第17話源氏だけの孫子、新たなる大器

「なぁ、大叔父。軍略書とかないの?」


「ない!」


義国は間髪入れずに答えた。


「孫子(そんし)とか、呉子(ごし)(いずれも兵法書)とかないの?」


「そんな小細工がなくともわしは戦で負けん!」


(いやいや、苦戦したり犠牲が多くならないようにしたいのに、兵士たちに義国(化け物)のクオリティを求めるのは流石に苦だろう、、、。)


「まあ、仕方ないよなぁ〜」


平安時代において兵法書の普及はまず朝廷が秘匿事項として禁止している。

それを管理しているのは朝廷の書物を管理する役職を代々襲名する大江(おおえ)氏だ。


930年代に大江維時(おおえのこれとき)が中国から六韜(りくとう)・三略(さんりゃく)(いずれも中国古代王朝 周 の武王の軍師 呂尚太公望(りょしょうたいこうぼう)の著とされる兵法書)という兵法書を持ち帰った際にあまりの見事さに世に普及させると朝廷をいとも簡単に転覆させることが、可能となってしまうので一切を封印した。それを公開する権利は朝廷が持っており個人に対して直接許可がおりる。


「朱若殿、もし良かったらこれを、、、」


義重が俺に一つの書を手渡す。


「それは、、、『孫子』!?」


なんと義重に手渡された物は古びた竹簡の孫子だった。


「我が祖父で朱若の五世祖父である八幡太郎義家は義国(ちちうえ)の実の父です。義家公は白河上皇の太刀として軍の一手を担っていた。その際に院近臣であった大江匡房(おおえのまさふさ)(大江維時の子孫)から孫子を伝授されたのだ。これは義家様の写本を義国(ちちうえ)が亡くなった兄の義忠様から託されたものです。」


「つまり、、、大叔父は読んでいたと?」


怒りが込み上げてきたが義重は手で制した。


「いいえ、読んでおりません。」


「え、なんで?」


「それはわしが『英雄(えいゆう)の大器(たいき)』でないからだ。」


「父上、、、。」


義重はバツの悪そうな顔をする。

何故か分からない。

しかし、その時縁側で寝転ぶ義国の背中が悲しく見えた。


「その『孫子』は源氏の『正当な棟梁』かそれを支える『王佐(おうさ)の才(さい)』を持つ者のみに伝授を許される。義家(ちちうえ)は白河院という王を武を持って支える『王佐の才』と源氏の『正当な棟梁』たる血筋と振る舞いの両方を兼ね備え、そして『英雄の大器』に相応しい名声と人望を有していた。」


「大叔父だって、義家公の子で化け物だから適合するんじゃないのか?なんなら爺(じい)(義隆)にもあるはずだ。」


義家に最も近い血筋と武勇を有しているのは間違いなく義国だ。次に希望があるとするならば義隆だろう。


「なんか聞き捨てならん事を聞いたが仕置きは後にしてやる。それで、わしに血筋と戦で負けんものは少ないだろう。なんなら義家(ちちうえ)と義宗(よしむね)兄者ぐらいだな。だが、戦に勝てるだけで人がついてくる人望がある訳でもなく王を支える器量なんてない。」


「どういうこと?」


「単純に血筋と戦だけではこの孫子を知るに相応しくないということだ。この『孫子』はただの『孫子の兵法』じゃない。伝授された義家(ちちうえ)が戦で経験したり、実際に使った戦法・戦略、また伝え聞いた源氏の先祖たちが用いた戦術までを解釈し補われている言わば『源氏だけ』の『孫子』なのだ。」


ただ、それなら受け取ったことにも意味が生じる。義国に対して何らかを意図して『源氏の孫子』は流れ着いたはずなのだ。


「なら、何故義国の大叔父にその『孫子』は託されたんだ?」


義国は外に向いた体をこっちに向けるように寝返りを打つ。


「わしは、伝授するに足るこの『適合者』が現れるまで守る『守護者』だ。」


溜息を漏らしたのは義隆だ。この話の絡みにはどこか不可解な状況がある。


「その怪訝な顔が抱く疑問は分かる。何故義朝にそれが渡っていないのか知りたいのだろう?」


義国は既に朱若の繊細な疑問を読み取っていた。さっきの大雑把な荒武者とは打って変わって落ち着きのこもる声だ。


「そうだ。何故父上でなく、大叔父が持っているかということだ。父上は源氏の棟梁に最も近い。なんなら悪対馬守義親公以来の源氏からの受領(ずりょう)(国司に変わって与えられた土地の年貢を回収する役職)就任をなし得た。関東での基盤も取り戻した。鳥羽上皇からも目をかけられている。ここのどこに不都合があるのか。」


「単刀直入に言うと、この『孫子』は必ず棟梁に継承されるものでは無い。つまりは相応しい者が現れないなら継承を許さず認められた『守護者』が中身を見ずに管理する。その者が現れるまで『守護者』も代替わりして何代もな。この以前にも『孫子』は源頼信(みなもとのよりのぶ)(義家の祖父)が平忠常(たいらのただつね)の乱を平定した際に宇治殿(うじどの)(藤原頼通(ふじはらのよりみち))より賜ったものだ。それ以来、引き継がれるかのように許可が朝廷から降り、頼義(よりよし)公(義家の父)、さらに義家(ちちうえ)にそれぞれ伝わった。」


「じゃあ、義家公以降は?」


聞くと義国は嘆く。


「適合者がいたと思うか?我が次兄の悪対馬守は反乱を起こして平正盛に討ち取られ、わしと同腹で三兄の河内守(かわちのかみ)義忠は器量があって引き継ぐはずだったが早々に殺された。為義は正しい判断力に欠ける。義朝は実績はあるがまだ朧げな存在感だ。託すに値せん。」


「なら、どうすれば読める。」


義国は不敵な笑みを得て朱若を吟味するように見下すと立ち上がり義重から『孫子』を強奪した。


「そろそろこの坂東で大戦が起こる。そこでお前の力を見せてみろ。もし適合者たる器ならこれをくれてやる。『守護者』としてな。」


(どこまでも、ふてぶてしい爺(ジジイ)だな。だが、こっちも余裕は無い。この機会に乗らない理由は無い。)


「その大叔父の得意顔を歪ませてやる。望むところだ!」





義国は朱若が去った縁側で静かに酒を啜(すす)っていた。


「義隆か。」


「はい、普賢(ふけん)(義国の幼名)兄者。」


「よせ、こそばゆい。」


ジト目のまま義隆を見つめる義国は堪えていたように大笑いする。


「ぶはははは!彼奴(朱若)は化けるな!恐らくわしなど目が無いほどに、義家(ちちうえ)さえも超えゆく者に。」


「耐えられれば、ですがね。」


義国は上野国を青々と満たす大空を見上げる。


「耐えられるさ」


「その心は?」


「わしの修業に耐えた上に目に溢れんばかりの生気が溢れておった。」


義隆の顔が曇る。


「なら兄者。何故あのようなことを、、、」


「兵法を知らん素のままの奴(・)の力量が知りたくなった。『守護者』の気まぐれよ。許せ、義隆。」


「いえいえ、よろしきことかと。」


「義隆、彼奴を、、、。我ら兄弟の思いを託せるあの小僧を頼む。わしはもう長くない。」


義国は胸をさすって感慨に耽ける。


「兄者、縁起でもないことを言うな。それはわしもだ。」


「ぶははは!」




一族の業を背負った兄弟の行き着く先に新たな大器。新たな栄光と安寧を願う二人は酒を片手に夜更けまで語り合った。




地獄の修行が続いて一ヶ月ほどが経った。

源義国の屋敷から出た朱若は義重と義康が共同の庇護の元、簗田御厨(やなだのみくりや)(今の足利市福富町)に屋敷を構えそこに住んでいる。


「最初はさぁ、しばらくの間屋敷ありがとうって思ったよ、、、。」


「若様、、、。」


近くにいた景義に呟く。


「だけど、なんでまたピリピリした場所に送られてんの?こっちは仮にも滞在してる客なのに下司の藤原家綱(ふじはらのいえつな)と争ってて緊張状態だァ?ふざけるなぁ!なんで俺だけ気苦労させられてんだぁ!」


胡散臭かった。あの義国が笑顔でゆっくり休んで楽しめとか素直なことを言っていたからだ。あの男において休息とは戦うこと。すなわち戦だ。息をするように戦をする男にはこのような緊張の睨み合い程度休息に過ぎないのだ。(やはり、暗に悪ノリされている。)


(そして、、、こいつもだな!)


「ねぇねぇ、朱若〜。花札しようよ〜。」


「あの〜、俺今忙しいから侍女たちに頼んではくれませんでしょうかー?」


「嫌だ!御栗(みくり)は朱若と遊ぶの〜!」


御栗。朱若と同い歳で五歳。新田義重の次女で祥寿姫の妹だ。

何故か、義国の屋敷でしごかれた時に気まぐれに遊んだら懐かれてしまったのだ。


「景義、まさかこの緊張状態の簗田御厨までおしかけてくるとはな、、、。」


「それぐらい肝が座ってないと武家の娘には務まらぬでしょう。朱若様の奥方ならなおさら、、、。」


「おい、今なんで御栗が俺の妻になってんだ!?」


「御栗は朱若の奥方なってもいいよ!」


「ありがとう、気持ちだけでおなかいっぱいなんで回れ右〜。Hey!侍女!」


「うわぁぁ!やめるのじゃ!御栗は朱若の奥方なのじゃ〜!」


明らかに飛躍した発言を残して退場した御栗を気にすること無く景義は報告を始める。


「まず、大蔵館の様子ですが、、、秩父重隆と兄の秩父重弘の間で小競り合いが起きているようです。」


北関東の武士団である秩父党の後を巡っての争いは激化しつつある。


「だけど、この小競り合いは様子見だな。相手の出方と自滅を誘発するような挑発だけで指揮された兵たちは挑発に乗ってないみたいだ。しばらくは放置してもいいな。後二年くらいは。」


具体的な数字に景義は不思議な顔をしている。


「二年とは何故思われるので?」


「鳥羽上皇のご容態だ。恐らくこの数年でなにかが起きる。その影響が飛び火して秩父重隆が我慢が効かなくなるまでの二年だな。」


「まさかとは思いますが院のご容態はそこまで悪いのですか?」


「ああ、倒れてたり治ったりで寝床を行き来してるらしいな。」


朱若の推測は実際の所、大蔵合戦が1155年の8月と二年程先であることを把握していることによる。つまり、答え合わせを待つ状況だ。


「はっきり言うと義平兄者の調略が完成する頃合いだな。畠山にいる秩父重弘と息子の畠山氏王丸(はたけやまうじおうまる)が同調して秩父重隆に隙がうまれる瞬間だな。」


「では、この件はしばらく様子を見ておくことにします。」


「頼む。」


景義は切り出すのを躊躇うが次の報告する。


「義平様よりお願いと言うよりは耳に入れて欲しいとのことでございますが、近頃足柄山(今の神奈川県あたり)において、流浪人(旅人)の追い剥ぎや兵糧を積んだ積み荷車が山伏(やまぶし)(山修行を行う人)姿の集団に強奪されることがしばしば起きているようです。」


(足柄山を本拠地にする山伏たちは武装集団になっている!?これはまさか、、、あの『風魔(ふうま)』の前身か!)


風魔。

それは戦国時代に後北条氏が行う調略、暗殺、情報収集を一手に担った忍びの集団である。


「でかした!景義!兄に金や米を多めに用意させるよう頼んでくれ!絶対に出してくれるはず。」


景義は戸惑う。


「それは、どういうことで?」


「これからその山伏の集団を俺の家人に召抱える。足柄山に向かうぞ!」


「はぁぁぁぁぁ!?」


景義の驚きも束の間。

朱若はあっという間に走り去り準備をするため奥に言ってしまった。


(やったぞ!今の時代忍びの重要性どころか、その存在や定義すらもあやふやだ。登用するのは難しいことだと分かってはいるが、この獲得は情報を先取りしたり敵の機先を制する意味で大いに未来を救う心強い味方になる!)


運命の大蔵合戦まで、後二年。

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