~4 10年の月日が流れようとして~


『後、二年が猶予だ。それ以上は認めない』


 主語のない手紙がエリックの父、リウェン侯爵からエリック宛に送られてきた。

 その手紙を見て、何が? なんて聞くほどエリックも馬鹿ではない。

 逆に待ってくれていた方だ。五年前に言われていても、待ってくれていた方だと思うレベルだからだ。

 父の手紙をそっと自室の引き出しにしまい、朝日を拝んで終業した仕事がもう後一刻でまた始まろうとしている貴重な睡眠時間だというのに目が冴えてしまった。

 エリックは最近リサと出会えていなかった。ある国との戦争でリサも騒がしかったせいでもある。

 一時、戦争の言葉を聞いてリサを心配したが、その戦争は相手国の自滅に近いところを叩くだけの、戦争にしては危険度の大変低い仕事であったという。

 もちろん戦死者が出なかった訳ではない。相手も当然抵抗するからだ。だが戦争にしては死者は少なかった。

 だが騎士という職業のリサを愛してしまっているからだろうか。戦死者が少ないとか、少なくなかったとかではない。リサが生きているかが心配で仕方がなかった。

 きっと他の騎士の家族たちも同様だろう。新聞では戦死者少なく勝った領土だと報じられているが、その少なかった人物に自分の大切な人が含まれていたら、と考えるとぞっとした。

 一人、一人、別の命を持つ人間だ。その一人、一人にはまたその人を大切に想う人が何人もいるのだ。戦死者が少ない……喜ぶべき事柄ではないだろう。相手国は降伏したといえ、大量の戦死者が出たという。

 リサから剣を奪いたくない。それと同時に奪ってしまいたい。そんな心も芽生えてしまう。

 そうして思いに耽っていればすぐに始業時間になり、同僚三人が数刻ぶりに顔を合わす。

 現在、繁忙期。挙句、戦後処理も追いついていないらしく仕事が回ってきて、勤め人になって最大の仕事量と戦っていると言っても過言ではない。


「うわぁああああ、もう、やべぇ、やべぇよ。怖くてカミさんの顔見れねぇよ」


 五年前結婚をした同僚はその二年後には子どもが生まれ、さらに現在奥方は臨月らしい。

 旦那ならばサポートして然るべきところ。そして同僚なら助けて然るべきところ。


「っつ。うるさいわよ! 分かってんの。あんたを帰してやりたいわよ。でも見なさいよ。帰れって言ってあげられないのよ」


 ユリナは騒ぐ同僚に大量に積みあがった書類を指さして叫ぶ。


「さすがに産気づいたら帰してやるから、それまで許せ」


「そうね。さすがに生まれるときに旦那がいないのは奥様が可哀そうだから、そこは協力するわ。でも、悪いけど、すぐ帰ってきてちょうだい。じゃないと、私とエリックが死ぬわ……」


 産気づいて生まれるまで人によるというが、二日かかる人もいれば一時間だとかもう本当千差万別らしいが、そこから名前を付けてといくと、その間、仕事の戦力が三分の二に落ちる。

 だが仕事が降ってくる量が、気のせいか毎日増えている気がするので、ユリナのいう通り、あまりそこで浸らしてやれないかもしれない。むしろ浸る前に帰ってこい、と言わないといけないかもしれない。


「分かってるよ……。さすがに俺もそこが分からん訳ではない。だがカミさんサイドから見れば、孕ましておいて、生まれる直前までほったらかしで、生まれた時だけきて、去っていく夫って、いるのかな?」


「あ~。種馬状態ね。夫じゃないわ、それ」


「ユリナちゃん。今ね、すっごく精神的にも体力的にもキてるからズバっと言わないで」


「ならアドバイスだけしとくわよ。こういう時でも、手紙だけ、短文で良いわ。毎日送っときなさい。そこに仕事とか書かなくていいの。女にだって分かるんだから。ただ愛してる、とか、体調を気遣って、奥さんを忘れていない事をしっかりアピールなさい」


「うぉおお、ユリナさまじゃん。それちゃんと今日からやるよ」


 二人はもちろん掛け合いながらも仕事の手は止めていないので、エリックも何も言わずに耳だけ傾けてやり取りを聞いていた。

 そしてふと思う。リサと最近、いつ手紙のやり取りをした、と。戦争が始まるくらいから忙しくて、もう一年、いや二年……か、きちんと手紙のやり取りをしていないと思う。その間に贈った記憶があるのは出兵の時と帰還の時くらいだ。

 ユリナの男性遍歴は大変危険だと思うが、こういったやり取りについては恐らくユリナのいう事が正しいのだろう。奥方を気にかけている同僚よりも、エリックの方が危険かもしれない、と危機感を募らせた。

 自分の父からの手紙もあり余計に気が焦るが、仕事が何せ終わらない。しかも同僚の奥方が産気づいたら同僚を送らなければならない。エリックにリサに割く時間があまりに乏しく、同僚を夫と言えないのなら、エリックは婚約者として終わっているのかもしれないと気が滅入る。


「こっそり地味ぃ~にショック受けてるわね。エリック」


「煩い」


「そういや、お前、結婚まだだったっけ」


「もうすぐしようと思っている」


 父の手紙もあり、そう言うとユリナが奇声を上げる。


「あり得ない! もうすぐしようと思ってる、ですってぇええ! 前から思ってたけどエリック、あんた婚約者の事、何だと思ってるの。人形だとでも思ってるの?」


「人に決まっているだろう」


「でしょうよ! だったらね、感情ってもんがあるのよ、感情ってもんが。男が、婚約者だしもう結婚しようと思ってます、なんて女側も貴族様でしょうし、受けるしかないかもしれないけど、それでもプロポーズくらいしなさいよ!」


 ユリナの正論に手は動かしつつ、反論できなかった。

 そして同僚も頷いている。


「正直もう婚約から十年くらい過ぎようとしてるんだろ。良く待ってくれていると思うよ。だから、プロポーズくらい、しっかりしろよ」


「当たり前すぎて頭が痛いわ! あんた、次期リウェン侯爵でしょ。気前くらい見せなさいよ。あ、これ落ち着いてからだけどね、もちろん」


 これ、と指さされるのは当然書類の束。いつ終わるんだ、と言いたいが、さすがにそこは誰も何も言わなかった。

 何故ならば終わらせなければいけない仕事に変わりはないからだ。


「でもそっかぁ~、エリックも覚悟決めちゃったら、独身あたしだけじゃん。そろそろ真面目に釣りで遊んでいるわけにもいかないかなぁ」


「お前の釣り遊びで壊れた夫婦を何組も知ってるんだが……」


「正直、あたしが手を出したくらいで潰れるなら、時間かけて潰れてるわよ。未来のために早く潰してあげたんだから、感謝してほしいくらいよ」


「うぉわぁ、そうくるかー。いやね、分かるよ。ユリナに引っかかっただけで、別の女に引っかかって潰れていくんだってさ」


「でしょ。それがたまたまあたしだっただけ。ってゆーか、ちょぉおおっと良いこと思いついちゃったんですけど!」


 ユリナの良いことは良いことではない、と同僚と共通認識の中、止まらない性格なのもよぉっく知っている為、エリックはため息をつく。


「何を思いついたんだ?」


「エリックと婚約者の気持ちを確かめる機会を作る作戦かしら?」


「余計なことは辞めろ」


「うんうん。こういうのは当事者同士の問題だよ~」


「でもさ、正直エリックって私らは知ってるけど、婚約者いるって知らない人の方が多いよ。つまりさ、それだけ婚約者放置してるって事じゃないの?」


 今日のユリナは冴えわたっている。さっき同僚に正論をグサッと突き刺したように、エリックもプロポーズの事を含めると二打撃目の攻撃を受ける。

 同僚は悲し気な目線を送ってくるが、エリックはもう何も返せない。


「ねぇねぇ、やっぱり仕事にも楽しみって必要じゃない。正直楽しみなきゃ、やってられないんだよね」


「エリックと婚約者、ちゃんとくっつける事、目的でやれよ?」


「もっちろーん。仕事場で険悪になりたくないし、次期侯爵様を敵に回したくもないわよ」


 鼻歌を歌いながら仕事を処理していくユリナにちょっとした恐怖を覚えながら、エリックも同僚と同じく仕事を熟していく。この仕事量は本日も朝日を拝んで終業タイプで、数刻の間だけ睡眠タイムを取って、再集合である。つまり本日と同じ流れである。

 このサイクルに慣れてきたエリックは、ちょっと絶望する。きっとリウェン侯爵家を継いだ時に必ず役に立つはず……、と思い、熟しているがきっとここまで絶望した量を熟すことは継いだ後はないはずなのだ。いや、ない状態を維持するのが役目なのだ。

 リサといざ結婚となると、やはりリサの騎士団所属について考えてしまう。結婚はしたい。だがリサに剣を握らせたまま、結婚する方法は思い浮かばないままだ。むしろ父と交わしたリサの騎士団入団の条件破棄から始めなければならない。

 ユリナの作戦とやらとリウェン侯爵としてのエリックの父との戦いを頭に思い浮かべて、頭痛がする。

 その時、ジリジリと電話が鳴り響いた。

 同僚は仕事を止めてすぐに電話を取る。この部署に電話がかかってくることは少ない。恐らく、同僚の奥方の事だ。


「今日と明日は、少なくともエリックと二人っきりで仕事裁くことになりそうねぇ」


「祝い事だ」


「ま、ねー。いつも仕事は本気出す主義だけど、今日と明日はさらぁにプラスアルファ働いちゃおっか」


「ふっ。それには付き合おう」


 電話がガチャンと切られる音がすると同僚が申し訳なさそうに顔前に両手を合わせる。


「すまん。ちょっと行ってくる」


「当たり前でしょお~。男の出来る事なんてタカが知れてるけど、きちんと傍にいてあげなさいよ」


「謝ることではない。当然の権利だ。行ってこい」


「やっさしぃね~、なんだかんだ二人とも。感謝するよ。行ってくる」


 同僚が手荷物を持って去ると、ユリナとエリックはため息をついた。


「優しい、かぁ。優しかったらギリギリまで仕事させやしないっての」


「同感だ。この職場にいると感覚が狂ってくる」


「奥さんがそこの所、理解あるといいんだけどねぇ。ちょっと危ないみたいだし、仕事と私どっち取るのって聞かれるまで、後ちょっとだねぇ」


「不吉な事言うな」


「不吉じゃないわよ。あたしってこういうの、ちゃんと裏取ってたりするもの。適当に釣り遊びしてるって思われちゃあ困るわよ?」


 ニヤっと笑うユリナにエリックは、はっとした。

 今、ユリナは大事な事を言ったのだ。遊びで釣りをしていない。裏取りをしている。つまりは、遊びではなく、仕事。本来はユリナは文官ではない。別の目的があってここに滞在しているだけだという事だ。


「目的は、何だ」


「急に警戒しないで。リウェン家が目的じゃないわ。ただ言えるのはローランド家とリウェン家にはくっ付いてもらう必要性があるわ。だから貴方には協力してあげる」


「アイツは対象……じゃないのか」


「あちらは離婚してもらうわ」


「同僚、なのにか」


「えぇ。それに結婚が幸せとは限らないのよ。これでも二人には仕事以外に恋愛感情も無しに、ちゃんと情を抱いているわ。だからあの子には被害を被せない」


 つまりは同僚の奥方なのか、親族なのか、将又同僚の親族なのか、分からないが同僚の周辺には被害が及ぶという事だ。

 だが恐らくユリナはちゃんと指令を受けて仕事をしている。つまり、不正を正そうとしているのだろうと推察すれば、ユリナの行動の方が正しい。むしろ同僚にだけでも被害を被らせないようにするという優しさがあると言ってもいいかもしれない。

 子どもも二人目が生まれ、四人で幸せな家族を描くと思っていた同僚はどうやら違うものを描くらしい。エリックに介入出来ない何かで、そう決まってしまったのだろう。それが市政だ。


「悲壮な顔しなさんなって。今、このタイミングでエリックだけに伝えた意味は分かるよね?」


「リウェン侯爵家を継ぐからだろう」


「ええ。だから貴方は知っておいた方がいい。きちんと国に監視されている事を」


 何かあればリウェン家も切られる、そう聞こえた。

 エリックは自分が将来継ぐモノの大きさを測り間違えていたのかもしれない。侯爵家は王族を除けば、公爵家の次にくる爵位で挙句その侯爵家同士の縁組だ。

 パワーバランスは崩れてはならない。崩れればあっという間に崩壊する。だから貴族の婚姻は王族の承認が必須となっている。

 リサに剣を握らせたいとか、握らせたくないとか、そういう問題じゃない。自分の恋愛は国に関わってしまう立場なのだ。

 だが、エリックは手を止めて、ユリナを見た。


「関係ない。リサにプロポーズするさ。ただの男として、な」


「青臭いなぁ、エリックは。いつも淡々としているけど、一途で情熱家よね。貴族っぽくて、貴族っぽくなくて、好きだよ。そういうとこ」


「やめろ、誤解を生む」


「ふふ。でもやっぱりユリナが考えたエリックと婚約者プロポーズ作戦に乗ってよ。一応、仕事だよ? べ・つ・の、だけど」


 朝方コースまでの書類山積みの中、別の仕事を追加してくるユリナもユリナだが、エリックはその作戦に乗ることにした。

 単純にユリナの正体が気になった事と、このまま仕事に埋もれていたら結婚どころではない事。そしてユリナならば取引できそうな気がしたのだ。


「良いだろう。但し、条件がある」


「リサ・ローランドの騎士団所属についてかな? まぁ、その辺はなんとかなるよ。貴方の婚約者、案外優秀だからさ」


「もう一つあるぞ」


「えぇ~」


「リサがプロポーズを断った時は、リサと結婚はしない」


「きっついのくるじゃん。それ、案外重要なファクターなんだけど、ユリナとしては。ま、プロポーズ作戦頑張りますよ~だ」


「それが吞めるなら、そのプロポーズ作戦とやらの別の仕事を請け負ってやる」


「もちろん吞むよ。じゃ、決まりね。これからさらぁ~に忙しくなるけど、ま、よろしく?」


 そしてエリックとユリナがプロポーズ作戦の仕事について合意した翌日には、エリックとユリナの恋人説が周囲で囁かれ始めて、エリックは頭が痛くなった。

 確かに作戦には合意したが、その後書類仕事で朝方コース、数刻の仮眠後に再び仕事に入るだけの間にユリナか、もしくは誰かが動いたのだろう。

 仮眠スペースから仕事場へ行くだけのエリックの耳に届く恋人の噂話に、リサの耳に届く日も近く、きっとこれも作戦だと思いつつ、エリックは組む相手を間違えたのだろうか、思わずには居られなかった。

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