第11話 始まり
正式に風花ちゃんと友だちになってから、数週間が過ぎた。
この数週間、毎日のように高層マンションへと足を運ぶことになるとは思ってもいなかった。
気がついたら風花ちゃんから呼び出されることが俺の日常になった。
これまで放課後は自宅に直帰していた。
でもそんな灰色の日常からまぶしい輝きのある日常に変わった。
というよりも、一周回って俺の未来はまぶしすぎて見えないくらいだ。
『今日お時間ありますか?』というメッセージと、なんというキャラクターか知らないが、白目のクマの口から血がダラダラと流れているスタンプとともにシュールなお誘いが恒例のやりとりになっていた。
もちろん、俺は『はい、喜んで!』と即レスする。
当然、俺クラスのボッチになると『この返信は時間をおいて、風花ちゃんをじらすんだっ』などという恋の駆け引き――心理戦など一切行わない。
むしろ風花ちゃんの連絡先を知ってから、母さんと妹やお客さん以外と久しぶりにメッセージをすることに軽い感動さえ抱いたものだ。
あれおかしいな。
なぜだか視界がかすんできた。
うん、何しても風花ちゃんのちょっとした連絡が――めちゃくちゃ、かわいいのがいけない。そういうことにしておこう。
そして何よりもこの数週間で色々なことがわかってきた。
風花ちゃんは、寂しがりやなところやそれでいて素直じゃないところがあったり、少し意地っ張りで頑固なところがあったり、それでいて自分自身に厳しい性格なところもある。
そして何よりも一度心を開いた相手に対して少し――いや、かなり距離感が近いことも知った。
ふかふかで高級なソファーに腰掛けていた俺のすぐ隣から少し怒ったような声が聞こえた。
「ねえ、ヒカルくん、聞いていましたか?」
「ごめん、ぼんやりしていた」
「むー」
そう言って、プクッとふぐのように頬をふくらませた。
あ、この表情をするときの風花ちゃんは少しお怒りモードの時だ。
風花ちゃんは俺から視線を逸らして、ノートPCの画面へと戻ってしまった。
そして、キーボードをカタカタと打ってから、画面をコチラに向けた。
「えっと……秋乃ちゃんが載っている2枚の写真がどうかしたの?」
「はあ、そこから聞いていなかったんですね」
「ご、ごめんなさい」
「秋乃ちゃんのファンクラブ用のサイトに掲載する写真は、ピンクと緑どっちがいいと思いますか?」
風花ちゃんはやれやれといった表情で、あきれたような声で言った。
ジトーっとした瞳が俺を見下すように細められた。
くっそ。
これはこれで普段見ることができない表情の風花ちゃん……ぞくぞくするんだけどもっ!
てか、怒った表情もかわいいんですけどっ!
少し眉を曲げて怒った横顔は『もう、めっ!』と幼い子どもを叱るようで――
「もう……ヒカルくんはたまに『心ここにあらず』みたいな時ありますよね」
「ご、ごめん」
「別にいいですけど」
プイと風花ちゃんは顔をPCの画面へと向けてしまった。
ああ……がっかりさせてしまった。
俺の唯一の欠点だと言ってもいい、優柔不断な性格がこんなところで発揮されてしまうなんて、なんて試練を神は俺に与えてくれるのか!?
とりあえずのところは、風花ちゃんの求めている期待に応えることから始めるべきだ。
「コホン、緑とピンクの二択だとすると……秋乃ちゃんの髪はシルバーの髪だから背景に緑を使った方が、落ち着いて見えるんじゃないかな。ピンク色だと、ちょっと背景にしては派手な印象が強い気がする」
「た、確かにピンクだと背景色が強くて、秋乃ちゃんがメインじゃなくなってしまいますよね」
そう言った後、チラチラと俺のことを横目で見てから、風花ちゃんは「ご意見、ありがとうございます」とつぶやいた。
――いや、この反応は反則だろ!?
風花ちゃんの意地っ張りな反応にもだえていると、風花ちゃんは逃げるようにして立ち上がった。
「……?」
「そ、そういえば、コップの中のお水がなくなってしまったので、取ってきますっ」
「そっか」
「ヒカルくんはほうじ茶ですよね?」
「なかったら、水で大丈夫」
「ううん、某ネットショッピングサイトの『ララゾン』で1ヶ月分ストックしているから大丈夫ですっ」
そう一方的に言って、急足で風花ちゃんはすでに冷蔵庫のあるキッチンの方へと行ってしまった。
黒い髪がゆらゆらと揺れて、遠ざかる華奢な背中から目が離せなかった。
なんとかPCの画面へと戻して、キーボードを叩くことでこれ以上風花ちゃんに気持ち悪がわれないように振る舞うことしかできなかった。
∞
時間がゆっくりと過ぎて、すでに終電近くになっていた。
最近は、この時間になって俺と入れ替わるようにして鉄仮面――黒岩ルイナさんが帰宅していた。そして当然のように、本日、今日この日もまた鉄仮面は少し疲れたような表情で帰ってきた。
「ただいまー」
「ルイナさん、お帰りなさい」と風花ちゃんはすぐにソファーから立ち上がって、ルイナさんの元へと行ってしまった。
……別に寂しくなんてないが、ちょっとだけ悔しいと思ってしまった。
じっと二人の様子を見ていたからだろうか、ルイナさんが切長の瞳を俺へと向けた。
「夏弥さん、今日は少しお話があります――」
「おっと、終電の時間のようですので、それでは俺はここで失礼します」
なぜか嫌な予感がして、俺は咄嗟に帰り支度をテキパキとした。
コップに残ったお茶を飲み干してから、ノートPCをカバンへと入れて――ルイナさんはわざとらしく『はあ』とため息をつくのが聞こえた。
一方で、つい先ほどまでそんな様子をソワソワと見ていたはずの風花ちゃんが、俺の目前で立ち止まった。
「……?」
「ヒカルくんっ!」
「は、はい?」
「その……お、お願いがあるんですっ」
「はい、喜んでっ!」
あ、つい反射的に引き受けてしまった。
くっそ、これが俺の隠された異能の力なのかもしれない。あるいは、推しに頼み事をされると、即座に引き受けてしまうという厄介な性質なのだろうか。
まあ、この際、どちらだってそんなことはどうだっていいのだ。
上目遣いでうるうるとした風花ちゃんの瞳が俺を捉えている。
きっと、鼻の下が伸びた滑稽な男子高校生の姿が写っていることだろう。
当然、俺のことなんだけど。
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