第10話 友だち

 やけに静かだ。

 いや、この場合正確には今いる室内が重い雰囲気に包まれているだけなのかもしれない。


 ふかふかの絨毯の上で正座をしてからどれほどの時間が進んだのか。

 流石に、普段正座などという座り方を長時間に渡ってしないわけで、痺れ始めていた。


 まあ、バレなければ問題ないだろう。

 

 ゆっくりと足を崩そうとして――湖上秋乃ちゃんの間延びする声がした。


「誰がー足を崩して良いって言いましたかー」

「っち、少しくらいは、良いだろうが」

「ダメですー」

「……」


 先ほどよりも強くなった異様な圧力を感じる。

 まるで俺だけが悪いみたいな……いや、誤解されてしまうような行動を取った俺も悪いんだけれども、それでもちょっとくらい話を聞いてくれても良いんじゃないでしょうかね。


 それにしても、こういう時に役に立たない女――黒岩ルイナ。

 チラッと、テーブルの方を見るとすでに意識がなく、テーブルに頬をつくように潰れているようだ。


 くっそ、起きる気配すらない。

 呑気に寝ていやがる。


 その時、秋乃ちゃんはニコッと嫌な笑みを浮かべた。


「それでー。あなたはそもそも誰なんですかー?」

「夏弥光。高校2年。趣味はプログラムを組むこと?いやアプリ開発――」

「そういうことじゃなくてー。風花ちゃんとの関係ですよー」

「それは……」


 なんて説明すれば良いんだ。


 まさかファンレターと現金を送り続けていたら、ついに事務所に呼び出されて説教をくらって、鉄仮面――黒岩さんと紆余曲折あり怪我をしてしまったので、その謝罪も兼ねて今日呼び出されたんだけど、結局怪我を負わせた鉄仮面本人――黒岩さんが酔っ払って帰宅してきたもんだから、結局なんのために来たのか訳わからないままここに残っていた。


 そして、ほんのちょっとした出来心で風花ちゃんを押し倒してしまったが、全くこれっぽっちも無理やり関係を迫ろうなんて考えていなかったんだ!


 などと説明したところで、信じてはくれないだろう。


 先ほど居間から椅子を持ってきて、俺から少し離れたところで腰を下ろしている風花ちゃんは、チラッと俺へと視線を向けた。こくりと小さく頷いた。


 まるで私に任せていなさいっ!とでも言いたげな表情だ。


「秋乃ちゃんっ!」

「はいーなんですかー?」

「夏弥さんは――私のファンなんですっ!」

「そうですかー。やっぱりストーカーでしたかー。では警察にお電話しないと――」

「おいおい、なんでそうなる!?最後まで風花ちゃんの説明を聞けよっ!」

「ストーカーさんは、うるさいですよー」

「……」


 くそ、俺の発言は初めから聞くつもりがないのかよ。

 まあいい。

 このまま風花ちゃんがちゃんと説明してくれさえすれば問題ない。


 それに、鉄仮面――黒岩ルイナさんが目を覚ましたら、説明に補足して貰えばなおさら俺が人畜無害のただの高校生であることが伝わるに違いない。


「こほん。その夏弥さんは、私にファンレターをずっと送ってくださって――」

「執着性があるとー」

「えっと、私が引退してからは、現金もお送りしてくださり――」

「今回の不法侵入だけでなく、余罪もあるんですねー」

「き、今日も私のお手伝いに駆けつけてくださって――色々ありまして、それで……ぐ、偶然、先ほどの体勢になってしまっただけなんですっ!」

「なるほどー。法を犯すことも省みない大胆な計画性を持っているんですねー」


 風花ちゃん……一生懸命、身振り手振りを使って説明をしてくれてありがとう。

 必死になって説明する姿は保護欲をかき立てる上に、ものすごーく可愛い。

 めちゃくちゃ魅力的だとさえ思う。


 でも……全然説明になっていないからなっ!?

 

 まるで俺があらかじめこのような状況を想定していて、風花ちゃんに口止めしていたような感じになってしまっているからねっ!?


 明らかに誤解を招く表現ばかりで、全然言葉足らずな感じになっているではないか。


 もうダメだ。

 俺はもしかしたら、一生牢屋で暮らすことになるか、あるいは牢屋から出てきても世間からの冷たい視線を受けながら暮らすしかないのか……。


 前途あふれる若者がこんな濡れ衣で追い詰められるとは、なんとこの世は理不尽なのか。


 ……いや、悲劇の主人公を気取っている場合ではない。

 そろそろ誤解を解く時間だ。


「コホン。まず、大きな誤解がある」

「……?」と風花ちゃんは不思議そうな表情で少し首を傾げた。

「なんでしょうかねー」


「そもそも、俺は黒岩さんに呼ばれたのがきっかけなわけ。で、呼び出した本人は帰って来ず、風花ちゃんからのお願いごとをこなしていた訳だから、特にやましいことなんてこれっぽっちもなかったんだ」


「へー」と秋乃ちゃんはスッと瞳を細めて、「じゃー先ほどのー風花ちゃんを押し倒していたのはなんだったんでしょーか?」とさめた口調で言った。


「そ、それは、風花ちゃんが、あまりにも無防備だから、少しお灸を据えようとして――」

「わ、私が軽率でしたっ!だから、夏弥さんは悪くないんですっ」


 俺の声を遮って、風花ちゃんが訴えた。


 その時だった。

 頭を抑えるようにして、たどたどしい千鳥足で、鉄仮面――黒岩ルイナが現れた。よく見ると、若干頬も赤く染まっており、酔いは覚めていないのだろう。


 うう、と二日酔いのような声をあげてから、呆れたような声で言った。


「う……頭痛い……うるさいですよ……あれ、あなたたち何をやっているんですか?」

「ああ、神よっ!!!」

「な、何ですか?」

「いや、なんでもありません。ただこの厄介な状況を説明できるのはあなたしかいない」

 

 とにかく酔っ払いだろうが、使えるものは使わないとな。


 まさにこれこそが地球環境にやさしいリサイクル。いや、人々のピンチをなんとかしてくれるエコシステムに違いない。


「うう、そんなことよりも……今は何時でしょうか」

「深夜の2時を過ぎたところですね」と風花ちゃんが答えた。

「……」と最初は言葉の意味をわかっていないようにポカンとしていたが、はっと顔の表情が強張り、「――!?秋乃を迎えに行かなきゃ――」と早口で言いかけた。


「私ならーいますけどー?」

「え?」

「ですからー。湖上秋乃ならーここにいますよー」

 

 間延び声で、秋乃ちゃんは返事をした。

 やっと状況が飲み込めたような表情となり、黒岩さんは立ち止まった。


「秋乃!」

「はい?」

「また勝手に撮影から抜け出して来た訳じゃないでしょうね!?」

「人聞の悪いこと言わないでくださいー。ちゃんと撮影は終えて、タクシーでここまできたんですー」

「そ、そう。それならばいいのだけど……彼――春樹くんはどうしたのよ?」

「サブマネさんなら、ここまで送ってもらってから、帰ってもらいましたー」

「はあ、よかった」


 そう言って黒岩さんはソファーへとずっしりと腰掛けた。

 

 いや、俺はいつまで正座し続けなければならないんだよ。

 

 チラッと、風花ちゃんからの視線を感じた。

 ただ申し訳なさそうに、小さく『ごめんなさい』と口元が動いた。


 ――か、かわいい!


 そんなリアクションをしなければならないほど、俺はすでに深夜のテンションになっていたのかもしれない。


 その後は、ただ現実逃避するように、鉄仮面――黒岩さんから、俺が人畜無害なナイスガイであることを語ってもらった。


 いやしかしながら、少し上から目線で俺のことを『ス、ストーカー――こほん、熱心なファン』と言ったこと、絶対、忘れないからな!?


 そんなこんなで、時間が過ぎて行った。



 鉄仮面から誤解させるような行動をするな、だとかなんとかお説教というか、誤解というか勝手な解釈をなんとか、右から左へと受け流した。


 ただ、終始、秋乃ちゃんからの冷めた視線は続いた。


 やれやれ妄想癖があるとは、湖上秋乃という人気者の欠点に違いない。


 などと一人夜更けの東京の夜空をベランダから見上げた。

 全く星など見えないので、ネオンサインがついたままの夜景へと視線を動かすと、ガサガサとガラス張りの窓が開けられた。


「まだ寝ていなかったんですね?」

「……風花ちゃんこそ夜更かしは肌の大敵なんじゃないの?」

「ふふ」となぜか誤魔化すように風花ちゃんは微笑んだ。俺の隣まで来ると、ウッドチェアに腰を下ろした。おそらくお風呂から上がってすぐなのかもしれない。

 フワッと、シャボンの爽やかな香りが舞った。

 

 ――これは、なんというか……

 

 よく見ると、僅かに赤く染まった頬や僅かに湿った色白い首元――全てが俺を誘惑しているように思えた。


 いや、そんなこと天地がひっくり返ったってありえないのに、どうしようもなく神さまが与えてくれたチャンスだとさえ思えてしまった。


「昼夜逆転しちゃったんですよね」

「え?」

「もともと撮影が夜になることもありました。でも、引退してからは、完全に朝に寝て夜に起きる生活になっちゃったんです。ふふふ、まるで吸血鬼みたいですよね」

 

 そう言って、チラッとアーモンド色の瞳が、俺を捕らえた。


 なんて返事をすれば良いのかわからなかった。

 でも、これだけはわかった。


 きっとストーカーとやらに追いかけられていることも一因なんだ。


 眠れることができないくらいに、どうしようもないほどにストレスを感じている。


 ——でなければ、キッチンの戸棚にちょこんと置かれていた薬——おそらく睡眠薬など使用する必要なんてないのだから。


 でも、今のこの場でそんなことを指摘したところで意味なんてない。

 

 俺はただ風花ちゃんの話を聞いていることしかできない。


 しかし、そんな俺の内心とは裏腹に、風花ちゃんは全く別の話題を口にした。


「あ、いま、学校はどうしているんだって思いましたよね?」


「……そ、そうだな」


「単位制なので問題ないんですっ!今は、ネットで講義を受けることだってできるんですからねっ!」


「そ、そうなんだ」


「はい、元々卒業に必要な単位は、ほぼ取得しましたっ!だから、後は、何度か登校して卒業です!問題ありませんっ!」

 

 どこか褒めて褒めてと擦り寄ってくる子犬のように、誇らしげな表情だった。

 

 そういえば、風花ちゃんの高校については、鉄仮面とハルナちゃんも通信とかなんとか言っていたか。


 てか、少し察しの悪いところ……めっちゃくちゃ、かわいいんですけどっ!?


「それはすごいことだと思う」

「はいっ」

「それじゃあ、もうそろそろ寝ないと明日起きれそうにないから——」

 

 俺は逃げるようにして、風花ちゃんとの会話を終えようとした。

 が、風花ちゃんは焦ったような声を上げた。


「ひ、ヒカルくんっ!」

「……?」


 急にソワソワとし始めて、風花ちゃんのアーモンド色の瞳がうるうるとした。

 ぎゅっと白い手がふかふかの白いルームウェアを裾を握った。


 な、なんだ。

 夜景の見える高層ビルのバルコニーで、しかも二人きりのこの今にでも告白されそうなシュチュエーション。


 も、もしかして風花ちゃんは俺のことを——


「そ、その……私と……友だちになってくれませんかっ」

「はい、喜んでっ!」


 ……あれ、今『友だち』って聞こえた気がした。

 告白じゃない?


 ふむ。

 どうせそんなことだとは思いましたよ!?


 それに……勢いで返事をしていたが、よくよく考えれば俺は風花ちゃんにふさわしくないのだから、不相応なことは明らかだしな。


 などと精一杯の強がりを考えていた。


 風花ちゃんの桜色の唇が僅かに動いた。


『うん、やっと言えた』


 そうつぶやいたような気がした。


 まあ、何にしてもこれでいいと思った。

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