出逢い - 2

「お願い…ああ、やだ。やだよ。死にたくない…」


 悲痛な呟きがようやく聞き取れて、僕はまたもショックを受ける。言葉が通じそうなのは不幸中の幸いだが、言葉の意味が分かってしまうのが、とても辛い。


 誰が貴方を殺すものかと思った。浜辺に打ち上げられた貴方をわざわざ介抱したのは、他ならぬ僕なのに。でも、この人魚はそのことを知らないだろうし、僕が危険でないことも知らないだろうし、信じるにはリスクもあるだろう。


 なにか、伝えなければ。ただし、なるべく言葉以外の方法で。大丈夫と言っても根拠が弱すぎるし、どれだけ言葉を積み上げても、おべんちゃらを並べ立てているだけと思われるか、信用に値しないと一蹴されるかもしれない。でもなんとかして、僕は僕自身を危険ではないと示したかった。


 僕は逡巡を重ねる。でも結局のところ、言葉が通じるのであれば、言葉に頼りたくなってしまう。


-ちょっと離れたいんですけど、いいですか?頭、海に浸かってしまいますけれど。


 とにかく、彼女から離れたい。そうすれば、必要以上に恐れたり、警戒したりする必要はないはずだ。でも目をぎゅっとつむったまま、命乞いを続ける彼女には届かなかったらしい。


-あの!


「ひゃい!?」


 …驚いた声にしては、ベッタベタだ。どこのアニメで、そんな驚き方をするヒロインが居るのだろう。有識者に聞けば出てきそうだけど、僕は生憎と興味はない。


-僕、退いてもいいですか。


「え。え?ああ、はい」


 ようやく赦しが得られたので、僕は彼女の頭を少し持ち上げて、その下に敷いた膝を引き抜いた。


 このまま帰っても良かったのだけれど、伝承にしか聞かない人魚に対して、どうも興味が止められない。だから、少し離れた場所で、また膝を正し直して彼女と正対する。


 波の押し寄せる海の上で、僕達はお互いを見合っている。時折波が僕の膝を打ち付けて跳ね上がる。


 ええと、何から聞こうか。多分聞きたいことはいっぱいあるだろうに、今の僕ったら、言葉がうまく紡ぎ出せない。


 伝承の存在を前に舞い上がってしまっているのか、女性を相手に話すことを怖気づいているのか。


 あるいはいつもそうであるように、肝心なときに肝心なことを思い出せないでいるだけなのか。


 二つ並んだ美しい半球の形の地球儀に、綺麗に引かれた本初子午線に、目を奪われ夢中にいるわけではないと思いたい。


 口をついて出てきた言葉は空を蹴ってから回るばかりで、特に意味らしい意味を紡ぎ出せない。一言を放つ。そんな簡単なハズのことに悪戦苦闘している僕に、彼女の言葉が降りかかる。


「…襲わないんですか」


-…は?


「襲わないのかと聞いているんです。陸上の人々なんて、野蛮な輩しかいないと教わってきたので。貴方に襲われないことが、至極不思議なのです」


 はて。と思ったが、心当たりはなくはない。なにせ人間は船を走らせて、網を使って魚を大量に捕食するし、先の伝承にしろ、人魚を捕食したという話は多からずとも存在はする。


-野蛮なのか、と聞かれれば、正直否定しづらいです。でもきっと、みんながみんなそうであるとも、僕は思わないです。


「じゃあ、貴方は野蛮な地上人ではない、と?」


-僕は僕自身が野蛮な地上人ではないだろうと信じられます。貴方の眼に、どう映るかはわかりませんが。


 慎重に、言葉を選んでいく。きっと婉曲でめんどくさい人間に思われるだろうが、元来、僕はこういう人間だ。自分自身のことですら、時折、猜疑的になって、僕の認知している自分と周囲の人が認知してる自分との差を推し量ろうとするくらいだ。


「んー、じゃあ信じてみようかな。これで私に危害が加えられるなら、君はとても狡猾だった、と諦めることにしよう」


 その一言を皮切りに口調ごと態度が砕けた。え、さすがにちょろすぎやありませんか。突然変わった態度に困惑している僕を、察したかのように言葉を続けた。


「実のところさ、私さ、今、ちょっと怪我しとって。泳ぐのにだいぶ不自由な状態なんやんな。やもんで潮流に呑まれて流されてさ、そんで浜に打ち上げられてさ。一応には溺れ死なずに済んだ…と思ってたところに、君が来てさ」


 思いのほか、彼女はよく喋る。要は、彼女はこのだだっ広い海に一人で放り出され、ここに漂着したらしい。さぞ、心細かったことだろう。


「最初はもうあかん、ここで野蛮人に乱暴されて、私の命もついぞここまで…と思っとったけどさ。状況をちゃんと整理するとさ、君は私を襲うつもりはないって分かったやんな。そんな人なんやったらちょっとばかしの静養の間の、暇つぶし相手になってくれたらええなー…なんて考えたんよな。私らの存在、あんま知られたないし」


 なんというか、素直がすぎる。本心じゃないかもしれないとは思ったけれど、そうだとする割には言い方に容赦がないというべきなのか、飾りのないように感じられた。これで僕をたばかる気なのなら、きっと、、ということなのかもしれない。


-僕で良ければ、喜んで。


「やった。友達一人、ゲットだぜ」


 うきうきとした口調で、彼女は言う。小躍りをする彼女がなんだか微笑ましくて、自然と表情が緩む。


-僕はポケモンではないんですけどね。


 そう毒づきつつも、悪くなく思う自分も居ることは、否定しない。弛んだ頬のままにどう否定してもきっと、そこに説得力など生まれないだろう。


 いつの間にか、太陽の姿が見えなくなっていた。あたりに暗がりが広がって、ぼちぼちの街灯も点き始めた頃だろう。


 しかし、こんな人の寄り付かないような浜辺には灯りを回すだけ無駄だとお偉いさんたちは考えているのか、ここからはほとんど見えない。そしてそれらも、もう、何十年前に設置されたかわからない、古びて弱った、柔らかな光だけだ。


 さて、そろそろ帰らないと。海に浸りきった腰を上げると、ざばばと海水が落ちていく。不快にも感じられるが、まあ仕方ない。むしゃくしゃしてて、海に飛び込んだなら、きっとこうもなるだろう。


「私さ、暫くの間はさ、この辺の浅瀬でさ、適当に身ぃ隠しながら休んどるからさ。たまにでええから遊びに来てよ」


-ええ、気が向いたら、その時はまた。


 僕は海水をたっぷりと滴らせながら浜を後にした。振り返るともう彼女の姿はもう見えなくて。全く現実感がなくって、今日のこの出来事は本当はなにかの夢であって。何かを伝えようとしてくれているのかも。


 でも、出来れば夢であって欲しくないなって、期待している僕もまたそこにいた。



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