後編(2)
「驚きました。三年ぶり、いや、四年ぶりですか」
私にコーヒーを差し出しながら、雨宮さんは言う。
「すみません、突然に。次の集禍がこの近くだったものですから」
「集禍、懐かしい響きだ。ということは、まだあの仕事を続けてみえるんですね」
通された室内はこざっぱりとしていた。ログハウスらしい木造のワンルームに、丸テーブルと椅子が二脚。部屋の端にはベッドが置かれている。ロフトスペースがあり、そこには段ボールが並んでいた。
建付けがよいとは言えず、隙間風を感じる。それを補うためか、時期尚早なだるまストーブが点けてあった。
「ここ、もとは地元の画家さんのアトリエだったそうです」
私の目線に気付いたのか、雨宮さんが紹介し始める。
「ノマドワーカーを気取っているから、こういった個性的な場所にも住める。ここも、本格的な冬が来る前に退去して、また別の住処に移ろうかと思っています」
「今はどんなお仕事を?」
「いわゆるベンチャー企業というやつですね。それに専念するため、集禍場の皆さんには不義理をしました」
雨宮さんはさらさらと近況を述べる。まるで初めから用意してあったみたいに。
彼には、何かある――。そう直感した。けれど、その正体はつかめなかった。
コーヒーを一口飲んだ。私の顔が黒い液体に映り、波紋が立っている。この波が消えたら、説得をスタートさせよう、となんとなく思った。
「ノマドということは、決まった場所に出勤する必要はないんですよね」
「ええ。基本的にはメールとウェブ会議を主体にしてサービスを提供しています」
「ということは、毎日会議が?」
「いや、実は大きなヤマが片付いたところでして、ここから三日間は休暇です。僕だけじゃなく、うちで雇っている従業員全員」
「ホワイト企業ですね」
「集禍場の社長を見習いました」
私は心の中でガッツポーズを決める。彼は明日から休暇なのだ。だから、仮に私が助力を願い出ても、仕事を理由に断ることはできない。非常に有用な言質を取ることができた。
でも、まだ手札は十分じゃない。今得られたのは、相手に「断りづらさ」をもたらす、いわば消極的な動機だ。もう少し能動的な動機、有益な交渉材料が欲しい。
要するに、金だ。
「でも、ベンチャーって資金繰りが大変だって聞きます。もちろん、雨宮さんは計画的に運用されているんでしょうけど」
雨宮さんが渋い表情を作り、鼻先が白んだ。ビンゴだ。
「いや、やっぱり厳しいのはどこも同じですね。企業としての規模が小さな分、得られる利益も知れている。従業員へ給料を払ってしまえば、僕の手元にはあまり残らないですね。ただでさえ、税金や福利厚生のためにかなりの額を支払わなければならないので」
「なるほど」
「まあ、自分で好き勝手に仕事をさせてもらっている代償ですね」
金と休暇。ひとまず雨宮さんを揺さぶる材料は手に入った。それでもおそらく、彼は一度断るだろう。ただでさえ危険な仕事で、雨宮さんは現場から数年離れているのだ。引退した兵士が、紛争地へ駆り出されることを承諾するだろうか。
これ以上悩んでいても仕方がないし、世間話を続けるのも不自然だ。私は単刀直入に伝えることにした。
「雨宮さんに折り入って相談があるんです。これも何かの縁で――」
今回の依頼がベテランの集禍人を失うほどに危険であること、雨宮さんのもつ梱包の力が必要であることを伝える。もちろん、相応の報酬が支払われることも。
私の話を聞いている彼は、まず驚いた表情を浮かべ、次第にそれが苦笑へと変わっていった。
「何かの縁、というのも白々しい。つまり、根目沢さんは初めからその依頼をするつもりでここへ来たということですね」
「ええ」
「さっきから、僕の会社の資金繰りだったり、明日以降の予定だったりを探ったのも」
「そのとおりです」
雨宮さんの頭の回転は、私の予想を超えていた。手札を読まれている。さすがはベンチャー企業の社長、と言えるのかもしれない。
彼は私をどうあしらうか決めあぐねているようだった。旧知の仲ということで、やんわりと拒否し、「お引き取り」を願うか――ただしこれには時間と忍耐力を要する――、それとも厳しくシャットアウトするのか。私の記憶にある雨宮さんには、後者を選ぶような度胸などなかったように思える。しかし、企業の社長として彼の渡ってきた道は、それほど甘いものではなかったはずだ。つまり、こういった交渉について、彼は私より何枚も上手なのだ。
「端的にお伝えすると」
雨宮さんの全身から、ネガティブなオーラが放たれる。私はつい身構えた。
私を牽制するためか、彼は分かってやっている。
「不可能です。最後に僕が集禍をしてから、もう四年。やり方など覚えていません。それに、危険な仕事だとおっしゃる。すみませんが、僕には僕の人生があって、やすやすと命を掛けられません。それに、そんな危険な任務を部外の人間に依頼するような会社の体制にも、疑問を抱きます」
ぐうの音も出ない正論だ。予測できたこととは言え、彼は非常に理性的に、当然のことを主張した。あらためて聞くと、こちらがひどい悪者のようにも思えてくる。
私はコーヒーを一口飲んだ。舌打ちを抑えるには、舌打ちできない状況を自分で作ってしまえばいい。私の場合、口の中に何かを流し込むことで、舌打ちを抑制することができた。
「ごもっともです」
私は言った。そして、それ以上何も言わなかった。
雨宮さんは拍子抜けした表情を浮かべていた。私が食い下がると思ったのだろう。
私もそうしたかった。やろうと思えば、彼が集禍場で働いていたころの社長の恩義を振りかざして説得する方法もある。あるいは、私なりの方法で緩やかに彼の生活を脅かすこともできる。でも、その方法で彼を引きずり出せるとは思わなかった。
私には、一つの策があった。彼の感情を揺さぶる方法だ――できれば使いたくなかった。
一つだけ、私にアドバンテージがある。それは、「承諾しないと、私が一人で危険な任務に立ち向かわなければならない」ことだ。先ほどの雨宮さんの言葉を借りれば、それは雨宮さんの責任ではなく、「会社の体制」に問題がある。しかし、雨宮さんにとっては、助けを乞うた元同僚を見捨てた、という苦々しい感情が残るだろう。
静かに私は荷物をまとめ始めた。落ち込んだような、何かを決意した表情を浮かべて――演技なのかそれとも私本来の表情なのか分からないが、こんなふうに俳優を気取る自分が嫌になる。
「すみません、わがままを言いました。でも、依頼に関係なく、雨宮さんとお会いしたかったのは本当です」
嘘だ。
でも効果はあったようで、雨宮さんが揺らいでいるのが分かる。もちろん、こんなセリフで彼の判断は変わらないだろう。大丈夫、まだ私は最後のカードを切っていない。
「僕が言えたことではないですけど、気を付けてください。危険な任務なんでしょう?」
「ええ。慎重に進めてみます。命までは落とさないように」
「ベテランの集禍人も失敗したと――」
来た。
こんなふうに策を弄するのは倫理に反しているのかもしれない。けれど、私に残された手はもう他になかった。
「紫苑さんです」
私は雨宮さんを見つめた。
「紫苑さんが、この任務で亡くなりました」
雨宮さんは、白い顔で黙っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。