第16話 罪滅ぼし程度のデート
約束した時間よりも少しだけ早く来すぎてしまった。
時刻は10時45分。
本日はこれでもかというほどの清々しいほどの日本晴れだ。
というか、むしろ夏のような強い日差しで、眩しくて嫌気が差してしまう。
そんなことを思いながら、すでに来慣れてしまった高層マンションのエントランスへと入った。すでに顔馴染みとなってしまったコンシェルジュの綺麗なお姉さんから会釈をされたため、会釈し返した。
もはや初めてここをくぐり抜けた時の緊張感は全くなくなってしまった。
まあ、これも一つの成長なのだろう。
エントランスに置かれているいくつかの来客用のふかふかのソファーのうち一つにには見知った人物が座っていた。
どうやら俺の存在に気がついたらしい。
パッと立ち上がって、急足でこちらに駆け寄って来た。
その時、ライトグレーのロングワンピースの裾がふわっと翻った。
「ヒカルくん、おはようございます」
「おはようございます、風花ちゃん」
マスクと伊達メガネで変装した格好の風花ちゃんだ。
てっきり部屋に向かうのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
風花ちゃんはおもむろにぎゅっと俺の手を握り締めた。
「今日は、一日、私とデートをしてもらいますっ!」
「……?」
怪訝そうな表情となってしまったようで、風花ちゃんは繰り返すようにして『デート』という言葉を使った。
「ですから、デートですっ!」
「……はい!?」
そう、どうやら俺の聞き間違いなんかではないらしい。
やっと脳内でデートという単語が処理された。
――マジで?
いやいや、これは夢ではないだろうか。
うん、夢に違いない。
もしかしたら、俺は事故に遭ってベッドの上で眠っていて、これまでの出来事——風花ちゃんと出会った時から全て、俺の痛々しいほどの妄想の産物なのかもしれない。
いや、むしろ夢であってほしい。
『推し』と一緒に出かけることができる日が来るなんて――奇跡に違いない。
そうなると……俺の今後の人生における幸運を全てこの場面で使われてしまっているのかもしれないから、逆になんだか怖い!
しかしながら、それにしたって……澄んだ声とは裏腹に風花ちゃんの小さな手が、微かに震えていた。と思ったが……すぐに治ったようで、俺の気のせいだったらしい。
風花ちゃんのクリッとした瞳が俺を捉えて、ニコッと満面の笑みを浮かべた。
「さあ、行きますよ」
そう言って、風花ちゃんは俺の手を引っ張るようにして、マンションの外へと向かっていく。
コンシェルジュのお姉さんからの『行ってらっしゃいませ』という声が背中越しに聞こえた。
……えっと、風花ちゃん。
今の君は一体全体、何を考えているのだろうか。
∞
ずっと手を握り締められたままで、俺たちは現在、映画を観ていた。
どうやら全米が泣いたという謳い文句の恋愛ミステリー映画だった。
『これ、観てみたかったんですっ!』
そう言って、映画館のチケット購入機器の前で、風花ちゃんの瞳は好奇心で輝いていた。
デートなどというから、やたらと緊張してしまった。
そりゃもちろん、歩いている時も、俺の腕にしがみつくような感じで寄り添っていたから身を構えてしまっていた。
時々、顔色が悪く見える気がしたが、どうやら気のせいだった。
今の風花ちゃんは、これまでのようにあの高層マンションのお家で一緒にいる時と変わらないほど、普通に振る舞っていた。
そう、だからこそ俺が単に意識しすぎていただけにすぎないらしい……。
――って、どうにかこうにか誤魔化そうとしたが、納得できるわけがないっ。
え?なんで、ずっと手を握りしめたままなの?
てか、普通に映画の内容が入ってこないから!
それよりも何よりも、なんでこんなに小さな手なんだろうか!
ああ、真剣な表情で映画を観ている横顔も可愛いし、何もかもが――
などと夢見心地のような気持ちでいると、気がついた時には、いつの間にか映画のエンドロールが流れ始めていた。
やれやれ、どうやら途中の記憶が飛んでいるが、この短時間で異世界転生でもしていたというのだろうか。どこか知らない世界にでも飛ばされてしまい、そこで何かしらの成果を成し遂げて帰って来た結果とでもいうのだろう。
そんなくだらないことに思い耽っていると、風花ちゃんからの視線を感じた。
「少し遅くなってしまいましたが、お昼に行きましょっ」
「は、はい」
それにしたって、また風花ちゃんの手が僅かに震えているような気がした。
だからかもしれない。
俺は少しだけ強く握り返してしまった。
そんな些細なことでも、風花ちゃんはニコッと微笑んで言った。
「さあ、ヒカルくん!行きますよっ」
それからの俺たちは、風花ちゃんがすでに予約していたというパスタ屋さんに行った。
男ととしてはなんと情けないことだろうが、しかしながら、風花ちゃんの段取りの良さには驚かされてしまった。
それにしたって、俺の好物であるパスタをチョイスしてくれていることに、すでにズッキューんとハートは撃ち抜かれてしまった。
いやまあ、元々すでに風花ちゃんにはゾッコンなんだけども……。
などと考えながら、すでにパスタを食べ終え、デザートであるティラミスを食べていると「コホン」というわざとらしい咳が聞こえてきた。
「……それで、ヒカルくんはもうナンパなんていう不埒なことしないでくれますよね?」
「もちろん、一生行いませんっ!」
「ふふ、そうじゃないと——あの映画の結末のようになってしまうかもしれませんからね」
うん、ナンパなどという非効率的なことは今後一切合切行わない。
やはり風花ちゃんと話す――一緒にいる方が1000倍楽しい。
それに対して、時間を有効に使うべきだろう。
……あれ、そういえば、先ほど観た映画の結末は確か——黒幕が恋人の女性であり、その女性は普段退屈そうに暮らしている主人公——探偵である彼氏の灰色の脳細胞を引き出すため、マッチポンプ的に犯罪を引き起こしていた。
そして最後——探偵である主人公が別の綺麗な女性に心が惹かれて行ってしまい——恋人の女性に刺されてしまったところで終わった。
結局、主人公の探偵は、黒幕が恋人だったことに気がついてしまったから恋人から離れて行ったのか、それとも単に別の綺麗な女性の誘惑に負けてしまっただけのか、観客が考察するような結末だった。
『あの映画の結末のようになってしまう』とは、まさか……ね?
一瞬、全身を襲うような寒気がした。
しかし、目の前の風花ちゃんはどこか安心したように頷いた。
「わかってくれたみたいで、よかったです」
「あ、はい……」
「ところで、この後ですが……行きたい場所があるんですけど、いいでしょうか」
「もちろん付き合うけど、どこに行きたいの?」
「ふふ、それは着いてからのお楽しみですっ」
風花ちゃんは楽しそうにウィンクをした。
——可愛いっ。
って、いやいや誤魔化されている場合ではない。
それにしたって、昨日と今日の風花ちゃんの様子がおかしい。
やけに距離感が近いというか……おかしいというか……。
いや、正確には仲良くなってから、風花ちゃんとの距離感は近くなった。
だからこそ今に始まった事ではないといえば、そうなのだろう。
特に最近は、家を訪れた時、引っ付くようにして近くにいることが多くなっていた。
しかし、それにしたって……今日の風花ちゃんの行動は変だ。
普通――男女の友だち関係だと手を繋ぐものなのだろうか。
でも……まあいいっか。
そんな疑問が頭の片隅に残っていたが、目の前で楽しそうな風花ちゃんを見ていると、ちっぽけな疑問なんてどうでもいいことだろう。
俺は風花ちゃんの瞳に吸い込まれるように返事をした。
「了解」
「はい」
風花ちゃんは満足そうに微笑んだ。
とりあえず、これだけは言える。
風花ちゃんともう少しだけ一緒にいたいという気持ちに変わりはないのだから。
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