後編(4)

 翌日のセミナーにも、私たちはそろって参加していた。

 真田のありがたいお話は前日のものと全く同じで、私たちは怒りも忘れ、ひたすら眠気と闘う羽目になった。

 辺りを見回すと、昨日と同じ顔がいくつか目に入る。帰り際に声を掛けてきた女も、真田の真正面の位置に陣取っていた。きっと彼らが生粋の先輩信者であり、サクラとしての役割も果たしているのだろう。

 講演後、私たちは真田の方へ近づいた。すかさず、近くの護衛たちが身構える。

「真田様、本日もありがとうございました」

「いえ。昨日もいらしてみえましたね」

 真田は眼鏡を拭きながら、ちらりとこちらを見やる。

「実は折り入ってお願いが」

「すみません。そういった依頼は事務局を通していただくことになっておりまして」

「その、懺悔に関することで」

 真田が眼鏡を掛けなおした。私の足元から頭のてっぺんまで、舐めるようにその視線が動く。彼は雨宮さんの方を見ようともしない。

「懺悔ですか。久々ですね」

「先輩の方々からお話を聞きまして、ぜひと」

「旦那様は何と?」

「旦那も、行った方が良いと」

 懺悔は隠語に近い。もともとはその言葉どおりの意味で使われていたのだろうが、いつしかそれは真田の「夜の相手」を務める方便へとすり替わった。そして、懺悔をしたものはこの上ない電気信号を注入してもらえるらしい――いよいよ頭のおかしな宗教だ。

 私と雨宮さんが左手薬指にペアリングを着けてきたことも功を奏したようだ。これ見よがしの夫婦アピールだが、真田の性癖には突き刺さったようだ。崇め奉られるのが好きな人間の一部がそうであるように、彼も他人のものを奪うことに強烈な喜びを感じるらしい。

「今晩十時に、こちらへ」

 雑に書きなぐったメモを渡された。ホテルの名前と部屋番号が書かれている。真田の宿泊しているホテルと同じ場所だが、部屋は異なっていた。どうやら、それ専用の部屋があるようだ。

「旦那も同行しても構いませんか? もちろん、部屋には入らずロビーで待ちます。何なら、別で部屋を取りますから」

「物好きな方ですね。同行されるのは構いませんが、別室で、そこのSPと一緒にいていただきます。何分、物騒なご時世ですからね」

 高名な政治家でもあるまいし、SPなどという呼称は、護衛を担う半グレ連中に似つかわしくない。私は吹き出しそうになるのをこらえ、「それで結構です」とうなずいた。

 私たちは、ありったけの道具を用意してある。改造して出力を限界まで高めたスタンガン。睡眠薬を混ぜた未開封のミネラルウォーター。麻酔針を仕込んだヘアピン。私が真田と二人きりになったところで、そのいずれかを使って真田を行動不能に追い込む。雨宮さんには、スタンガンを駆使して何とか護衛をかわしてもらうほかない。最終的には、私と雨宮さんが合流し、真田の頭から禍を引きずり出す。

 ある種の賭けだった。失敗すれば、二人とも無事では帰れないだろう。しかし、現時点ではこの方法が最も成功に近く思われた。

「それでは、また」

 踵を返す真田に、私は精一杯嬉しそうなふうを装ってお礼を述べた。次いで、周りの護衛たち――SPと呼ぶべきだろうか――にも弾んだ声を掛ける。

「皆さまにも、感謝いたします。お清め様でございました」


 そして、私たちは高級ホテルの前でタクシーから降り立つ。約束の時刻まで残り十分。丁度いい時間だろう。

「僕には縁遠い場所だ」

 雨宮さんが言う。

 彼はスーツに着替えていたが、くたびれた訪問販売にしか見えなかった。本人曰く、着る機会もそれほどなかったため、学生時代のものをずっと着続けているのだと言う。もしこの任務から生きて戻ることができたら、新しいスーツを彼にプレゼントしよう――私はそんなことを考えた。

 私はダークブラウンのワンピースを着ている。セミナーの後、社費で購入したものだ。カーディガンを羽織っているとはいえ、背中が大きく開いているのはどこか心もとない気分になる。

 二人そろってエントランスをくぐると、すでに護衛たち――真田の言葉を借りればSPたち――が待ち構えていた。

「御主人はこちらへ」

 坊主頭の柄の悪い男が、雨宮さんに手招きする。

 雨宮さんはちらりと私を見やった。互いに、小さくうなずき合う。

簡単なボディチェックを受けた後、坊主頭と黒髪ロン毛の男たちに挟まれて、彼はどこかの部屋へ案内されていった。

「どうぞ」

 鼻ピアスの中年が私をエレベーターへ案内する。

「十三階で真田様がお待ちです。どうぞごゆっくり」

 不吉な音を立てて扉が閉まった。

 ハンドバッグの中にある武器を確認したいが、ここの監視カメラの映像がチェックされていないとも限らない。一度だけ深呼吸をする。

 十三階では、女性信者が待ち構えていた。ここで私もボディチェックと荷物検査を受ける。

 髪留めもミネラルウォーターも、見た目には危険と分からない。スタンガンはハンドバッグの二重底へしまい込んであり、素人の護衛たちでは到底見破れないだろう。

 案の定、私はそのまま部屋へと通された。

「ようこそ」

 バスローブ姿の真田が私を出迎える。セミナーで見るスーツ姿よりもいっそう貧弱に見え、漫画やアニメの小悪党を連想させた。

 促されるまま、ダブルベッドの端に腰掛ける。

「それで、今日かどのような懺悔を?」

 そう問いかけられ、そうか自分は懺悔のためにここまで来たことになっているのだと気付く。

 その辺りの設定を特に決めているわけでもなかったので、即興で話を作る。

「一度だけの過ちです。今の夫とは結婚して五年になります。学生時代からの付き合いですので、それも含めると十年は一緒におります――」

 お互いが働き始めたころのすれ違い、つい頼ってしまった上司、そして一夜だけの不貞。まるで安いメロドラマで、こんな話をしている自分が馬鹿らしくなる。

 真田はさも真剣なふうに私の話を聞いていた。とはいえ、その目線は私の剥き出しになった背中や体のラインばかりに向けられている。

「なるほど、そしてご主人の勧めもあり、こうして懺悔に訪れたというわけですね」

「そのとおりです」

「いやはや、やはり今晩いらしていただいてよかった。そうした不貞の病は繰り返すものですから、電気パルスを注入して根源から拭い去ってしまうのが一番なのです」

 真田は下卑た表情で、うんうんとうなずいている。先ほどから鳥肌が止まらないが、彼に見えていないだろうか?

「ただ、パルスの注入を行う前に、一つだけ説法をさせていただきましょうかね。丁度最近まとまった内容なのです。あなたの懺悔にも関係が深いようなので――」

 ワイングラスを片手に真田は私の前に立ち、ありがたいお話を始めた。芝居がかった様子で、目をうっとりと閉じている。と言ってもここでハンドバッグをごそごそやるのは不審だ。よってスタンガンはあきらめよう。

「時は遡ること数百年。東の諸国たちがしのぎを削っていた時代の話です。ある大名がこんな規律を小作人たちに触れ回りましてね――」

 私はそっとヘアピンを抜く。やはりこれが確実だろう。真田が自分に酔っている間に首筋を一突きすればいい。

「――そこで、ある女房が件の大名と不貞を働いたと。主人は大いに怒りましたが、相手は自分の雇い主。泣き寝入りするほかありませんでした。そこで頼ったのが、駿河の国にありますかの高名な神社――」

 窓ガラスに映る自分を見ているに違いない。私はそこへ映り込んでしまわないように注意を払いながら、ヘアピンの針を露出させる。

「祀られていたのは、××××様です」

 ずしん、と部屋が揺れた。

 真田も驚いたのか、「む」と声を上げる。

「地震でしょうか」

 揺れた拍子に、私の手からヘアピンがすり抜け、ベッドの下へと転がってしまった。

 何が起きたのかを察し、私の全身から冷や汗が噴き出る。

 今真田が話していたのは、だったのだ。

油断していた。真田が私に話をしたことで、禍が私たち二人をターゲットに定めた。

「気を取り直して――」

 真田が話を続けようとしたところで、今度は電話が鳴った。

 話を遮られたのが不快だったのか、幾分不機嫌な様子で彼は受話器を取る。そしてスピーカーモードに切り替えた。

「何でしょう?」

「堤下です。その女の旦那ですが、いきなりスタンガンを出して襲ってきやがった。道重が今組み伏せていますが、たぶんこいつら、真田様のタマ狙いですぜ」

 真田がじろりとこちらを見る。

 私は首を振って、抵抗する気がないことを示すしかない。

 雨宮さんが失敗したのだ。いや、違う。先ほどの禍々しい気配を、彼も感じ取っただろう。そして、これ以上真田に続きを話させないために、のだ。

 しかし、もうすでに賽は投げられている。

「初めから私の命が狙いだったのか? この前の連中ともグルか?」

 護身用と思われるナイフを構え、先ほどまでと打って変わった憤怒の表情で詰問する。

 しかし、私はそれどころではない。

 ××××様は、私たちを捉えたのだ。

 なおも吠え続ける真田の背後、大きな窓ガラスに、ひたりと一本の腕が伸びた。

 ――上ってきている。

 異様に長い手足で、蜘蛛のように壁面を這って来たのだ。

 部屋の電球が瞬いた。長く伸びた爪が窓ガラスを引っ掻く音がする。

「なんだ?」

 真田が背後を振り向こうとした。

 そのとき、スピーカーモードにしたままの電話から、野太い悲鳴が響いた。

 何かがぶつかったり倒れたりする騒音がしばらく続き、やがてそれが静かになる。

「――もしもし」

 私は目を見開いた。雨宮さんの声だ。

「真田さん、そこにいますね?」

「お前、何をした?」

 真田が血走った眼で、電話に怒鳴る。幸いにも、彼は背後に化け物が迫っていることに気付いていない。

「堤下さんにも道重さんにもしばらく眠っていていただきます。これ以上危害を加えるつもりはないので、もう少し付き合ってください」

 雨宮さんが真田の動きを止めている間に、私は発動してしまった禍をどうにかするべきなのだろう。しかし、私の力ではどうしようもない。それほどに強大な禍だった。

 どうか、あの手の主が私たちを見逃してくれますように――そう願うしかない。

 しかし、その祈りは無情にも散らされる。ぺたり、ともう一方の手も、ガラスの向こうに現れたのだ。明らかに、××××様は、私たちがここにいることを知っている。

「昔、私は運送会社に勤めていました。トラックにひたすら荷物を積む、ただの一アルバイトです。ある日、そこに妙な段ボールが流れてきました」

 ひた、ひた、と二本の腕は這い上がって来る。

 ぺた、と三本目の手が現れた。

「その段ボールから、微かに人の声が聞こえたような気がしたんです。女性のような、子どものような、か細い声が。聞いたのは僕だけでなく、同じくアルバイトの友達も聞いていました」

「何が言いたい?」

 真田は口の端に唾を溜めながら怒鳴る。ナイフの切っ先は私の方を向いたままだ。

 私にも、雨宮さんが何をしようとしているのか分からなかった。

 真田の背後で、××××様がぬるりと窓をすり抜ける。

 六本の腕。奇妙に引きつった笑顔を浮かべる眼と口。その下半身は、どうしても私には形容することができない。

 ××××様の腕が一本、真田の足を掴んだ。

「ひぇ、ひぃあああああああっ?」

 甲高い悲鳴。腰を抜かしたのか、真田が尻もちをつく。

 ××××様は、真田の足をつかんだまま、私の方へ顔を向ける。

 電話の向こうでは、雨宮さんが冷静に言葉を紡いでいた。

「友達は、その箱を開けてしまったんです。そして、彼の姿は異様なかたちに変貌しました。首が××××××くなり、手足も××××××――」

 冷たい風が吹いた。

 私の全身に鳥肌が立つ。――禍だ。

 部屋の電球が消えた。

 そして、また点いた。

 部屋の隅の暗がりに、一人の青年が出現していた。うつむいた顔。くたびれた作業着。

 私には見覚えがあった。

「田所さん――?」

 彼の首や腕がぐにゃりと伸びた。植物のようにしなり、部屋の壁面を伝って、××××様の近くへと這い寄る。

 ××××様の見せた敵意は凄まじかった。引っ掻き音のような叫び声を発したかと思うと、伸ばされた触手を振り払おうと腕をやみくもに動かす。

 争う二匹の怪物の下で、真田は失禁したまま意識を手放していた。

 私はそれをうらやましく感じた。

 電話はいつの間にか切れていた。ツー、ツー、という機械音が響いている。

 ××××様の多すぎる腕と、長く伸びた田所さんの手や首が絡まり合い、見た目にはどの部位がどちらのものか分からない。

 中には癒着し始めているところもあり、どちらかの禍がどちらかを吸収しようとしているようにも見えた。

 ××××様がまた叫んだ。私には悲鳴のように聞こえた。

 田所さんを飲み込んだ禍は、ベテランの金田さんも梱包に失敗したほどの強力なものだった。だから、その禍と一体化した田所さんは、こうして××××様とも拮抗した力を見せることができる。

 二匹の禍は、見た目にはほとんど融合してしまっていた。私の目には、濁り腐ったイカの死骸のようにも映った。

 やがて、それは大きく波打ったかと思うと小さく縮み、次の瞬間には破裂して霧散してしまった。

 何となく、散った粒子を吸い込まないように、顔を背ける。

 ガチャリ、と音がして、部屋の扉が開いた。

 目を向けると、雨宮さんが走り込んでくる。

 ベッドの隅まで後退して膝を抱えていた私を抱き起しながら、

「すみません、遅くなりました」

 変わらない調子で彼は言った。

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