~5 10年の月日が流れようとして(リサ視点)~

 リサがエリックとの婚姻について勝手に誓いを立てて五年の月日が流れようとしている。

 五年前の剣の誓いから、リサは騎士とエリックとの結婚を両立する為に、まず足りないものとしてずっと逃げ続けていた教養を学び始めた。要はお茶会のマナーだったりだ。騎士としての立ち居振る舞いは完璧でも、侯爵夫人としての立ち居振る舞いは全く異なるものであった。

 そうして先ずは学から、と思った矢先に戦争が起きた。結界に覆われた鎖国された国との戦争だ。だが、その厄介な結界が問題だったのだが、相手の自滅で結界が崩れ去り、戦争自体はあっという間に終わった。

 どうやら第一王子が指揮を執り、色々画策していたらしいが、その辺はリサには情報は回ってこない。

 あっという間に降伏した聖国を整えるべく、どちらかと言えばこちらに力を要した。聖国は結界で覆われていて分からなかったが、内部はもう分裂しまくって崩壊していたのだ。だから色んな派閥があり、本来ならば王が降伏すれば、多少の残党は出ようとそれでゼブラン王国領と出来た。

 だがここは違った。あちらこちらで残党が出まくりで、領土としてはゼブラン王国領に書類上はなったが、全然治まってくれない。

 リサはそこから騎士として残党狩りを行う一部隊員として、多くの聖国の残党を斬った。相手としては弱く、統率も取れていない為、突飛な行動には注意せねばならないが、基本に忠実に部隊として動けば王国側の戦死者は少なかった。


「……人はあっけないな」


 一年も経てば残党も減り、聖国は治まろうとしていた。だが多くの血が流れた。敵国の兵がほとんどを占めていても、それは見るに堪えない光景だ。埋められない死者数の為、火葬されていくのだ。

 リサは燃え上がる黒煙を眺め、己の手のひらに視線を移す。

 この手も幾度も真っ赤に染まりあがり、洗い流しては、染めた。それが騎士だからだ。

 それ自体に不満はなかった。斬って、斬られる。それが騎士。そこに想いを込めて大事なモノを守るため、互いに剣を取り合っての勝負だ。斬らなければ、斬られる。単純な世界。そして斬らなければ、大事なモノは守れない。

 だがもう赤くもない手だが、果たしてこの手で、多くの命を奪ったこの身で、エリックの隣に立てるのか、と思う。

 リサは覚悟をしてこの世界へ入ったが、エリックはそうではない。だが、もしも今後リサに恨みを抱く者が現れたとき、その憎しみの目はリサだけじゃない、エリックに向けられる可能性もあるのだ。

 リサが斬ってきた人達にもいただろう大事な人。もしエリックが斬られたなら、リサはエリックを斬った相手を恨むのではないか。そして幸せそうに隣に誰か居れば、同じ目に合わせてやりたくなるのではないだろうか、と考えるとぞっとした。


「人は時にしぶとく、時に儚いものだ。昨日笑っていた人間が、明日死んでいる事もある。逆に病で死ぬと宣告された人間が、長く生きながらえることもある。分からぬものだ」


「上官」


「我が隊は明日帰国する。もうこんなに兵はいらんからな」


 燃えて天へと召されていく人達。斬れと言われれば、また斬るだろう。だが祈らずにはいられなかった。もう人を斬らなくていい、そんな世が来る日を。


「上官は、奥様はいらっしゃいますか?」


「唐突だな。いたよ、嘗てはな。今回の戦争で死んだら会いに行こうかと思っていたが、まだ先になりそうだ」


「冗談でもよしてください」


「冗談なものか。これでも愛妻家だと噂だったこともあったのだぞ」


「なんで、とお聞きしても?」


「それが主題だろう? 構わん。お前も騎士だ。しかも婚約者もいるときた。知っているべきだろうな」


 上官は隊服のポケットから一枚のハンカチを取った。それはくすんだ赤いハンカチに見えて、所々に白の模様が見える。が、恐らく赤は人の血で、白が本来のハンカチの色だったのだろう。

 左端に上官の名前と、もう一人女の人の名前が刺繍されていた。


「俺と妻は、俺が騎士であることは分かっていた。だが職名しか分かっていなかった。それが最大の原因だったと思うよ」


 上官は黒煙を眺めながら語り始めた。



 ―――――



 まだ騎士として青かった俺と結婚したての妻。今思い返せば、幸せな二週間だった。

 戦争も未経験だったが、当時は王都勤務ではなく辺境勤務だったんだ。だから密入国者がよく出てね、其の度に我先にと斬りかかったものだ。

 斬ることが出世への近道で、妻を幸せにすることだと疑わなかったんだ。特に新婚ホヤホヤで浮かれていたこともあった上、人を斬る重みを理解せず、野菜でも刈り取るかのような気持ちだった。

 当時の上官は何度も諫めてくれたよ。人を斬ることの重みを。

 でも俺がそれを真に理解したのは妻を斬った瞬間だった。

 その日も密入国者を発見してね、すぐに剣を抜いて斬りかかったんだ。だが何故かその密入国者の隣に妻がいてね、俺の剣の前に出て、密入国者を庇った。

 勢い止まらなかった俺の剣は、綺麗に妻を斬ったよ。今までは野菜を刈り取っている気持ちだったから分からなかったが、真っ赤な鮮血が宙に舞ってね、俺の妻が地面へと叩きつけられるまでが、スローモーションのようにはっきりと見えたんだ。

 一瞬、何が起こったが分からなかったが、妻に寄ればもう事切れていることは分かった。だが頭で理解するのと、気持ちで理解することの違いだろうな。俺は妻がくれたハンカチで必死で止血したんだ。無駄なのにな。

 当時の俺の上官はそれを止めず、密入国者を斬らずに捕らえたよ。

 後から分かった事だがその密入国者は女性で、食べ物に苦労していて、始めは市場でスリをしようとしていたらしく、そこを妻に見つかって仲良くなったそうだ。

 もちろんスリは事前に止めて、食べられる草とかを教えていたらしい。それが俺との結婚後だというから、びっくりしたよ。密入国者のスリを止めただけならいざ知らず、食べられる草を教える為と言えど、密入国の手引きもしていたらしいからな。

 だから妻、という事を省けば密入国者の手引きをしていた犯罪者として斬っても法的には問題はなかった。

 だが俺はもちろんそうは思えなかったさ。

 一緒にいた密入国者を恨んだ。そして密入国者を斬首刑にすると決まった時には名乗り出た。その時だった。当時の上官が言ったのは。


『奥さんを斬った後、奥さんの家族の顔を見たか』


 忘れられなかったよ。妻の家族の憎しみの籠った目を。

 妻は密入国者と知り、仲良くなり、手引きした犯罪者である。辺境に住む者なら分かる。密入国を手引きする事の重大性を。

 今回はたまたま、ただ食べるのに困った密入国者だっただけだ。これが悪意ある者ならば、戦争の火種になることだってあるんだ。

 妻は無邪気で可愛かったが、辺境に生きる者として無知だった。

 だから妻の家族は、俺を憎しみの籠った目で見ながらも、決して罵りもひどい態度も取らなかったよ。

 義父からは逆に謝られたよ。きちんと娘に教育出来ていなくてすまなかった、とな。

 自由奔放で良く言えば無邪気でお節介な妻で、そこに惚れたのだから、ある意味食べるのに困った人を助けようとしたのは妻らしいとさえ思ったよ。

 だから俺も義父に謝ったよ。すみませんでした、と。それしか言えなかったと言えるだろうな。

 俺は密入国者を人として扱ってなかったんだ。

 だが実際は密入国者であろうと、その人を大事に思う人がいると気が付いた。そしてその怖さに恐れ戦いたよ。俺は何人の大事な人を斬っていたんだろう、と剣が急に重みを増したさ。


『我らは騎士である。だから守るために剣を取り、人を斬る。無情にも相手も同じように、守るために犯罪に手を染めることもある。そこに情を乗せすぎてはいけない。斬れぬ騎士はいらんからな。だが忘れてはならない。斬った重みを』


『でも、そうしたら……、また誰かの大切な人を斬ってしまう』


『ああ。それが騎士だ。守る方法は色々ある。剣が握れぬなら去れ。だが剣で守ると決めたなら、その重みを背負い、斬れ』


 俺はその密入国者を斬って、騎士団に残る決意をした。

 確かに騎士以外にも自国の守り方はある。違う選択をしても誰も止めなかっただろう。だがあえて剣を握り続けた。

 嫌だが妻を斬って、知ったんだ。人を斬る怖さを、重みを。

 だから剣を握ることにした。分からないかもしれないがな、剣が妻との、良い意味でも悪い意味でも、繋がりになってしまったんだよ。

 握れば妻が笑う顔が思い浮かぶ、斬れば妻を斬った瞬間を思い出す。

 それが今も剣の重みを俺に教えてくれる。妻はきっと斬られてすぐ事切れただろうから、そんな事思っていないかもしれないが、本当の意味で騎士にしてくれたのは妻だったんだよ。

 妻は俺が斬って死んだのかも分かっていなかったかもしれないし、分かっていたかもしれない。憎まれているかもしれない。

 でも俺は死んだら妻の元にまっすぐに向かいたい、罵られてもいい。あの幸せだった二週間の続きをもう一度するチャンスが欲しいんだ。

 我儘だろう。たった二週間だった妻、俺は斬った癖にまだ妻と共にいたいと思うんだ。



 ―――――



 上官はハンカチを握りしめて空を仰いだ。


「エリック・リウェンは、俺の妻と違い、恐らく騎士という職と騎士の家族である意味を知らぬ男ではないだろう。だがローランド。時として夫が犯罪者になり得ることはある。特に身分が高いからな。ありもしない罪をでっち上げられるかもしれん」


 そこに続くのはエリックを斬る命令が下るかもしれないという事。リサは斬れないだろう、とすぐに思ってしまった。もちろん親族にそういった命令がいくことは少ない。情が移って逃がしやすいからだ。

 だがその命令が下った時、リサはどうするか決めた。上官の話を聞いて決めた、とも言えるだろう。


「不正を暴く努力をします。ですが間に合わない時は、私は犯罪者になってでもエリックを逃がします」


「王に忠誠を誓った騎士が、か」


「はい。エリックを逃がして、忠誠を破った私はどんな罰でも受けに戻ります。騎士、ですから」


 上官は、はははと笑い、リサの背を叩いた。


「滅多に起きない事例だ。だが最悪を考えていれば、何かあった時に最善を尽くせる」


「剣の重みも背負ってしまったものも忘れれません。ですが、私も上官程じゃないですが剣がエリックとの繋がりなんです」


「辛い道を歩むな」


「上官程じゃないですよ」


「そうかもしれん。ま、騎士としての成長は認めてやるよ。だが、侯爵夫人の立ち居振る舞いには程遠い上、騎士との両立は聞いたことも無いぞ」


「痛いところを。でも、助けてもらって騎士になりました。だから叶えるんです。初めての道を作ればいい、でしょう?」


 リサが笑ってそう言うと、上官は静かにそうだなと告げた。


「お前は妻にそっくりだ。だからだろうな。お前をこんなにも応援したくなるのは」


「じゃあ、奥さん良い女でしたね」


「言うようになったな。俺の紹介で良かったらマナー講師してくれる婦人を紹介してやるよ。切り開いてみろ、お前の道を」


 上官にそう言われ、翌日には戦地から自国に戻ったリサはマナー講師の元、侯爵夫人になるべく勉強を行う事と騎士との両立に励んだ。

 やはり騎士と侯爵夫人では立場も振る舞いも違うためかなり苦労したが、きっとエリックはよきリウェン侯爵となる。その隣に立つのだから、ただでさえ騎士と両立しようとしている為、陰口を叩かれるかもしれない。だからせめてきちんと立ち居振る舞いを身につけるべく、ひたすら邁進した。

 騎士、マナーの勉強とすれば日々は大忙しになり、気が付けば肝心のエリックと徐々に疎遠になってきてしまった。

 特にエリックも仕事が忙しいらしく、互いに多忙が重なり、それ故にとも言える。

 そしてリサは期限が来てしまったかもしれない事を知る。


「あの魔女に、エリック・リウェンが釣られたらしいぞ」


「まじで! じゃあ、リサも婚約破棄か?」


「魔女の別名、クラッシャーだからなぁ。まじで釣られてたら破棄だろ。しかもあの魔女も年貢の納め時にはエリックは超優良物件じゃね?」


「確かになー。ついにあのエリック・リウェンがあの女に落ちたか」


 ふいに聞こえてきた噂話。エリックに彼女が出来た、というものだった。


 それはもうすぐ25歳を迎えようとしているリサにとって、あの日そっと誓った期限が来たのだと知る。

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