02.暗い未来
エリザは風呂に入って着替えると、待ち合わせの料理屋に向かおうと軍の宿舎をあとにした。
宿舎の門を出たその左手には、壁を背に立っている男の姿。銀髪のシルヴィオだ。
「あれ? シルヴィオ……どうしたの?」
「迎えにきた。一緒に行こう」
「ロベルトは?」
「さあ。先に行ったんじゃないか」
エリザを待たずにシルヴィオも先に行けばいいというのに、この男の考えることはよくわからない。
シルヴィオの隣に並ぶと、彼は少し濡れた長めの銀髪をなびかせながら、目的地に向かって歩き始めた。
以前は夜でもきらびやかな王都だったが、今は家の灯りも店の灯りもぽつぽつとしか目に入ってこない。
多くの者が、
「さびしくなったな、この王都も……」
シルヴィオが漏らした言葉に、エリザは頷く。
店は閉められ、人々はこの国から去っていく。
軍の誰もが、それを感じてしまっていた。
「エリザは、どうする」
シルヴィオの問いは、『改宗するか否か』という意味で相違ないだろう。
隣国のラゲンツで信仰されているラーゲン教に改宗さえすれば、リオレイン国民を受け入れてくれる上に生活も保証されるらしい。
戦争で貧困層となったものは根こそぎ改宗し、夜逃げ状態でラゲンツに移り住んでしまった。
「私は、なにがあってもジアード様に仕えるだけだよ」
エリザは戦災孤児で、殺されそうになったところをジアードに助けられ、王都の孤児院で育った。ジアードはその孤児院を支援してくれ、暇がある時にはエリザの顔を見にきてくれていたのだ。
いつかジアードの役に立ちたいという思いからエリザは軍に志願し、騎士となった。実際は役に立つどころか、心配をかけてばかりな気もするが。
「シルヴィオはどうするの?」
隣を歩くシルヴィオを見上げる。彼は一瞬だけエリザを見ると、真っ直ぐ前に目を向けた。
「俺も、ジアード様に従うだけだ」
当然のようにそういったシルヴィオに、やっぱり、とエリザは心で呟く。
詳しいことはエリザにはわからないが、ジアードは高位貴族で、シルヴィオとロベルトの家系はジアードの家系を助ける下位の貴族であるらしい。
軍内で主従というだけでなく、家柄でも主従という間柄なのだそうだ。それとは関係なしに、二人はジアードの人柄に惚れていそうではあったが。
料理屋に到着すると、ロベルトが先に一人でお酒を飲んでいた。店は閑散としていて、ロベルトの他には一組しか客がいない。奥にはVIPも使用できるような個室があるが、おそらくそちらも使用されていないだろう。
「お、一緒にきたのか」
ロベルトは酒を煽りながら、にかにかと笑っている。
「こんなでも、一応女だからな」
シルヴィオはロベルトの前に座りながらそういった。女だからと、一体なにを心配しているのだろうかとエリザは呆れる。
「必要ないのに……私は騎士だよ?」
「俺たちよりは弱いだろう」
「そりゃ、そうだけどさ……」
むっとすると同時にさみしさを覚えながら、エリザもシルヴィオの隣に座った。
酒や料理が運ばれてくると、それを堪能しつつもやはり戦争の話になる。
「一体、何人寝返っちまったんだろうな」
いつも明るいロベルトも、さすがにそういって苦笑した。
最初は寝返ってラゲンツ国に行こうとする者を、ちゃんと取り締まってはいたのだ。
しかしその数が多すぎて取り締まりきれなかったのと、取り締まる側の騎士たちですら、どんどん寝返ってしまったのが大きい。
「
エリザの疑問に、シルヴィオがうなずいた。
「本当だろうな。ラゲンツ国は
相変わらず抑揚なく淡々と説明してくれるシルヴィオ。
彼がいうなら、きっと本当なのだろう。このリオレイン王国とラゲンツ国との差は広がるばかりだ。
税金を納める者がいなくなるから、騎士の給金も以前と比べて下がってしまっている。そして下の者から困窮し、改宗する者が増える。
このスパイラルを止めるには戦争に勝つ以外にないが、騎士が減っている状態では勝てるわけがない。
エリザたちが所属している第三軍団は、まだ人が残っている方だ。第五軍団なんて、誰一人としてこの国に留まらなかったのだから。
この国は、どうなっちゃうんだろう……。
不安で体がぶるりと震えた。寝返れば、生きられるだろう。しかし、寝返らなければ……その先を想像したくなくて、エリザはぶんぶんと首を振った。
おそらくだが、ジアードは生涯リオレイン王に仕えるつもりでいる。
そしてエリザもまた、そんなジアードに生涯を捧げるつもりでいるのだ。
愛する妻と娘を失ったジアード。代わりになるわけはないとわかっていても、せめて近くにいてあげたい。
「リオレイン王は……降伏、しないのかな……」
二人にしか聞こえないように、ぼそりと呟く。
降伏してどう転ぶのか、エリザにはわからない。
学のある二人ならわかるだろうかと、シルヴィオとロベルトを交互に見た。
「しねーだろうなぁ」
「そうだな」
「……どうして?」
酒の入ったグラスをくるくるとまわしながら、ロベルトは諦め顔で口の端を上げる。
「降伏してもしねーでも、王の運命は変わんねーよ。勝つ以外はな」
そう言って、ロベルトはチョンと自分の首に手を当てた。負けは王の死を意味し、降伏も処刑されるということだろうか。
王制がないラゲンツ国には、王の血は不要なものなのだろう。無用な反乱を起こさないためにも、王族を処刑するつもりなのかもしれない。
「王はおそらく、全国民が寝返るのを待っている……俺はそんな気がする」
シルヴィオの言葉に、エリザとロベルトが同時に視線を送る。
「ああ……そうかもな」
「なんで?」
頷くロベルトとは対照に、エリザは首を傾げた。
「王はもう、死を覚悟していらっしゃる。今降伏したとしても、この国に残っている者は虐げられるだろう」
「ラゲンツ国と抗争していたルドマイン皇国は、最後まで抵抗していたやつらは全員奴隷落ちだったって話だしな」
そこまで教えてもらうと、エリザもさすがにわかってきた。
「つまり陛下は、ラゲンツに寝返っても良いから、国民に奴隷に落ちてほしくないって思ってる……?」
「あの王サンならあり得る話だよなぁ〜」
ロベルトは納得して息を吐くようにして腕を組んだ。エリザの出した答えにシルヴィオはうなずき、捕捉説明をしてくれる。
「自分が処刑されるだけですむなら、リオレイン王はとうに降伏してるさ。それをしないのは、一人でも多く、普通の生活を送ってほしいと思っているからだろう」
「だったら、そういってくれれば……」
エリザの言葉に、シルヴィオはわずかに首をふる。
「難しいだろうな。公言した瞬間に、ラゲンツが受け入れ制限をかけてくるかもしれない。気取られずに少しずつ逃すしかないんだ」
「俺たちは、国民が逃げるための時間稼ぎをしてるってわけだな」
「そういうことだ」
シルヴィオとロベルトは、なにがおかしいのかくつくつと笑っている。
この国の行く末は暗いものだとわかっていて、どうしてそんな風に笑えるのだろうか。
「改宗は早い方がいいぞ、ロベルト。ラゲンツは確実に勝てる状況になれば、降伏も改宗も待たずに攻め込んでくる。そうなれば俺たちは殺されるか、運が良くても奴隷落ちだ。」
「バカいえ。俺はジアード様の命令がなきゃ、どこにもいかねーよ」
「まぁ、そうだろうな」
そういって二人は、リンとグラスを重ね合わせて飲み干した。
覚悟、してるんだ。
ロベルトとシルヴィオの決意が目に見えるようで、胸が締め付けられる。
こんな二人だからこそ、生きていてほしいと願うのは、わがままだろうか。
「……生きようね」
おそらく、いってはいけない言葉だった。
負けを、死を覚悟した人たちの心意気に水をさしてしまう、不適切な言葉。そんな言葉を発してしまって泣きそうになる。
二人は顔を見合わせ困ったように笑うと、優しくエリザの頭を撫でてくれた。
どうしてこんな戦争が起こってしまったのか、エリザにはよくわからない。
もうずっと長い間続いている争いで、発端は国境間の窃盗だか賊害だったからしい。
個人の復讐が村同士の復讐となり、そして今や国と国の戦争となってしまったというわけだ。
エリザが孤児になったのはわずか四歳のころで、それもラゲンツ国との争いが原因だった。ラゲンツ軍に殺されそうになったところを、ジアードに救われたのだ。
それからも小競り合いが続いてきたが、ここ一年ほどはやり方を変え、ラゲンツ国は改宗を促してくるようになった。
長い争いで疲弊していたリオレイン王国とは対照的に、
食うに困っているリオレインの国民を、少しずつ……しかし確実に、改宗という名の実質買収をしている……というのが現在の状況であった。
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