仲良し - 1

 お盆も過ぎて、海水浴のシーズンは終わりを迎えた。堤防から海を眺めては、空に帰っていっただろう祖母のことを思いやる。手前の浜辺にはクラゲが打ち上げられているのがたくさん見られ、どうにも海で泳ぐ気にはなれない。


 海を泳ぐ、といえば、彼女のことを思い出す。なにかに取り憑かれたように足繁く海に通ってはたまに彼女を見つけて話してるけど、浜にクラゲ見つけてからは、会ってない気がする。


 そんなことを思いながら、僕は港を歩いている。すると、にわかに海面から顔をだすのがあった。それは僕の姿を認めると、こちらに向けて手を振ってきた。


「やっほ。元気してる?」


 いつも浜辺に居た記憶があったから、僕はちょっと驚いた。どのくらいに深いかはわからないけれど、ここらへんの海はある程度以上には深いハズだ。初めて会った頃に怪我をしたと言っていたから、心配になった。


-僕のほうはまあ、ぼちぼち。というか、もう泳いで大丈夫なの?


「ちょっとずつ泳げるようになってきてるよ。本調子じゃないから、まだ沖には戻れそうにないけれど」


-そう。順調そうでよかった。


 僕は彼女の様子を聞いて、ちょっと安心した。


 ここからだと高い位置から彼女を見下さなければならず、姿勢的にちょっと苦しい。どこか良いところは…と探していると、ここよりも低くて、海面に近い足場を見つけた。


-あっちで話したいんだけど、大丈夫?


「おっけ」


 なんて短いやりとりを済ませて、僕たちはそこまで移動した。そこに着くなり、僕は気になってた事を聞いてみる。


-クラゲが打ち上げられてるのを見たんだけどさ、大丈夫なの?


「全然大丈夫やに。鱗があるからね」


-え、鱗?それって下半身だけじゃ?


「…触ってみる?」


 そう言って、彼女は右腕を差し出してきた。その手を握りかえすように触れてみると、たしかに、僕たちにはないザラザラとしたような感触がした。女の子の手のひらは柔らかいだのなんだの言ってた輩は居たけれど、そんなことないじゃないかと言いたくなってしまった。


「…地上人の手って、こんなに柔らかいんだね。たしかに、クラゲも心配になるね。刺してくるやつはちくぅってするし、毒もあるしね」


 一方の彼女は、僕の手の柔らかさを堪能しているらしい。あれ。僕のほうが、女の子だったのかな。


 手のひらをぷにぷにといじくり回されるうち、なんだか気恥ずかしくなってきた。肉球を押される猫も、こんな気持ちでいるのかな。そのうちに僕はとても堪えられなくなって、緩やかに手を引っ込めてしまった。


 ちょっと切なそうな君の表情を見ていると、なんだか気まずくって。僕の脳は、自然と次の話題を探していた。


-クラゲってさ、刺してこないのもいるの?


「うん、いるよー。そういうのは食べられるし、結構好きやったなー」


 クラゲを、食べる。待って、まったく無い発想だ。


-美味しいの、クラゲ。


「美味しいよ。ぷにぷに、コリコリしててすごい歯応えがいいの。食べ過ぎはあんま良くないけど」


 そう言われると、一度食べてみたくなる。でもクラゲって売ってるのかな。一度、母さんに聞いてみよう。


 あれ。そういや、好きって言ってた?今はもう、食べないのかな。聞いてみると、複雑そうな表情を浮かべてから、クラゲに関してはちょっとトラウマがあるんよな、と前おいてから、彼女は話し始めた。


「前にさ、クラゲみたいな白い半透明のがさ、海でふよふよしとるのを見たんさ。そん時はもうお腹もぺこぺこでさ、大好物のクラゲを見つけたもんやからさ、夢中になってかぶり付いたんさ。したらさ、なんか、かさかさ、ばさばさしてさ、食感が全然違うの。やばいと思った時にはもうほとんど飲み込んじゃっててさ、事も出来やんかったんな。そのあと、おなか壊しちゃったんよね。あれ以来かなー。怖くてクラゲ、食べられなくなっちゃったの」


 クラゲみたいな白くて半透明で、海にふよふよしてる、なんかかさかさ、ばさばさしてるもの。なんとなく、心当たりがある気がする。


「あれの正体、よくわからんかったんやけどさ、君が菓子パン?持ってきた時あったやんか。そん時にさ、あれの外側の、食べやんかった半透明の部分あったやんか。あそこからかさかさ、ぱきぱきしたような音しとったと思うんやけど、今思えば、あの音に近かった気がする」


 僕の想像は、およそ間違ってなさそうだ。彼女が誤って食べたのはきっとレジ袋だ。


 いつだったか、家まで持ち帰って捨てるつもりでいたレジ袋が、風に煽られ、海まで飛ばされてしまったことがあった。その時は暗がりがひどくて灯りもなく、探す事は困難だと考えてすぐさま諦めてしまったけど、そのときのレジ袋が、回り回って彼女のお腹に収まってしまったのかも。


 そうでないと信じたいけど、僕もそうやって、意図しないにせよポイ捨てしてしまったことに変わりはない。それで大事な友達を知らない間に傷つけていたなんて、僕はなんと酷い事をしたのだろう。


-ごめん。


「いや、なんで君が謝るんさ。君が悪いわけやないやんな」


-…でも、地上人代表として、謝らせてほしい。僕だって、ポイ捨てしちゃった事あるし。


 彼女が今、どんな表情をしているか、怖くて視線を向けられない。それでも僕は、正直に打ち明けた上で、謝らずにはいられなかった。


「…わざとじゃないよね?」


-誓って、わざとじゃありません。


「んじゃ、赦すよ。君の捨てたのを食べちゃった可能性は低そうやしね。やから顔を上げて、堂々とこっちを向いてほしいな」


 僕は恐る恐る彼女に視線を向け直した。そこには鬼の形相をした彼女がいて、僕は酷く慄いた。え、赦すって言ったじゃん!


-…赦してくれるんじゃなかったの。


 もう怖くてたまらなくて、言葉を絞り出すけど声色があまりにも弱々しくて。彼女に届いたかは分からない。しばらくのちに黄色い笑い声と共にばしゃばしゃと海の水の跳ねる音がして。それらが落ち着いたころに、精一杯に低くくぐもらせた、彼女の声がする。


「『私は赦すけど、この海はどうかな』、なんてね」


-もう、そうやって君はいつも僕をからかって。こっちは真剣に心を痛めてたのに。そんな調子だと、どこまで本気で取っていいか、分からないじゃないか。


「ああもう、ごめんって。脅かしちゃった分でおあいこって事にしといてよ」


 そして仲直りの証にと、彼女はまた右手を差し出してくる。それを握りかえすと、なにかを思い出したかのように僕の右手を弄りだした。気恥ずかしかったけど無下にも出来ず、ただ彼女の、好きなように、されるままになっていた。


-ねえ、君から見た海はさ、綺麗?


 この質問は、残酷だと思った。汚しているものがあるとしたら、それは間違いなく、僕たち地上人なのに。言ってから気がついて、答えなくても良い、気にしないでと言う僕を、遮るように彼女は答えてくれた。


「…分かんない。私、この海しか知らないし。でも、たとえこの海が綺麗でも汚くても、私らはこの海にしか生きられないの」


 そう言いながら彼女は、僕の手を放して翻り、水平線の先を見やる。


「でも私は悪くなく思えるから、案外綺麗なのかもしれないね」


 こちらに向き直った彼女はにっと笑って、そのぎざぎざの歯を僕に見せてくれた。太陽に背を向けているのは僕のほうだけど、とてもまぶしく感じられた。

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