後編(5)
「目には目を、です」
雨宮さんは言う。集禍人を危険にさらすような強力な禍には、同じくらい危険な禍を――。
「田所さんは禍に取り込まれてしまいました。そして、そのまま再梱包された。僕は集禍人になってから、彼を探し出しました。正確には、彼の禍を呼び起こすことのできる言霊をね」
禍となって現れる田所さんは、雨宮さんを襲おうとしないのだそうだ。先ほども、私や真田ではなく、××××様へ一直線に向かっていった。
「もしかしたら、田所さんとしての記憶もわずかに残っているんじゃないかと思うんです。自分がそう思いたいだけかもしれませんが」
雨宮さんが集禍人として多くの戦績を上げたのも、類まれな梱包能力だけではなく、こうやって禍を使いこなしていたことも一因に違いない。
「もちろん、社としてはルール違反で、一歩間違えばこの禍が野放しになります。だから社長にも秘密でした」
口元に一本指を当てながら、雨宮さんは苦笑した。
次いで、彼は倒れたままの真田に歩み寄る。手をかざすと、真田の口から色とりどりの文字があふれ始めた。
彼は注意深く、黒い文字――××××様を呼び出す文字列だ――を選り分け、手に持った箱へと注いでいく。
「その後ろめたさもあって、退社されたのですか?」
私の質問に、雨宮さんは少し黙ったままだった。
「それもありますね。でも、それだけじゃない」
歯切れが悪い。私が問いを重ねようとしたところで、雨宮さんは箱の蓋を閉じた。梱包は無事完了したらしい。
「すみません、一つ下の階に行って、僕の荷物を取って来てもらえますか? この真下の部屋です。護衛たちが二人ほど転がっていますが、あと一時間は目覚めないはずです」
「分かりました。ついでに廊下で飲み物でも買ってきましょうか?」
「ありがたいです。ブラックコーヒーを」
私は部屋を後にした。扉を閉めるとき、真田に向き直る雨宮さんの背中が見えた。
首尾よく雨宮さんの荷物を回収し――護衛二人はカーペットの上で寝息を立てていた――、エレベーター脇の自販機で飲み物を買う。
とにかく、私も雨宮さんも無傷で生き残っているのだ。会社に戻ってからの諸々の手続きを考えると面倒な気分になるが、まずは命あることに感謝すべきだろう。
この後は、私たちの痕跡を可能な限り消して、ホテルを後にするだけだ。
部屋に戻ると、雨宮さんが真田に再び手をかざしていた。
私は首をひねった。梱包はすでに終わっているはずなのだ。取りこぼしでもあったのだろうか。
「早かったですね」
雨宮さんがこちらを見ずに言う。
「何しているんですか?」
雨宮さんの手元で、文字が泳いでいた。それらは、新しい箱へと吸い込まれていく。
――まさか。
「雨宮さんっ」
思わず叫んでいた。
「大きな声はやめましょうよ、根目沢さん。まだ他にも護衛がいるんですから」
浮いていた文字列が箱に吸い込まれ、彼はぱたんと蓋を閉じた。
「それは禁忌です」
「外へ出ましょう。詳しい話はそこで」
呆然とする私の横をすり抜けながら、雨宮さんはささやいた。
「この世界は、禍で溢れている」
私はゆっくりと振り返り、彼を追う。
先ほど、私が見た光景。
雨宮さんの手元では、「予防接種」「神経回路が汚れる」という文字が泳いでいた。
ホテルを出てタクシーを拾う。そのまま十分な距離を進み、適当な場所で降りた。
公園の前だった。街灯が心細く灯っている。
公園の入口に白線が引かれ、その向こうに自転車除けの柵がある。雨宮さんはその柵へと腰かけた。
白線のこちら側と向こう側で向き合う形になる。
「さっき私が見たのは――」
「『予防接種を受けると神経回路が汚れる』という言説です」
事も無げに雨宮さんは言う。コートのポケットから箱を取り出し、振って見せた。
「あれは禍ではありません。私たちは、どれだけ的外れなものであっても、禍以外の信条や主張には介入すべきでないんです」
私はいら立つ。雨宮さんがそれを知らないわけはなかった。
「もちろん、知っています」
雨宮さんは少しうつむいた。陰になって、表情が見えない。
「でも、僕はその禁忌に手を染めています。それが退社した本当の理由。社長がどこまで気付いていたかは分かりませんがね。もちろん、社を出てからも、ずいぶんと回収しました」
雨宮さんのログハウスで、ロフトスペースに並んだ段ボールを思い出す。
「どうして――」
「この世界は、禍で溢れている」
雨宮さんは、先ほどの言葉を繰り返した。
「僕が回収した言説をいくつか教えてあげましょうか」
指折り話し始める。
「東海で起きた大地震で、『津波で某国の産業廃棄物が流れ込んだから、被災地で捕れた海産物を食べてはならない』。インフルエンザウイルスの変異が認められたときの『ウイルスなど存在せず政府の陰謀で、ワクチンは毒』。某国が隣国の小児病院を爆撃した際に『攻撃などしておらず、映像に映っている被害者は全員メイクをした役者』。国をまたいで回収に動くのは、さすがに骨が折れました。言葉も一から勉強して、だから取りこぼしばかりでした」
どれも聞き覚えがない。おそらく、世に流布される前に雨宮さんが回収したのだ。
しかし、どれもさもありなんと言えるだろう。有事の際には、デマが広まる。明確な悪意をもつデマなど少数だ。冗談半分、あるいは本当にそう信じ込んでいる人間がクリック一つで発信していく。
雨宮さんのやりたいことは分かる。彼の母親――「原罪浄化」の名の下に劇薬を飲み込んだ――のことを考えれば当然だ。
しかし、大きな問題がある。
「回収する言説は誰が決めるんですか? そして、回収の必要があるとみなす根拠は?」
「そう来ると思っていました」
雨宮さんは含み笑いを漏らした。
「当然、回収を決めるのは僕です。そして明確な基準などはありません。僕なりに手を尽くして調べ、それが悪質な虚偽であると思われたら動きます」
「でも、それでは雨宮さんの主観によるところが大きい。もしかしたら――」
「そのとおりです。僕が間違っているかもしれない。あるいは、気にくわない言説を回収しているだけかもしれない」
そうなった場合、恐ろしい。世に流れる情報を、雨宮さんがコントロールできてしまう。それは、言論を統制して市井の人間を管理することと変わらない。人の認識を歪めるという意味では、デマを流す連中と変わらないのだ。
「納得してもらおうとは思いません。理解してもらおうとも思いません。ですが、この力を悪用していないことは、信じてもらいたいです」
雨宮さんが悪事に手を染めるとは私も思っていない。ただ、こういうことは概してエスカレートする。だから禁忌なのだ。
「雨宮さんの気持ちは分かります。でも、私には容認できません」
握りしめた手のひらが痛い。たらりとつたうのは血だろうか。
雨宮さんは立ち上がった。
「ありがとうございます」
突然の言葉に、私の頭は混乱する。
「何が――」
「客観的に、冷静に、怒りを抑えて――それこそ根目沢さんです。僕が道を踏み外しそうになったら、止められるのはあなただけ。勝手にそう思っていました」
本当に勝手だ。私を何だと思っているのか。
「僕は僕の道を行きます。次お会いするときには、敵対することになるかもしれませんね」
そして、雨宮さんは背を向け、その姿は闇に消えた。
「ちょっと、待って!」
我慢の限界だった。
目の前の柵を蹴りつける。銀色のパイプが歪に曲がった。
柵の向こう側へ走り出たが、すでに雨宮さんの姿はどこにもなかった。
歓楽街を進んでいく。
ネオンがまぶしく、見上げれば星の一つもない。
会社に戻らなければならない。そう思いつつ、私はタクシーにも乗らず、ぶらぶらと歩き続けていた。
頭の中では、雨宮さんの主張がぐるぐると回転し続けている。
彼のログハウスへ向かえば、再び会えるだろうか。しかし彼のことだ。私がそんな行動をとりかねないことは承知しているはずだ。行ったところで家は無人に違いない。場合によっては、二度と家に戻らなくとも、電話一本で荷物を引き払えるくらいの準備をしているかもしれない。
そんな私の思考を断ち切って、大勢の会話が耳に流れ込んでくる。
――会社の立ち上げに、あと十万必要なんだ。頼むから用立ててくれよ。
――ねえ、隣の課の坂本さん、課長と浮気しているんだって。
――今これを買うと、すっごくお得なの。ねえ、一つどう?
それらが本当なのか、それとも嘘なのか、私には判別がつかない。
それらが嘘だとして、どうすべきなのかも分からない。
私はいつか、雨宮さんと敵対するのだろうか。
彼の主張に賛同はできない。でも、それは社の方針に寄るところも大きい。もし私が退社したとして、彼の言うことを真っ向から否定できるだろうか。
甲高い笑い声が聞こえる。
ああ、と思った。
ある直感が、私の頭に突き刺さる。
社に戻って、今回の件を全て、私はきっと社長に報告する。おそらく、社を上げて雨宮さんの捜索が始まるはずだ。そして、私はいつか、雨宮さんと闘うことになるだろう。
首筋や額に、ぽつりぽつりと雨粒を感じた。
私は早足で、歓楽街を抜ける。
光に慣れた目の前に、闇が広がっていた。
――この世界は、禍で溢れている。
集禍場 葉島航 @hajima
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