後編(3)

 二時間後、私と雨宮さんはホテルの研修室に並んで座っていた。

 紫苑さんの訃報を私によってもたらされ、雨宮さんは狼狽した。罪悪感がなければ嘘になるが、そうでもしなければ、私は一人で任務へ挑んで殉職することになる。

 紫苑さんが亡くなったのは本当だ。我が社で随一の集禍人となっていた彼は、この困難な案件に挑み、そして肉片となった。積載を担当していたころから数年来の付き合いのある先輩だ。私は数日体調を崩し、会社を休んだ。

 雨宮さんが感情に整理を付けられないのも当然だろう。紫苑さんは、実質的に雨宮さんの教育係だった――田所さんの引き起こした事故で、本来教育係であるはずだった金田さんが命を落としたからだ。つまり、今の彼は、恩師を失ったに等しい。

 悪いとは思いながら、私はそこへつけ込んだ。雨宮さんは冷静さを欠いたまま、私への協力を宣言した。

 そして早速、件の教祖が開くセミナーへと足を運んだのである。

「三人、か?」

 雨宮さんが小声で尋ねてくる。確かに、出入り口に二人、前方に一人、スーツ姿の男たちが立っている。

「いいえ、おそらく十人はいます」

 前方の机に座っている人たちの中に、一定数のサクラがいるだろう。新規の参加者を取り囲むようにする場合もあると聞く。私たちは中央近くの席に案内されたから、もしかしたら周囲にいる人間はサクラ、またはベテランの信者なのかもしれなかった。セミナーが終わり次第、周囲から声を掛けられ、ご飯に誘われ、いつの間にか抜けられなくなるのかもしれない。

 プロジェクターで映し出されたスライドには、講演のうさんくさいタイトル――「現代に生かす神通力――科学に裏打ちされた神聖なるエネルギー」――と、教祖の名前が記載されている。「臨床神経機能学者 真田 明」。

 よくある手口だ。臨床神経機能学、という学問は存在しない。つまり、いくらでも自称が可能なのだ。「医学博士」「臨床心理士」といった公式の肩書を、それを保有しない人間が使えば詐称となる。だが、存在しない肩書ならば、誰がどう使おうと問題はない。いかにも「ありそうな」肩書をもってして、権威を示そうとする輩は多い。

「始まりますね」

 照明が一層暗くなる。雨宮さんの声が少しだけ固くなっている。

「ええ。今日は様子見だけですので、終わったらすぐに出ます」

「はい」

 現れた教祖は、およそ教祖らしくない出で立ちだった。固められた髪に青いスーツ。細いフレームの眼鏡。やり手のセールスマン、と言われても誰も疑わないだろう。昔のように、数珠をじゃらじゃらと着け、法衣を身にまとった宗教は流行らないのかもしれない。

「皆さんお待たせしました、本日お話をさせていただく真田と申します」

 はきはきとした話しぶりだ。理知的な雰囲気を感じさせる。

 しかし、セミナーが開始してしばらくすると、その内容の支離滅裂さが目につき始める。しかし、真田は器用に、そこから視点を逸らせ続けた。

「――これは、東海情報学芸大学の坂下先生が唱えられている理論で、私も何年か前に、共同研究でお世話になったわけですけれども――」

 権威のある人間の名前を出して、聞き手の信頼を増強する。当然、真田がその研究者と共同研究をしたという証拠が示されるわけでもないし、彼の紹介するその研究内容が本物である証拠もない。もっと言えば、その研究者が実在するのかどうかも怪しい。

「――つまり、人間の神経活動は電気信号によって規定されていると。そこで私は思いつきました。発想の転換です。神経活動が電気信号によるのならば、外部からの電気信号で、神経活動を整えることもできるのではないか――」

 真実を適度に織り交ぜることで、主張全体の信憑性を誤認させる。人間の神経活動に、電気信号が関わっていることは多くの人間が知るところである。しかし、それを「神経活動は電気信号によって規定されている」と言うのは明らかに誇張であるし、「外部からの電気信号で神経活動を整えることもできる」という主張には根拠も何もない。発想の転換ではなく、真実から着想を得たファンタジーである。

「――実際、私のこういったセミナーを聞いただけで、IQの上昇や自律神経の安定が見られるケースも多く――」

 定義の曖昧な専門用語を使って、反論を回避する。IQ(知能指数)も、自律神経も、よく使われる用語だが定義に未だ議論がある。だから、たとえば「この音楽を聴けばIQが上がる」というトンデモ理論を唱える人間がいても、外部からそれを否定することはできない。なぜなら、「私の定義するIQは、この音楽で上昇するものなのです」と言われれば、反論できないからだ。

 二時間に満たないセミナーだが、私はいらいらし始める。もちろん、ここで舌打ちしたり、机を叩いたりすることはない。それだけの訓練は積んである。

 隣を盗み見ると、雨宮さんも眉間にしわを寄せて講師を見つめていた。彼の母親のことを考えると、当然だ――雨宮さんの母親は、もとから風水や占いといった不確かなものが好きで、やがて新興宗教にのめり込み、「原罪浄化」の名の下に劇薬を飲み込んで亡くなった。昔、共に積載の仕事をしていたとき、雨宮さんはそう打ち明けてくれたことがある。彼だって、このセミナーを他人事には思えないに違いない。

「――ですからね、予防注射、これもよくないですね。日本では、接種年齢まで決められて、子どもたちが管理されているんです。でも、この注射によって、子どもたちの電気信号が阻害され、育たなくなってしまうんですね。断言しますが、予防接種によって、子どもたちの神経回路が汚れ、つぶれていくんです――」

 法衣ではなくスーツを着ていようが、どれだけ科学的根拠を主張していようが関係ない。真田の主張は虚偽であり、信ずるに値するものではない、と私は判断した。けれど、私たちの仕事は、このおかしな宗教をどうこうすることではない。

 音を立てず深呼吸して、気持ちを立て直す。

 信仰そのものに禍が入り込むことはないのだ。だから、その思想に関わらず、宗教自体に手出しをすることはできない。あくまで、私たちは禍を取り除くだけだ。

 様子を見ていると、今日は件の逸話を話す予定はないらしい。ほっと胸をなでおろす。何としても、その逸話を真田が披露してしまう前に、禍を刈り取ってしまわなければならない。

「――最後に、現在こういう研究に着手をしておりましてね、ぜひ寄付をいただけますと、さらに発展が見込めます。もちろん、寄付をいただいた方にはこちらの電気パルスを無料で一回、打たせていただきますので――」

 セミナーの代金だけでもかなりの額であるのに、さらに寄付を募ると言う。ちなみに彼の言う電気パルスとは、どう見ても非接触型の体温計だった。

周りの人間たちがぞろぞろと立ち上がり、一直線に寄付箱へと向かう。

「私たちも行きましょう」

 ここで怪しまれては困る。私と雨宮さんは立ち上がり、連れだって寄付の列に並んだ。先頭にいるのはサクラたちだろう。封筒から札束を取り出して、「少なすぎてはならぬ」という空気を創り出している。

 もちろん、私たちも二桁程度の金額なら用意してある。流れに沿って寄付箱に封筒を押し込み、目礼して会場を後にした。

 そこで、声を掛けられる。

「どうも、お清め様でした」

 振り返ると、高そうなワンピースにカーディガンを羽織った女が立っている。私と雨宮さんは瞬時にアイコンタクトを交わした。おそらくサクラの信者だろう。こうやって新参者に声を掛け、何かしらの方法で恩を着せて、退会しづらくするのだ。

 女は、私たちの思惑など関係なく、ぬけぬけと自己紹介を始めた。

「お二人とも初めて見る方々でしたから、つい声を掛けてしまいましたの。あ、そうか、知らないわよねえ。セミナー終わりには、『お清め様でした』って言うのが通例なの。『お疲れ様』だと、真田様のお話を貶めることになってしまうでしょう?」

 私は精一杯愛想のいい笑顔を浮かべた。

「それは知りませんでした。教えていただいてどうも」

「いえいえいえいえいえ。せっかく来てくださったんだもの。ぜひ仲良くなりたいわ」

 お手本のような先輩信者だ。ややリスキーだが、私は少し探りを入れてみることにする。

「また来させていただこうかって、彼とも話していたんです。もっと早くに参加していればよかったですわ。本当に今日の講演が中止にならなくてよかった――詳しくは知らないんですが、先日ちょっと真田様が大変だったと聞いたので」

 雨宮さんのことを「彼」と呼んだり、語尾が「ですわ」だったり、私にとって拷問に等しい会話だ。あろうことか、「彼」と呼ばれてから雨宮さんは固まってしまっている――後で殴ってやろうか。

「そうなの。なんでもね――」

 先輩信者は声を潜めてみせる。

「先月の講演後に、アブナイ人たちが真田様を襲ったんだって。きっと政府が雇った組織の連中よ。ほら、政府の人間は電気信号の真実について国民に秘匿して、自分たちだけが甘い汁を吸おうとしているでしょう? 真田様が超能力で追い払ったそうなんだけれど、それ以来護衛の数が増えたわ」

 ふむ。

 興味深い情報が得られた。少なくとも、紫苑さんたちによる決死の襲撃は、そのような形で信者に伝わっているようだ。

「最近は、外はもちろん、お屋敷の中でも護衛が離れないようになっているそうよ。夜分には、御寝室を四人の護衛さんで囲っているって」

 私は「へええ」「そうなんですね」と大げさな反応を返す。欲しい情報は得られた。

 私たちはそのまま、食事を一緒にという女の誘いを固辞し、その場を後にする。


会場から十分離れたところで、雨宮さんが大きく伸びをした。

「うんん、想像以上にヤバイやつらでしたね」

「はい。途中、怒りを抑えるのに苦労しました」

「僕も同じです。でも、根目沢さんは本当に怒らなくなりましたね。その、舌打ちとか」

「年相応の経験を積んでいますから」

 私たちは、真田に近付くための作戦を立て始める。雨宮さんがいることが、想像以上に頼もしい。

「寝室にも護衛が付いているって言っていましたね。四人をどうにか出し抜くことができれば――」

 雨宮さんの言葉に、私は首を振る。

「いいえ」

「でも、寝床を狙うのが一番確実じゃないですか?」

 雨宮さんはまだ勘が戻っていないようだ。

「一信者が、教祖の寝室事情を知っているわけないでしょう。おそらく、意図的に流された情報です」

「命を狙われていると気付いた真田が、情報を攪乱させていると?」

「ええ」

「ではどうやって――?」

 雨宮さんの目の前に、封筒を突き付ける。

「うちの会社の情報力を忘れたわけではないですよね。すでに調べはついています。さっきの信者の話から、裏付けが取れただけのこと」

 雨宮さんが封筒から紙を一枚取り出す。そこには、とある高級ホテルの名前が記されているはずだ。

「真田はここに泊まっているんですか?」

「ええ。自宅にいると、いつ寝首をかかれるか分からないと怖くなったんでしょう。もちろん、彼の部屋を囲むようにして、護衛たちが両隣室に――上階と下階にも――控えています」

「ううむ」

 彼はうなった。

「本来ならば、信者として入会して、周囲の信頼を得ながら教祖に近付いていくのが定石ですよね? でも、今回は時間的猶予がないからその手は使えない」

「ええ。さらに、力技もうまくいくとは思えません。前回の失敗で警備が強化されているから」

「どうするべきか……」

「大丈夫、一つ案があります。かなりリスキーですが、ね」

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