憧れ - 1

 夜ご飯は弁当箱に入れて欲しいと母さんに頼んでみたら、弁当箱を毎日欠かさず洗う事を条件にやってくれる事になった。


 ついでに最近、明るくなったと、何かあったのかと聞かれた。それで僕は、「最近、海で気の合う友達ができた」とだけ答えておいた。それを聞いて、母さんが凄く嬉しそうに微笑んだのがとても印象的だった。その友達が人魚だなんて、母さんが相手でも言っちゃいけないような気がして、話せなかったけれど。


 そしてしばらく弁当を海に持って行きながら彼女を探したが、なかなか姿を見つける事はできなかった。なかなか帰ってこない二人と、なかなか見つからない彼女。どっちを待とうか、探そうかを考えながら、海に臨んで弁当を食べる日々が続いた。


 次に彼女に出会えたのは、夏休みが終わって、しばらく経った日の事だった。前に彼女に出会ったあたりを散歩していると、まだ夏の暑さが残る中で、遠くの海を往復するように泳いでる人の姿が見えたので、声をかけてみたのだ。


 するとその人はこちらに向かってきて、僕の海の中から顔を出す。案の定、彼女だった。彼女は僕を見るなり、


「あんな感じでさ、あっこらへんをひたすら往復して泳いでる人がおったんよ。やからさ、マネしてたら人が泳いどるんやって誤魔化せるかなーとか思ったんよね」


 なんて言うもんだから、僕は頭を抱えた。


-夏場なら、よかったかもね。でもさ、この辺はそもそも人がほとんど泳ぎに来ないから、この辺で泳いでる人がいるだけでかなり目立つよ。それに、クラゲが大発生する時期があったじゃない。僕達はそれを『お盆』って言ったりするんだけど、お盆を境に海に入らなくなるんよね。だから、余計に悪目立ちするだけだよ。


 言い終わると、彼女はなにかショックを受けたような、驚いたような、あるいは何かに気付かされたような。色々入り混じった面白い表情になっていた。


「そう言われれば、確かにそやな。どおりで人がおらんわけやわ。うーん、リハビリすんのに完璧なカモフラージュやと思とったのになあ」


 と、また考えを巡らせていた。


-にしても、もうずいぶんと怪我も良くなったみたいだね。よかった。


「おかげさまでね。寒くなる前には沖に戻りたいなーとは思っとったけど、うん。なんとかなりそう」


 当然といえば当然だけど、彼女はいつか、彼女の住む世界に帰らなければならない。ここにきた時も療養と言っていたし、住み続けるにはいい環境ではないのかもしれない。それでも僕は、聞かずにはいられない。


-ここでは、暮らしていけないの。


「ワンシーズンなら大丈夫やった、としか言えやんな。このへんの環境とかよく分からんし。夏は大丈夫やったけど、冬もちゃんとご飯食べれるか、寒さに耐えられるかとか、色々あるんよ。それに私、ママや弟妹を心配させてるやんな。早よう無事やにって、知らしてあげたい」


 それもそうか。突然年頃の娘が突然いなくなったら、頼れるお姉ちゃんが居なくなったら。ひどく心配するに違いない。


「それにさ、私らの存在を知られるのってさ、結構リスクあるんよね。君にはモロに見られてまったし、命助けてもうたしで諦めたけどさ。「地上人は野蛮人」っていつか言った気がするけど、私らは全体にはそう思ってるのよ。やから、なるべく地上人に干渉されずに、なんなら発見されることもなく生きてたいんよ」


 それを聞いて、外国の狩猟民族がテレビに出ていた時の頃を思い出した。いつ、どのチャンネルにしても当然のようにその狩猟民族が取材をされていて、彼らはその度に微笑んでくれていたが、言われてみれば、こちらが一方的にあちらの生活を知りたいだけにほかならない。


 その好奇心が彼女たちに、くどいほどに向けられたら?身の毛もよだつ思いがする。理解は出来たものの、やっぱり納得しえない寂しさのようなものを感じる。


-やっぱり、ダメなのかな。


「ダメやと思う。君は陸で、私は海で。共に生きようよ。そしていつか、誰にも知られることなくひっそりと会えたらええなって。それでええやん」


 その時、まるでタイミングを計ったかのようにピコピコとスマホの通知音が鳴る。


「え、何の音?」


-スマホの通知。誰かからメッセージが届いた音だね。誰だろ。


「え。地上人のスマホてそんな音で通知してくれるの?ええなー。こっちのスマホはそんな音、鳴らせやんはずやし」


 君は物欲しそうに僕のスマホを見つめる。あげないぞ。あげても、ガラクタになるだけだろうし。


「でさ、誰からやったん?教えて教えてー」


 せがまれるままに内容を読んでやる。珍しく母さんが早くに帰ってこられる、という内容だった。それを聞いた彼女は、目の色を変えたように僕を追い立てる。


「家族との時間は大事にしなよ。私がそうなったみたいにさ、いつか突然、会えへんくなるかも知れやんやんな」


 あのまま、あの浜の上で干上がってたとしたら、彼女自身も、その母親も弟妹たちも突然に家族と会えなくなっていたのかもしれない。五体満足にある今でさえも、会うのは難しそうな状況にある。そんな彼女の言葉だから、とても重たく感じられた。


 だから後ろ髪を引かれながらも帰ったけれど、帰ってなお、僕の興味は彼女と過ごす時間にあった。帰ってからも時折海を見やるもんだから、母さんには「恋でもしたのかしら」なんてからかわれてしまった。


 その夜、僕は夢を見た。真っ白な視界の中に、中学生になった幼馴染がぽつんといて。こちらをまっすぐに見つめながら、「もっと人に関心を持ったほうが良いよ」と言い捨てるのだ。そこから世界は幼馴染の背中の奥へと収束していって、やがてなにもない、真っ暗な世界に、僕一人が取り残される。


 決まって、そのすぐ後に僕は目覚めるのだ。そしてシンプル過ぎるために一言一句漏らさずに思い出すことができ、そして夢の内容を思い出しては、とても胸糞悪い思いをするのだ。


「もっと人に関心を持ったほうが良いよ」


 それは普段は忘れかけてて、たまに思い返しては木霊して、僕を苛む言葉だ。でも、たまに見るこの夢を見た日に限っては、まるで反芻するかのように、一日の内に何度も何度も思い返されるのだ。


 そんな心の荒んだ日に限って、簡単に彼女を見つけられた。ひと目見て、とても安心した気分になれた。だから僕は、夢の内容を、そこで言われたことが事実であることを合わせて打ち明けた。


 すると、彼女は不思議そうな顔をして僕の方を見つめている。暫くうーんと唸ったあと、「こう言ったら失礼かも知らんけど」と前置きながら、彼女は訥々と話しだした。


「どうにも私は、君が人に関心がないようには見えやんのやんな。なんというか…周りの人と、君の価値観が噛み合ってないだけ、っていうかさ。っていうのもさ、私に会う度、君は私の体を心配してくれるやん。なんなら私が無茶しようもんなら本気で怒るやん。あと君はサービスがどうだのなんだの言いながらさ、結局、どうやったら人の役に立てるかを、かなり広い視野で考えてるんやんな。そんな人がさ、優しくないわけない…というか、人に対して関心を持てやんわけないと、私は思うんやんな。だから、周りの人が君に合ってないだけ。私は、そう思うよ」


 度肝を抜かれた。そして同時に、わけが分からなかった。自分ですら肯定しかけていた事を、彼女は真っ向から否定してきたのだから。


 そのままで良いと、言われたのだろうか。だとしたら、今の状況は変わらないのだろうか。すると、人に関心が持てない自分のままじゃないか。なにも解決しないじゃないか。


-じゃあさ、僕はどうすればいいの。どうなればいいの。


 そう言った僕の言葉には、怒気が篭ってしまったように聞こえた。混乱と怒りが綯い交ぜになった感情が、ひた隠しにしようとしても溢れてきてしまう。一方で、ぐちゃぐちゃになりかけた視界の奥にいる彼女は、いつになく真剣に僕を見つめていたように思う。


「…そのままで良いと、私は思うんだ。そのままで良い。君は決して、人に関心が持てない人とちゃうから」


 それを聞いた後、僕はひどく混乱したらしい。何をしたのかを覚えていないし、何を言ったのかについても、きっと酷いことを言ったような印象だけが残っている。気付いたら自室のベッドに突っ伏していて。


 声を漏らさないように口許を枕に押し当てて、ひどくひどく、号哭した。

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