第12話 厄介なこと

 つくづく自分の単純さに呆れてしまう。

 でも、推し――いや、今となっては友だちからの依頼を無碍に断ることなんてできない。


 それくらいに冬野風花という女の子は、俺にとってかけがえのない存在なのだから。


 いつだったかドナドナと連れて来られた事務所の入っているビル。

 そのビルの中の一室——今日、初めて足を踏み入れたのは動画配信用の部屋なのだという。


 そんなことを漠然と考えていると、目の前の白髪の女の子――湖上秋乃ちゃんのジトーっとした視線を感じた。


「何をー考えているのですかー?」

「別に――大したことじゃない」

「変態さんですねー」

「なぜその結論が出てきたんだっ!てか、変なことなんてこれっぽっちも考えていないからなっ!?」


 間伸びしたおっとりした声を裏切るように、刃物のように鋭い毒舌を繰り出してくる。

 秋乃ちゃんがこんな人だったなんて予想もしなかった。


 アイドルとして活躍していた頃は、癒し系のお姉さんとして誰にでも優しくて、年上として包容力のある雰囲気で、風花ちゃんやハルナちゃんを見守るような三人姉妹の長女のような立ち位置だった。


 そんな誰にでも優しくて、ほんわかとした雰囲気の秋乃ちゃんなのだが……。


 でも、俺に見せる態度は、もしかしたら風花ちゃんに急に近づいてきた存在——異分子を危険視している防衛本能のようなものなのかもしれない。


 そう、例えば、家族同然の風花ちゃんを心配するところから来ている態度なのだとしたら、大切な人を守りたくて警戒心を抱くことも仕方ない――


「先に言っておきますけどー。わたしー、あなたが嫌いですからー」

「……」


 前言撤回だ。

 この人は、単に俺のことが嫌いなだけだったようだ。

 

 くっそ。

 誰もかれもから好かれることなんて望んでいないが、それでも直接面と向かって言われると、なんというか視界がぼやけてくるではないか。


 いや今回の場合、可愛い女の子に言われたことの方がクリティカルヒットになっているのかもしれない。


 はあ……とりあえず風花ちゃんからの頼み事をこなすしかない。


「と、とりあえず俺のことを好きか嫌いかは置いておいて、お仕事の話をしよう」

「そうですねー。わたしー、あなたのことが嫌いですー」

「なぜ意味もなく繰り返した?てか、回答になっていないんですけど?」

「うるさいですよー」

「……」


 えー、この人、全くこちらの話聞こうとしないんですけど。


 チラッと後方に座っているマネージャー——鉄仮面に視線を向けると、口パクで『続けて』と動いた気がした。


 おいおい、俺は別に罵られることに快感を覚えるようなそんな特殊な性癖を持っていないのだが……。


 仮に持っていたとしても——風花ちゃんからの言葉ならどうだろうか。

 風花ちゃんの瞳が俺を見下すように少し細められた。

『ヒカルくんのことなんて、キライ』

 そんな罵りの言葉を言われてしまった暁には、ご褒美……?

 

 いやいや、それはないな。

 

 むしろ、そんな言葉を言われてしまったら、俺の輝かしいほどの明るい未来は、一瞬で暗闇に飲み込まれてしまうことだろう。


 端的に言うと、死にたくなるわっ。


 いやこれ以上、余計なことを考えている場合ではない。

 け、決して、想像の中の風花ちゃんからの冷たい言葉や表情を想像してしまい、近い将来起こりそうな嫌な予感がしてしまったからではない。


 秋乃ちゃんはつまらなさそうな表情で、くるくると白く長い髪をもてあそんでいた。


「こほん、と、とりあえず、風花ちゃんからの頼みごとなんだから協力しないと……風花ちゃんから嫌われるんじゃないのか?」


 ピクっと肩が僅かに動いて、くるくると指先で髪をいじる動きが止まった。

 ゆっくりと、秋乃ちゃんの少し眠そうな垂れ目が俺に向けられた。


 どうやら風花ちゃんという単語には反応してくれるらしい。


「とりあえず、風花ちゃんが任されているお仕事は、XR用のプロモーション動画というか、バーチャルヒューマンと秋乃ちゃんがやり取りをしている光景がホームビデオ的な雰囲気で欲しいらしいから、協力をしてくれ」

「はあ……風花ちゃんのお手伝いのためだからー、協力するだけですからねー」


 間伸びした声で答えて、秋乃ちゃんはチラッと俺から視線を外した。

 

 まったく……ため息をつきたいのはこちらの方だというのに……。


 てか、俺の専門と全然関係ないのにこんなことを安易に引き受けなければよかったと、今更ながら思ってしまった。


 それにしたって俺に頼むくらいなのだから、風花ちゃんにも何かしらの意図があることくらいわかるが……全然、考えていることがわからん。


 いやいや、しかしながら、推しである風花ちゃんが困っているのであれば、例えばこの世に存在しているからわからない秘薬を探しに行かせるようなことであっても、きっと頼まれた暁には、断れないのかもしれない。


 それにしたって……。

 ああ、貴重な休日がこんなことで潰れてしまうなんて……。


 今頃、風花ちゃんは何をやっているのだろうか。



 私はふうかの少し震える肩をさすった。

 少し口角が引き攣り、全然平気なんかではないのがバレバレなのに……それにもかかわらず誤魔化すようにぎこちなく微笑んだ。

 

「ハルナちゃん……あ、ありがとう」

「別に、大したことじゃないでしょっ」

「う、うん。でも——」

「もうそろそろ、ここを出発しないと間に合わなくなるけど……」


 ふうかの言葉を遮って、震える手を強く握りしめた。

 ひんやりとする掌がぎゅっと握り返された。


 やっぱり、今のふうかの様子を見る限り、まだ日が出ている時間帯に外出するのは難しいかもしれない……。


 ぎゅっと、モノクロのブラウスの裾をつかみ、先ほどよりもわずかに青白くなった唇も震えているように見えた。


「ふうか……やっぱり、戻ろっか——」


 何とか立体駐車場まで連れてくることはできた。

 それだけでも、かなり進歩だと思う。


 一度だけ、事務所まで外出することができたと聞いた時は、耳を疑った。

 

 それはきっと、あいつ——仏頂面したあの頭のおかしい男の子に会いに行った日だというのだから……それだけ、ふうかの中で何かがあったことくらい察しがついた。


 あ、でも確か……ルイナに車で事務所まであらかじめ連れて行ってもらった、と言ってたような気がする……。


 まあ、例外は置いておくとしても、それでも……今日は、高層マンションの地下に移動できたのだから、部屋に閉じこもってしまっていた頃よりは大分マシだと思う。


 私は微かに震える手を引っ張るようにして、ふうかを強引にマンションのエレベーターへと引き返した。


「ごめんね……」


 背中越しに、ふうかのかき消えるような声が聞こえた気がしたが、私は何も返すことができなかった。


 一歩踏み出すことがどれだけ凄いことか……それくらい私にだってわかる。

 

 でも『ふうかならすぐにでも治るよ』だなんて、そんな気休めは私の口から言えない。


 だって、ふうかをこんな風にしてしまった一因は私にあるんだから……。

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