、あなたはジアードが一緒でなければ、ラゲンツには行かない……そうよね?」
「は、はい……」
「その気持ちを利用して、ジアードを寝返らせる……無理なことじゃないと思うわ」
無理なことじゃない……とカーラはいうが、正直難しいだろう。エリザの言葉でリオレイン王を捨てられるとは、とてもじゃないが考えられない。
しかし、ジアードとともに国を出たい気持ちはある。
「あの……これをシルヴィオとロベルトに話して、協力してもらってもかまわないでしょうか」
「いいけれど、使えないものと思いなさい。あの二人はジアードのいうことに逆らわないわよ。そういう家柄だから」
そういわれて、カーラがなぜエリザにこんなことを頼んだのか理解できた。確かに他の者では達成できない内容だろう。
かといって、エリザに自信があるかといわれれば、まったくなかったが。
「わかりました……どうなるかはわかりませんが、ジアード様を寝返らせられるよう、がんばってみます」
「あ……ありがとう、エリザ」
安堵の息を吐き出したカーラの海色の瞳が、かすかにゆらめいている。
胸を撫で下ろす仕草は、凛々しさが消えてとてもやわらかだ。
カーラ様は、どうしてこんなにもジアード様を寝返らせたいんだろう……
そう疑問に思った瞬間、エリザはハッと気づいてしまった。
「もしかして、カーラ様はジアード様のことを……?」
思わず口に出していってしまい、慌てて己の唇を押さえる。カーラは少し驚いたように目を丸めてから、クスッと微笑んだ。
「気づかれちゃった? みんなには内緒よ」
こくこくとうなずいて見せると、カーラはどこか遠くを見るように視線を飛ばしている。
「私は、結婚してはいけない身だから」
「カーラ様……」
いつからジアードのことが好きだったのだろうか。
ジアードが奥方と死別して独り身になった後でも、結婚しない、子は産まないと公言しているカーラには、なにもできなかったであろう。その気持ちを考えると、胸がちくちくと刺されるように痛む。
「このこと、ジアード様は……」
「気づいてないわ。あの人鈍感だもの」
「ですよね……」
エリザが同意すると、カーラはぷっと笑った。いってしまったエリザ自身もつい込み上げてくる。
「ふふっ、女泣かせな人よね。私たちをこんなに魅了しておいて、本人は
「わ、私は別に、そんなんじゃ……っ!」
「隠さなくてもいいじゃない。誰にもいわないわよ?」
いたずらっぽいカーラの笑みに、エリザの顔は熱くなるばかりだ。否定したいが、王族に対して逆らうようで上手く言葉が出てこない。
「ジアードと、幸せになってね」
「……ないですから」
「本当に?」
うっ、と言葉が詰まる。
ジアードと幸せになる己の姿をうかつにも想像してしまい、むむむと口元を歪めた。
そんなエリザを見るカーラの顔は、微笑んでいてもどこか悲しい。
「……あなたに、もう一つお願いをしてもいいかしら」
「……私にできることなら」
「簡単なことよ」
座ったままのカーラは、ずっと立っているエリザに視線をあげ。
「私が死んだら、ジアードに伝えて欲しいの」
そういったかと思うと、カーラの王族の仮面が剥がれ落ちる。
「カーラは、あなたのことが大好きだったと」
その瞬間に、海色の瞳からするりと涙がこぼれ落ちた。
言葉がすぐには出てきてくれず、胸のあたりでぎゅっと拳を握る。
「……そんなの、ご自分でお伝えください……っ」
「これを伝えたら、ますますあの人は寝返らなくなるわ」
「でも、それでも……っ」
「お願い、エリザ。あなたにしか頼めないの」
死を覚悟した者の瞳が、エリザを責めた。
我慢しようと思っていた涙が、たまらずあふれてくる。
「カーラ様……」
「恋敵に頼むのは、やっぱりだめかしらね」
ふるふると首を横に振ったあと、エリザは涙をごくんと喉の奥へと追いやった。
泣きたい。叫びたい。けれど、一番つらいであろうカーラの前で、そんなことはできない。
エリザは口を開けると、声を絞り出した。
「伝え、ます……必ず……っ」
生きてほしい、とは言えなかった。どうあっても、死ぬ運命のカーラには。
「ありがとう」
はらはらと涙を流し続けながら微笑むカーラは、とても美しかった。
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