第6話 謝罪と依頼
「夏弥さんっ!この度は、申し訳ありませんでしたっ!どうか警察に行くのだけはやめていただけないでしょうかっ!なんでもしますので!」
そう言って、黒岩さんは綺麗な土下座をした。
ふむ、綺麗な年上の女性が跪くように、いや今回の場合は土下座だが、首を垂れる姿というのは、ゾクゾクするというかなんというか、いささか新たな扉が開いてしまうような気がした。
もちろん、風花ちゃんがいる前でそんな性癖を披露するような失態はしないわけだが、ただほんの少しだけ口がすべってしまった。
「顔を上げてください。今回の件は水に流しますから――」
「あ、ありがとうございます」
「ただし、一つ条件があります」
「な、なんでしょうか?」
「と言っても、あなたでも事務所でもなくて風花ちゃんにですがね」
「――!?」と風花ちゃんの息を飲み、ハルナちゃんは「あんた、もしかして風花を襲うつもりっ!?」と勘違い甚だしいリアクションを取った。
風花ちゃんは何かを決心するように小さく頷いてから、俺をじっとみた。
「その……私にできることならば、何でもします」
「ふうかっ!?何を言っているの!?」
「いやいや、別にいやらしいことを頼むつもりはないからな!」
「待ってください。あくまでも私――黒岩ルイナが勝手にしでかしたことなのでまずは私が対処しますからっ!」
っち。
なんだこのカオスなやりとりは。
全く話が先に進めることができないではないか。
先ほどよりも大きな声を振り絞った。
「とにかく、まずは風花ちゃんにお聞きしたい」
「はい」と神妙な面持ちで頷いた。
「なんで急に引退することを選んだのか、それを教えてくれないか?」
「……それは」と言って、チラッとハルナちゃんと黒岩さんを見た。二人はどこか気まずそうに頷いた。風花ちゃんは二人の姿に納得したように「うん」と小さくつぶやくのが聞こえた。
先ほどまでのどこかしっかりとした雰囲気はなくなり、僅かにアーモンド色の瞳に動揺する気配がした。
「……?」
「ストーカーです」
「そうだったのか……誰かに付き纏われていたってことなのか……犯人は捕まった?」
「はい、ですが……」
「他にも問題があるのか……?」
「もう一人私に執着している方がいるようなんですよね――」
どこか他人事のようで、それでいて何を諦めたような声だった。そして桜色の口元は今にでも消えてなくなってしまいそうに儚げに微笑んだ。
「だから、少しだけ疲れちゃったんです」
∞
好奇心というのは厄介な存在だ。
気が付いたら知らなくても良いことまで首を突っ込んでしまう。
そして余計なことまで知ってしまう。
それに関わらず、相手のことを勝手に知った気になって、独りよがりな言動をとってしまう。
やはり軽々しく人の秘密というものを聞くべきではなかった。
気まずい空気が俺たちに流れ、居間からはつけっぱなしのままになったテレビが流れている。いつの間にかハルナちゃんが主演しているドラマは終わってしまい、深夜番組が始まろうとしていた。
そのような空気を壊したのは、風花ちゃんだった。
「他には私にできることってありますか?」
「いや、もう大丈夫」
そう。
今のところ、風花ちゃんにやってもらいたいことはない。
ただ、俺にとっての神様――天使が困っているとなれば、早急に協力する必要がありそうだ。
なんてたって、僕いや、俺の命の恩人なのだから――何としてでもそのストーカーをしょっぴいてやろうではないか。
きっと俺がプログラミングのスキルを磨いてきたのはこの時のために違いない。
やはり全知全能の神は俺の使命とやらをちゃんと用意してくれていた。
差し当たってはストーカー撃退アプリなるものの構成を練ろうではないか。
うむ。とりあえずのところ直近の俺の生きる意味がわかったところで、そろそろここを出ないとおそらく終電がなくなってしまうに違いない。と言っても、ここがどこの駅から近いのかすらよくわかっていないのだが。
黙り込んでしまった俺を気遣うように、風花ちゃんが言った。
「そう……ですか。でしたら、もしも今後何かあれば、お気軽におっしゃってくださいね?」
「ま、まあてっきりふうかだけじゃ飽き足らず、私と黒岩さんもその毒牙にかけるんじゃないかって思っていたけど、少しは見直してあげる」
プイッと顔を背けて、ハルナちゃんは金色の髪をかき上げた。
黒岩さんは何かを言いかけてやめた。
なんかよくわからないが、勝手に俺への好感度を下げておいて、なぜか今のやりとりで好感度が上がったようだ。
やはり芸能人――いやこの場合は、ハルナちゃんの性格がよくわからなかった。
でもこれだけは言える。
なんて自分勝手な人種なんだと。
∞
黒岩さんは何を考えているのか判然としないが、黙々と車を走らせた。
どうやら俺が眠っている間に事務所の社長とやらにこっぴどく叱られたらしい。
いや叱られるも何も、社会人のくせに大人気なく男子高校生ごときに、湯呑み茶碗を投げて脳震盪を起こすなどというスキャンダルを引き起こしたのだ。
おまけに額から出血させるなどという怪我も負わせたのだ。
まあ、当然の報いだろう。
などと考えた。
が、よくよく振り返ると、そもそも俺が黒岩さんを挑発したのが原因であるから、俺自身の自業自得な側面もある。
まあ、開き直るとしよう。
そんなことを考えながら深夜の首都高から見える都会の夜景をぼんやりと見ていた。
すると、先ほどから俺の隣でスマホをいじっていたハルナちゃんからじっと視線を向けられていることに今さながら気がついた。
「ねえ、あんた本当にふうかのファンなの?」
「まあ」
「ふーん、その割にはキモいオタク――熱心なファンと違って――」
「おい、最後までキモいオタクと言い切った後で、言い直す必要があったか!?」
「っち、細かいわね。どっちだっていいでしょ」
「ファンのこと雑に扱いすぎだろ」
いや確かハルナちゃんは罵倒というか、Sっけのある性格なんだっけか。
それでファンにそっけない態度をとることで有名だったはずだが……そうであれば許されるのか?
てか、おそらくキャラクターとしての演技ではなく、元々口悪いというかあたりが強いのは素の性格なのだろう。
だからこそ歌っている時に見せる笑顔とのギャップが人気の要因だったのかもしれない。
などとできるだけハルナちゃんを理解しようと努めていると、ハルナちゃんは少し怪訝そうな表情をした。
「そんなことよりも、なんで、あんたはがっついたというか、盛りのついた猿のようにふうかに自分のことをアピールしなかったわけ?」
「言い方に悪意がある気がするんだけどっ!?」
「うるさいわね、いいから答えなさい」
「はあ……いやアピールも何も、俺は風花ちゃんと話したいだとか近づきたいだとかそんなことよりも単に恩返しがしたいだけなんだよ。だから、なんだその……風花ちゃんとどうにかなりたいわけじゃないってこと」
「だから、それがおかしいんでしょ?普通、そういうふうにして、冷静に線引きをすることってできないでしょ」
「さあ、でも俺は線引きをしているつもりだ」
「あっそ。もういいわ――それと、どうやら私にも興味ないみたいだし」
「ああ、全くないから安心してくれ」
「なんか興味なさそうな反応を素直に返されると、逆にムカつくわね」
「そんなこと知るかっ」
「ふん」と言って、暗闇でもその色白いことがわかる細い脚を組み直した。そして小さな声で確かにこう言った。
「まあ、合格ね」
「何が?」
「ふうかがストーカーに付き纏われているって話だけど、引退してから外の世界が怖いみたいで、さっきいたマンションからほとんど外出しなくなったわ」
「そうか……え、学校とか生活は?」
「学校は通信です」と黒岩さんの声が前方から聞こえた。
「それに今は黒岩さんも一緒に暮らしているしね」と付け加えるようにハルナが言った。
「最低限、日常生活を送れていることはわかった。で、それで俺の何が『合格』なんだよ」
「ふうかと友だちになってあげて」
「は?意味がわからないんだが?そもそも俺にとっての神、いや天使である風花ちゃんとは一線を引いているから――」
「ゴタゴタうっさいわね」とハルナちゃんはイラついた表情で俺の声を遮った。そして「あの子、引退してからあの部屋で何をやっていると思う?」とつづけた。
「そりゃ、学校の課題とか色々あるだろ?」
「そうね。それもあるわ。でも、私やアキノ――湖上秋乃のことだけど、私たちの裏方の仕事を手伝ってくれているの」
「……?」
さっきから、何を言っているのかよくわからない。
そもそも俺に何をさせたいのか。
いや、友だちとやらになってほしいのはわかるんだけど。
いや根本的な疑問として、なぜ今日、この日に俺を呼び出したのかもわからない。
電話でもメールでもなんでも俺に近づく方法なんていくらでもあっただろう。
しかし、わざわざマネージャーである――黒岩ルイナさんが俺へと接触してきて、わざわざ俺を事務所へと連れて行き、そこで風花ちゃんと会わせる必要なんてないだろう。
それこそストーカーの問題を抱えているのに、そのリスクをおかしてまでも風花ちゃんは外出したことになる。
なんかおかしくないか。
まるで何か俺の知らないところで、決まりきった筋書きをなぞっているかのような……そんな違和感を抱いた。
そんな俺の怪訝そうな表情を読み取ったかのように、バックミラー越しに黒岩さんの赤い瞳が捉えた。
「説明が回りくどくなってしまいすみません。ただ――このまま風花が殻に閉じこもってしまわないか心配なんです」
「なんで俺にそんな話をするんです?明らかにカウンセラーの方が適任者でしょ?」
「カウンセラーというよりも、クリニックには通院しています」
「そうですか」
そこまで風花ちゃんが危うい精神状態であったとはわからなかった。
いや当然だ。俺はただのファンでしかなくて、何一つ彼女――冬野風花という女の子の個人的なことを知らないのだから。
「それに私も含めて、どうしてもビジネスライクのような関係性――やっぱりどこかでお仕事の関係性を捨てきれていないような気がするんです。だから、どこか風花自身の本音が隠されてしまっているような、そんな気がしています」
「だから、私たちじゃなくて他の誰かと関わってほしいって思うわけ」
ハルナちゃんは何かを期待するように言った。
なるほど、とにかく風花ちゃんをどうにかしたいという思いだけは伝わってきた。
でもなぜ俺なのか――
そんな疑問へと応えるように、黒岩さんが言った。
「あなた――夏弥光さんは、ずっと風花にファンレターを送ってくれていたでしょ?それも引退してからもほぼ毎日。まあ、現金も送られているのは困りましたが。でも、風花ちゃんが、夏弥さんの手紙を読んで自分と同い年でもある、あなたから多少なりとも力をもらったんだと思いますよ」
「それはとても光栄なことだけど――俺が友だちになるだとかそんなことはやっぱりなんか違うでしょ?」
「あーもう。ごちゃごちゃうるさいわねっ!」
痺れを切らしたようだ。
ハルナちゃんがシートベルトに逆らうように身体を押し出して、俺の肩を掴んだ。ターコイズブルーの瞳や長いまつ毛、うっすらと目元がキラキラと光り、吸い込まれそうに思えた。
「いいから、協力しなさいっ!あんただったら変なことも起きないだろうし、風花のことを本当に神様だか天使だか知らないけど、そういうふうに思っているなら、協力できるでしょっ!」
いいわね、と念を押すように言った。
なぜか「はい」としか返事するこができなかった。
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