第15話 ナンパ師が乗っていた難破船

 そして、時は流れた。

 いやでも流れてしまったのだ。


 金色の巻き髪をくるくると指で弄んでいたはずの春見ハルナちゃんは鬼のような形相で俺を睨んだ。


 俺はあくまでも山田くんに付き添う形でナンパという経験をする必要があったことを説明した。


 特に来るべき社会人となった暁にその社会性を発揮するために、コミュニケーション能力を身につける必要があるため、その訓練を仕方なくしていたのだ。


「だ、だから……け、決して、春見マイさんが現役の声優だなんてことは知らなかったし、そもそも、ハルナちゃんのお姉様だったことなんて知らなかったんだっ」


「ふーん。それであんたの言いたいことはそれだけ?」

「……は、はい」

「あっそ。ふうか、今の説明で納得した?」

「――っ!?」


 何と言うことだろうか。

 ハルナちゃんは、いつの間にか風花ちゃんへと電話をかけていたらしい。


 ハルナちゃんの色白い手は、ポーチの中からスマホを取り出して、テーブルの上へと置いた。


 電話口の向こう側で風花ちゃんが僅かに息を呑むような雰囲気がした。


 そして、僅かな沈黙の後で、スピーカーとなったハルナちゃんのスマホから音声が流れた。


「ヒカルくん……後でお話があります。部屋でお待ちしていますから……絶対に来てくださいね?」

「は、はい」


 返事をした瞬間に、『ツー』という電話の切れる音が響いた。

 

 先ほどの風花ちゃんは有無を言わせないような静かな声だった。

 風花ちゃん声から察するに——絶対に機嫌が悪いに違いないっ。


 ああ、やはり俺は山田くんに無理やりナンパ師として、目的地すらも決まっていなかった船——難破船に乗せられてしまっていたのだろう。


「それで頭のおかしい夏弥さんのことは置いておくとしても——」

「おい、鉄仮面!なんだその修飾語は——」と抗議の声をあげようとして、なぜか「うっさい」というハルナちゃんからの凍りつくような低い声と共に冷たい視線を向けられてしまった。


 ——っく、俺には抗議の声をあげることも許されないというのか。


 コホンというわざとらしい咳をした後で、鉄仮面——レイナさんはマイさんへと視線を向けた。当のマイさんの方は、知らん顔でくるくると黄色の髪先を弄んでいた。


 ハルナちゃんの癖と同じで……さすが姉妹だけはあるな。

 でも、雰囲気は全然違うんだよな。


 明るい元気オーラ全開のマイさんと若干近寄り難いキリッとした雰囲気のギャルのハルナちゃん。


 マイさんはチラッと俺へと視線を向けて、ニヤッと笑みを浮かべた。

 

 そんな光景を見て、怒りを抑えきれなかったのだろう。

 鉄仮面はピクっと眉が動いた。

 

「それで、マイ……あなたはなんで高校生なんかにナンパされてホイホイとついていったの!?」


「うーん、だってヒカルくん、かっこいいし、面白かったしー?そんな感じ」


「……今のあなたは声優として人気なんだから、軽々しい言動は——」


「はいはい、ルイナは相変わらず真面目なんだからー」


「茶化さないでっ!」


「もーわかったわよ……ごめん」


「はあ……」とレイナさんは仕方がないと言った雰囲気で、ため息をついた。


「それで、お姉ちゃん?レイさんはどこに行ったのよ?」


「えっと、ヒカルくんのお友だちと良い感じになって、別の席に移ったから……お店の奥の部屋にいるんじゃないかなー?」


「あっそ」とキッと睨むようになぜか俺へと視線が向けられてしまった。まるで、『おまえのせいだ』というようなそんな強い視線だった。


 さすがに山田くんが何を考えているのかまでは知らんぞ。

 てか、普段、冷静沈着な山田くんが『ナンパをしよう』だなんて言った時点で俺の手に余る状態だったのだから……どうしようもないだろ。

 

 

 何だか少しこの部屋は寒いような気がする。

 風邪でも引いてしまったとでもいうのだろうか。

 あるいはエアコンの設定温度が間違っているだけなのかもしれない。

 

 ……いや、エアコンの設定温度が間違っていることでも、俺が突如として風邪をひいていたわけでもないことくらいわかっているのだ。


 おそらく単にこの状況で、肝を冷やしてしまっている気分的——心理的な問題なのだろう。


 あの猫カフェで、マイさんたちと別れてから俺はドナドナと鉄仮面とハルナちゃんに連行されるように車に乗せられた。そして、風花ちゃんの元へと引きづられるように——いや本当に物理的に引きずられるように連行された。


 マネージャー鉄仮面はというとすでにこの場にいない。


 どうやら急な呼び出しとやらがあったらしい。


 スマホ片手に『レイが暴走しているから、止めてくるっ』とか何とか言った後、俺を見捨ているように『夏弥さんは反省してくださいねっ』と付け加えるように吐き捨て、行ってしまった。


 そして——現在、なぜか俺は正座させられていた。


 当然、俺の目の前には風花ちゃんがいる。

 その風花ちゃんはプンスカと怒った表情で俺のことを見下ろすように腕を組んで立っているわけだが……。


 この角度からだと白いワンピースの裾が少し翻ってしまったら、魅惑的で色白い肌が見えてしまうのではないだろうか。


 などとほんの少しだけ、現実逃避をするようにして、ピンク色で平和的な光景を想像した時だった。

 

 先ほどまでダンマリだった風花ちゃんは、口を切った。


「それで、ヒカルくんはわざわざ学校終わりに、わざわざ見知らぬ年上の女性をナンパするために、わざわざ路上で待ち伏せするのが趣味なんですか?」


「ち、違う——」


「それとも私たちの事務所の先輩——マイさんとレイさんをナンパすることを狙っていて、前から計画していたんですか?」


「いやいや、マイさんたちが風花ちゃんが所属していた事務所の先輩だったなんてこと知らなかったからっ!」


「……では、待ち伏せしてナンパしていたわけではないと?」


「もちろん!てか、そもそもあの場所に行ったのは偶然であって——」


 ジトーっとした風花ちゃんの視線は、俺のことなんて全く信用していないことを表しているようだ。


 ああ、これじゃまるで恋人の浮気を疑うような言動というか……いや、夫の浮気を問い詰める妻のような言動ではないだろうか。


 そんな嬉しいような怖いような重い思いが俺の脳裏を支配し始めた時だった。


 テーブルの近くで腰を下ろして、俺たち——風花ちゃんに怒られている俺の滑稽な姿を見ていたハルナちゃんが俺の言葉を遮った。


「てか、私のお姉ちゃんをナンパするとか、マジでキモいから」


「だから、そもそもハルナちゃんのお姉さんの存在だなんてこと知らなかったんだって!」


「どうだか」と言って、挑発するように金色の髪をかきあげた。


 先ほどから話が全然前に進まない。

 それに足が痺れてきており、感覚もなくなりつつある。

 どうすれば俺はこの地獄の時間から逃れることができるのだろうか。


 などと、どうしようもないほどの絶望感を抱き始めた時だった。


 風花ちゃんは、何かを閃いたような声を上げた。


「そ、そうですっ!ヒカルくんには、罰を受けてもらう必要がありますっ!」

「……?」

「明日——土曜日、11時、このマンションに来てくださいっ!」

「……はい?」

「これは絶対命令ですからねっ!」


 風花ちゃんは『話はこれで終わりです』と言ったようにプイッと顔を背けた。


 どうやら俺の回答というか、意志とやらは求められていないらしい。


 さて、何をさせられることになるのやら……。

 少しだけ嫌な胸騒ぎがしたが、何も言えなかった。


 なぜだかこの時の風花ちゃんの横顔が少しだけ、寂しそうに見えてしまったのだから。

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