第5話 夢見心地

 なんだか、懐かしい夢を見ているような気がした。

 まあ、全く思い出せないのだが。


 てか、なんか額がヒリヒリとして痛みを感じる。


 それにしても――ここは一体全体どこなのだろうか。


 全く見た覚えもない部屋で眠っていたようだ。


 ふかふかの紺色のベッドを出ると、なぜかベッドの横にホテルで用いられている手押し台車が置かれていた。


 ああ、ここどこかのホテルの一室だ。

 しかも、これだけ広いところを見ると、どこかのスイートルームなのだろう。


 若干、違和感を感じるルーム内を歩いて見ると、微かにシャワールームらしき一角から水の流れる音が聞こえてくる。


「――?」


 いや、誰がいるのを確かめるその前に、一番手前にある部屋をチラッと見て、情報収集をするのが良いかもしれない。


 中途半端に開けられたままの一室の扉の先を覗くと、CDや本といったものが種々雑多に散らかっていた。


 ああ、そうか。

 ホテルにしては、やけに生活感があるんだ。


 その時――今にでも消えてなくなってしまうようなか細い声が、背中越し聞こえた。


「夏弥さん……大丈夫ですか?」

「――っ!?風花ちゃん!」

「そ、そんなに驚くと頭の傷口が開いてしまいますから、落ち着いてください」


 風花ちゃんは心配そうな表情で言った。

 

 冷静な風花ちゃんの姿を見て、急速に頭が働き始めた。


 そうだ。

 水をかけられて、マグカップだか湯呑みを額にぶつけて、それで身体が倒れてしまい、その時にさらにテーブルの角にぶつけたんだ。


 まさにミラクルすぎる奇跡が重なり、意識を失ったんだ。


 それにしても、ここはどこなのか。

 

 そんなの俺の疑問へと応えるように、風花ちゃんが居間の方角へと視線を向けた。


「少し疲れましたよね。ちょっと、ソファーに腰掛けてお話しませんか?」



 どうやら俺が気を失った後、あの鉄仮面は『死んだ』と言って騒ぎ立て挙句、とりあえず俺の存在を抹消するかのように、オフィスを訪れた痕跡をおざなりに隠してから、俺の身体をひきづって――文字通りひきづったらしいが、現在のスイートルームへと運んだらしい。


 そして事務所が懇意にしている医者――ドクターを呼びつけて診察してもらったようだ。


「なるほど、今度あったらあの鉄仮面は成敗して良い、ということか」

「もう……違いますっ」


 どこか呆れるようでいて、安心したような声色だった。

 風花ちゃんは、若干気まずそうに視線を逸らした。


 そうか。

 今、俺と風花ちゃんの二人しかいないんだ。


 なんか背徳的な思いが募ってきてしまうが、推し――いや、俺にとって天使である存在を汚してしまわないようになんとか思考を巡らした。


「今日、俺を呼び出した件だけど、あの鉄仮面が言っていたようにやっぱりお金のことだよね?」


「あ、はい」


「受け取ってくれないかな?」


「それは……できません」


「そっか……わかった。これからは送らないようにする。でも、とりあえず今まで渡した分だけは受け取ってほしい」


「それも……できません」


「そっか、じゃあ預かっていてほしい」


「……どうしてそこまでしてくださるんですか?」


「わかっているでしょ?手紙に書いたことが全てだよ。俺は君に救われたんだ。ただそのお礼がしたいんだ」


「夏弥さん……私はあなたの思っているような良い人間ではありません」


 何か言いかけたが、酷く申し訳なさそうな表情で俯いた。

 

 きっと下心のある好意の安売りだと思われて呆れてしまったのだろう。


 俺はただ――

 

 気まずさを壊すように先ほど点けたテレビから軽快な音が漏れ聞こえた。

 ちょうど深夜のテレビドラマが始まるところのようだ。


 元SeaSonSのメンバーである春見ハルナちゃんの端正な顔が映された。少し派手はでしい金色に近い茶髪は、ポニーテールに結ってあり、小さな顔を動かすたびに揺れた。


「あ、ハルナちゃんだ」


 何かを誤魔化すようにつぶやくと、俺の声に反応するように風花ちゃんは顔を上げた。風花ちゃんは少し柔らかな笑みを口元に浮かべた。


「ハルナちゃんは、元々女優志望だったんです。だからきっと今はすごくやりがいを感じているはずなんですよね――」


「そうか」


「はい、それになんだかすごっく楽しそうです」

「……」


 あまりハルナちゃんのことを知らないが、きっと風花ちゃんが言うのだから、その通りなのだろう。

 

 でも、なんでそんなにも儚げに微笑んでいるのだろう。


 それこそどこか申し訳なさを抱えているような、いや何かを後悔するような表情で風花ちゃんはテレビへと視線を向けていた。


 そんな時だった。


「へー、ふうかがそんなこと思っていたなんて思わなかった」

「――!?」


 今テレビに映っている人物――春見ハルナは少し仏頂面で部屋の隅に立っていた。

 すぐに、俺をじっと数秒ほど観察するように見回した後、腕を組んだままL字のソファーの奥の方に腰を下ろした。


 風花ちゃんは困惑した表情ででもどこか安心したような声色で言った。


「いつ……いらしたんですか?」

「今よ。何度も電話したのに出ないから合鍵を使わせてもらったの」


 そう言って、鍵を親指と人差し指で摘んでみせた。


 この時になって初めて、ここがホテルのスイートルームなどではなく、誰かの住んでいる高層ビルの一室なのだと確信を持って悟った。



 答えは簡単だった。

 アイドルグループとして活動していた時に、ルームシェアしていた部屋らしい。


 今では立地的にやや悪いからたまにしか使用していないそうだ。


 どこか遠くの世界の出来事のように思えて、俺は返事になっていない「へえ」という声を繰り返すしかなかった。


 元より芸能人などというおよそ一般的な高校生から離れた価値観を持つ世界の住人なのだから、そんなことを気にする必要もないのだろうが。


 と半ば開き直って、春見ハルナちゃんと冬野風花ちゃんを交互に見ていると、さすがに気に障ったのか、ハルナちゃんがイラついたようにスッと細めたターコイズブルーの瞳が俺へと向けられた。


「あんたが、頭のおかしいファン?」

「何を言っている、頭はおかしくない。むしろ、プログラミングという最高の叡智を活用している点で――」

「は?」


 女の子が発してはならない低い声が聞こえた。それに、この童貞は何言ってんだ、というような絶対零度の視線もおまけについてきた。


 ハッピーセットじゃあるまいし、こんなコンボ頂きたくなかったが、その有無を言わせない迫力に負けてしまい、なぜか「すみません」と頭を下げてしまっていた。


「はあ……」となぜか呆れるようにため息を吐いてから「『ふうかが男と二人でいる』って、黒岩さんから言われたから急いできてみたけど、何も起きていないようで安心したわ」


「あ、当たり前ですっ。何も起きませんし、起こさせませんからっ」


「あっそ、別にいいけど」と言って、ハルナちゃんはつならなさそうにプイッと風花ちゃんから顔を背けて、また俺を睨んだ。


「それで、いつ帰るのよ?」


「おい、怪我人に対して、なんだその態度は?出るとこ出てもいいんだからな?」


「出るところは出ている、ですって!?」

「そんなこと言っていないだろうが!?」


 ハルナちゃんは、先ほどよりもひどく凍えた視線を俺へと向けて、なぜか自分自身を抱きしめるようにして、ソファーの隅まで後ずさった。


「ふん……どうかしらね。男なんて身体しか見ないくせに」


「はあ?それはお前――いや失礼、ハルナちゃんの出会ってきた奴らが下半身でしか物事を考えられない奴らなだけだろ」


「じゃあ、あんたは風花と一緒にいてもそんなこと考えないって言うわけ?」


「ああ、当然だね。神様――いや天使のような存在なんだからな」


「ふーん……あっそ」


 そんな俺のやりとりを興味深い生き物でも見るような好奇心の強い視線が、じっと向けられていることに気がついた。


 コホンと小さく咳をしてから、風花ちゃんが言った。


「その……私もいるんですからね?」


 ああ、なんて可愛い生き物なんだ。


 少し不貞腐れたような声や俺とハルナちゃんを交互に見る姿、その全ての仕草が保護欲をそそる。とっさに抱き締めたくなるが、きっとこんな不相応な気持ちを抱いてしまうのは罪深いのだろう。


 そんなことを考えていた。


 すると「もう……」と言って、ハルナちゃんは立ち上がり、風花ちゃんの真横にストンと腰を下ろした。そして「……ん」と小さく言って、ハルナちゃんは風花ちゃんの肩に寄り添った。


「ふふふ、ちょっと暑いですよ……?」

「べ、別にちょっとくらいいいでしょ」


 あれ、なんか急に百合色の花の香りがこの部屋を充満してきたようだ。


 てか、テレビや雑誌でよくSeaSonSは仲が良いと思っていたが、目の前でこんな百合色の花を咲かせるくらいなのだから、不仲説やいじめ説で解散してしまったことはきっと単なる嘘なのだろう。


 解散理由が不仲説であることだけは、馬鹿馬鹿しい噂でしかないとわかった。


 てか、俺の存在……忘れていないか。

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