すべてを失おうと、あなたに嫌われようと。
長岡更紗
01.上司と仲間
夕日がさして赤く染まるソードラックに、エリザは模擬剣をカチャリと戻した。リオレイン王国最大の屋内闘技場は、訓練終わりのガヤガヤとうるさく汗臭い男の匂いでむせ返っている。
エリザは切れた息を整えながらバッグに手を入れると、白いタオルを探り当てた。
「はぁ、今日もがんばった、私……!」
そんな達成感とともに顔を拭おうとした、その時。
「タオル借りるぞ」
後ろから、冷めた目をした銀の髪を持つシルヴィオが、エリザのタオルをひょいと奪っていった。
「あ、こら、シルヴィオ!」
男のくせに女のようにきれいな顔をしたシルヴィオは、ゴシゴシと自分の顔を拭いた後、隣の騎士にタオルを渡してしまった。
そしてエリザのタオルは無惨にも、半裸になった男たちの顔や背中や脇に犯されていく。
「ちょっと男ども! ちゃんと自分でタオルくらい持ってきなさいよね!!」
「いーじゃんか、減るもんじゃあるまいし」
「タオルくらいでヒスんなよ、エリザ!」
「イライラしてんなー、ひょっとしてアレの日か?」
「うっさい、ころーーす!!」
両手を上げて怒りのポーズを取ったエリザに、バサッとタオルが戻ってきた。
男臭く汗臭く、雑菌臭までする茶色に染まったタオルが、べちゃっとエリザの顔に張り付く。
「ぶぎゃあ!! くっさ!!」
「サンキューエリザ!」
「また貸してくれよなー」
「貸すかー、バカー!!」
タオルを人差し指と親指だけでつまんで距離を取る。洗濯するのも嫌なくらいの汚れっぷりだ。
こんなものが顔にかかったかと思うと泣けてきた。最初にタオルを奪っていったシルヴィオは知らん顔で、他の騎士と話をしているのも腹が立つ。
くそーと思いながらグスンと鼻を鳴らすと、エリザの所属する第三軍団の軍団長が、タオルを差し出してくれた。
「エリザ、私のタオルでよければ使うかね」
「ジアード様」
優しく微笑む目尻には、ほんの少しのシワ。
にじむ汗ですら、キラキラと輝いて見える。
「私しか使っていないから、そのタオルよりはマシだと思うが……」
「え、でも……」
「ああ、おじさんの使ったタオルなんて渡されても困るかな」
「いえ、そうではなく、恐れ多いと思っただけで……! あの、ありがとうございます、使わせていただきます!」
「いや、無理しなくとも……」
エリザは茶色いタオルをポイと投げ出し、ジアードのタオルを手に取ると、己の顔にふわっと乗せる。
タオルからは石けんの香りと、ほんの少しジアードの匂いがした。
ジアード様、お優しいなぁ……
現在四十歳のジアードは、七年前に妻と娘を流行り病で亡くしている。ちょうどエリザが十六歳で入軍したころの話だ。
その病は女性に多く発症したためか、ジアードはエリザが入軍した当初から、他の女性騎士よりも健康状態を気にかけてくれた。
エリザはジアードの亡くなった娘と年が近かったこと、そして孤児院にいたエリザを昔から知っていたからだろう。
「タオル、ありがとうございます。洗ってお返ししますね」
「気にせずともよいのだが」
遠慮がちなジアードに、「これくらいさせてください」とにっこり微笑む。
ジアードの家には使用人が雇われているので、エリザが洗濯する必要もないのだが、接点を持てるというだけで嬉しい。
じゃあ頼むよ、とジアードは軽く手を振って闘技場を出ていった。エリザはタオルの匂いを嗅ぎながら、その姿を見送る。
「かっこいいよなー、ジアード様!」
汗を拭きもしない男、栗毛のロベルトがいつの間にかエリザの後ろに立っていた。さらにその隣には、シルヴィオも。
二人とも孤児だったエリザとは違い、良いところのお坊ちゃんだ。本人たちはそんなことはないと否定しているが。
シルヴィオは二つ年上の二十五歳。ロベルトは同い年の二十三歳。
二人とも剣の腕は第三軍団の中でも五指に入る実力の持ち主で、ジアードもこの二人を頼りにしているのがわかる。
エリザは心配される対象であっても、ジアードに頼られる対象ではないことが、悔しく悲しい。
「うん、ほんとカッコイイよね、ジアード様って……」
「なんだよ、エリザもジアード様に惚れてんのか!?」
「うるっさいよ、ロベルト! そんなんじゃないし!」
「やめとけやめとけ! それよりここにいい男がいるじゃないか! なー、シルヴィオ!」
「やめろ、ロベルト」
ロベルトに肩を組まれたシルヴィオは、鬱陶しそうに腕を払いのけている。ロベルトはまったく気にしていない様子でケタケタと笑っていたが。
底抜けに明るいロベルトと、何事にも動じず淡々としているシルヴィオ。この二人の性格は真逆だが、なぜか妙に仲良しなのである。
「なぁなぁシルヴィオ、エリザ! ひとっ風呂浴びたら、どっか飲みに行こうぜ!」
「まったく、こんな情勢で飲みにいこうなんて、あんたくらいでしょロベルト」
「こんな情勢だからだろ! せめて俺たちくらいは景気良くいこうぜ!」
現在リオレイン王国は、隣国ラゲンツと絶賛戦争中だ。しかも超がつくほど劣勢である。
なのにロベルトときたら、エリザとシルヴィオがなにかをいう前に「いつもの料理屋な!」と勝手に決めて行ってしまった。
「もー、あいつはー!」
エリザが頬を膨らますと、シルヴィオが冷めた目でエリザを見下ろしてくる。
「行くのか?」
「しょうがないでしょ。いってあげなきゃ、一人じゃかわいそうだし。シルヴィオはどうするの?」
「そうだな、俺も行ってやるか」
シルヴィオはいつもの冷めた瞳で、口元だけはうっすらと笑っていた。
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