阿部くんのパン屋さん
増田朋美
阿部くんのパン屋さん
今日も、暑い日だった。まあ夏だからそうなるのかもしれないけれど、暑い季節、本当に疲れてしまうなあと思っても、必ずしなければならないことがある。食べることだ。それにしても暑いから、自分で食べようという気がなくなって、飲食店とか、弁当屋が繁盛する季節でもあるのである。まあそれは、日本の経済が動いているということなので、いいことなのかもしれないけれど。
そんな中。
富士市内、大型ショッピングモールの近くで、「パンの店阿部」は、今日も元気に営業していた。ショッピングモールの中にもパン屋さんはあるので、大概の客はそこで間に合ってしまうのだが、この店は、潰れないのだった。なぜかと言うと、この店では「ライ麦パン」、いわゆる黒パンばかり売っていたからである。それは結果として、小麦のパンを食べられない、アレルギーのある子供さんを持っているお母さんたちの間で大評判となり、遠い人では浜松市からわざわざ買いに来る人もいる。
その日は、お昼の前に、一人の若い女性が、高級な車で来店した。店主の阿部慎一くんは、いつもどおりにこやかに彼女を迎えた。
「いらっしゃいませ。お客さんは、ご来店は初めてですか?」
「はい。私、熱海から参りました。インターネットの口コミで、小麦アレルギーの子供さんでも食べられるパンを売っているというので、こさせてもらいました。」
最近は、インターネットで店の情報を目にしたという理由で店に来てくれる客も多い。それはありがたいことと言うか、なんだか自然現象見たいになってしまっている。
「ああ、小麦アレルギーのお子さんでもいらっしゃいますか?」
阿部くんが聞くと、
「はい。うちの息子ですが、先日も、小麦でできたパンを食べてしまって、大惨事になるところでした。ですが、他の家族はパンを食べられるのに、あの子だけ、パンを食べられないのも、ちょっとかわいそうな気がしますので、それでこちらだったら相談に乗ってくれるかもしれないと思いまして、今日はこちらへこさせていただいたわけですが。」
と、女性は答えた。
「そうですか。ほぼ、ライ麦だけを使用しているパンといいますと、プンパニッケルとか、こちらのロッゲンミッシュブロートとか、いかがでしょうか?ただ、ちょっと硬いので、よく焼いてから食べさせてあげてください。それか、お子様でしたら、牛乳と一緒にパン粥にして食べるのもおすすめです。」
阿部くんが売り台に乗っている茶色いパンを指差すと、
「ありがとうございます。じゃあ、そのパンを一つ頂いてよろしいでしょうか?良かった。これで、うちの子も、パンを食べることができますわ。」
と、彼女はとてもうれしそうに言った。急いで、店の入口に置いてあったトングとトレーを取り、プンパニッケルと、ロッゲンミッシュブロートを一つずつ取った。
「一個でよろしいんですか?ライ麦のパンは日持ちがしますから、まとめて買われる方も多いのですが?」
阿部くんが聞くと、
「はい。とりあえず、一つ食べさせてみて、どんな反応を示してくれるかどうか、調べてみます。幸い、熱海駅からすぐ近くに住んでいますから、すぐにこちらに伺うことができます。」
と、彼女は言った。
「そうですか。じゃあ、特に定休日も設けていませんから、いつでも来てくれて大丈夫ですよ。もし必要であれば、大量注文も承りますので、言ってくださいね。」
阿部くんがそう言うと、
「どうもご親切にありがとうございます。良かった。ここへ来て。親切な店主さんで本当に良かったです。お幾らですか?」
と、彼女は言った。阿部くんがプンパニッケルが400円で、ロッゲンミッシュブロートが、250円ですと答えると、彼女は1000円でお釣りをくださいといった。阿部くんはそのとおりにした。そして、急いでパンを紙袋に詰め込んでいると、
「やっほー!今日はパン屋の売れ行きはどうだ?」
と、言いながらやってきたのは、杉ちゃんと手伝いに来たブッチャーだった。
「あのさ、プンパニッケル、一斤頼むよ。」
杉ちゃんにそう言われて、阿部くんは、そのとおりにプンパニッケルを一斤出してきて、紙袋に詰めた。ブッチャーが、400円出すと、阿部くんはそれを受け取って、領収書を彼に渡した。
「あの、この女性はどなたかな?」
杉ちゃんが聞くと、
「はい。杉原と申します。杉原真奈美。」
と、彼女が答えた。
「杉原真奈美、どこかで、聞いたような名前だなあ。」
ブッチャーが、思わずそういう。
「何だ、知ってるの?」
杉ちゃんと言う人は、すぐ人の話に突っ込む。
「あ、もう、そうなってしまったんですか。私が、ローカルタレントとして、熱海のニュース番組に出演していましたので、それで、私の事をご存知なのかもしれないです。」
彼女はちょっと恥ずかしそうに言った。
「そうなの!じゃ、ぜひ、サインを貰いたいものだな。芸妓さんみたいに美人だと思ったら、そういう仕事をしていたとはね。」
杉ちゃんが、にこやかに笑って領収書の裏面にサインをしてくれと言った。真奈美さんは、杉ちゃんから渡されたボールペンで、そこにサインをした。
「ありがとうございます。いやあ奇遇だな。タレントさんにこんな店で会えるなんて。今は、どんなテレビ番組に出演しているの?」
「ええ。今は、地元の面白いお店を紹介する番組とか、あまり大した役じゃないけど、地元のテレビドラマにも出演させて頂いています。」
「はあ、なるほど。つまり女優さんか。もしよければこの店も紹介してもらえないかなあ。」
杉ちゃんは、カラカラと笑った。
「ええそうですね。私も、アレルギーの人も食べられるパンを売っているということで、すごく貴重な店だと思ったんですよ。私も、テレビ番組の関係者さんに、話してみますわ。ぜひ、こちらのお店を私の番組で紹介したいです。ほんと、貴重なお店ですよ。世の中にはありふれたパンを食べられないで悲しい気持ちが続いている人が、いっぱいいると思いますから。」
そういう彼女の話を聞いて、ブッチャーは、この人は、有名人であるけれど、曲がったことはしていないということに感心した。有名人になってしまうと、ちょっとしたワガママも平気で言う人が、大半なので。
「ぜひ、紹介してください。俺達、楽しみにしています。」
彼女のにこやかな笑顔を見て、ブッチャーも、そう思った。
「わかりました、私も、テレビの関係者に話してみますわ。今日は、素敵なお店に出会えて、こんな美味しそうなパンに出会えて幸せです。ありがとうございます。」
そういう杉原真奈美さんは、とてもうれしそうだった。演技なのか、そうではないのか、素人のブッチャーにはわからなかったけれど、とりあえず
杉ちゃんもブッチャーもにこやかに笑った。阿部くんだけが、いつもと変わらなかった。
「じゃあ私、午後から熱海に戻って収録がありますので、これで失礼しますが、こちらのお店のことは、紹介したいと、お伝えしておきます。楽しみにしていてください。」
そう言って彼女は、パンを持って、店を出ていった。杉ちゃんたちも、パンを受け取って、じゃあ、それでは失礼と言って店を出た。
熱海のテレビ局に戻った杉原真奈美さんは、パンを保冷バックに保管した。夏なので、こういう工夫をして保管しなければならない。そのまま、車に置いて、テレビ局に向かう。そして、いつもどおり、ローカルタレントとして、報道番組の司会のしごとをした。収録がすべて終わると、真奈美さんはテレビ番組の製作部長さんに、
「製作部長。今日富士へ行った際に、優しいパン屋さんを見つけました。ぜひ、うちの番組で紹介しませんか?なんでも、ライ麦のパンを専門的に売っているところで、アレルギーの人も問題なく食べられるパンとして、大評判になっているようなんです。中継には、ぜひ、私が行きますから、紹介させてくださいよ。」
と話を持ちかけた。
「何の話だ?」
ボケっとした製作部長は、彼女の話に、変な顔をした。
「何の話だって、ほら、今回の飲食店を紹介するコーナーの店、イマイチだって言ってたでしょ。だったら、このパン屋さんを紹介したらどうですか?きっと、小麦のパンを食べられない方から、反響があると思いますわ。」
と、杉原真奈美さんは言うのであるが、製作部長は変な顔をしたまま真奈美さんを見るのだった。
「ダメダメ。そんな少数派のための店を紹介したって、何の視聴率の稼ぎにもならんよ。テレビってのは、視聴率を考えなくちゃ。いくら一生懸命番組を作っても、視聴率をあげられなくちゃ、しょうがないじゃないか。」
「でも、製作部長。小麦のパンを食べられない方は、大勢いるのではないかと思いますが?」
真奈美さんはそう言うが、制作部長は、嫌そうな顔をした。
「だめだめ。それに小麦のパンを食べられないのは、おかしな体質の人たちだけで、大半の人は、食べているでしょ。そういう少数はの人だけのために我々が動くわけには行かないんだよ。」
「でも、テレビというものは、不特定多数の人に映るものですよね。その中には、小麦のパンを食べられない方だっているのではありませんか?」
真奈美さんはもう一度言うが、
「そうだけど、小麦のパンは、大多数の人が食べられるじゃないか。食べられない人ための番組を作ったら、食べられる人のほうが大多数なんだし、すぐにテレビから離れてしまうよ。それよりも、テレビにできるだけ見てもらうという目的があるんだし、食べられない少数の人のために、番組を作ってもなんの意味もない。」
製作部長は冷たい顔をして言った。真奈美さんはその顔に、今の政治家の顔と重なるような気がした。今の政治家もそういう態度だ。労働とか、納税とか、当たり前の義務を果たして生活できる人ばかりに、税金がどうのとか、優雅な生活ができるような政策を次々出して、そういうことができない人には、何のても出さないという態度。それはきっと多分、できない人は少数で、できる人に比べると、人数が少なすぎるから放置してしまうのだろう。できる人のための政策なんて、できて当たり前なのだから、作っても仕方ない。それよりできない人が、生活できる様にさせてあげるのが本当の政治なのではないか。情報番組も同じことだ。例えば、スマートフォンが使える人に、スマートフォンの使い方の番組を報道したって、何も意味がない。使えない人に、使い方の情報を流してあげれば、すくわれるひとだっているかも知れない。なのに、そういう人がいるということは、全く無視して、番組が作られているから、テレビが面白くないという人が出るのだと思う。
「製作部長。私は、その言葉を聞いてとても残念だと思いました。もともと私がテレビの仕事がしたいと思ったのは、大多数の視聴者に当たり前の報道をするのではなく、テレビを通して人が幸せになってくれればいいと思ったからです。大多数の人たちはできて当たり前。それだから、テレビを見ても幸せだと思えないんですよ。それよりも、少数の、できない人たちに、こうすれば幸せになれるって、救いの手を差し伸べるのも、テレビの役目なのではないかと思うのですが、違いますか?製作部長は、それでも視聴率のためにテレビ番組を作り続けるのですか?」
杉原真奈美さんは、のんびりとした鈍感そうな製作部長に向かってそういうことを言った。
「でもねえ。テレビ番組を作ることだって、視聴率が上がらなければ、俺達は、食事ができなくなるわけでねえ。そんな当たり前のことも知らないのかい?」
そういう制作部長に、真奈美さんはちょっと強く言った。
「そうかも知れませんが、今の時代、テレビなんて、必要ないとする人だって出ているんです。情報はテレビなんて見なくてもいいと言ってくる人だって大勢います。そういう人をテレビへ引っ張り込むのもたしかに大事だとは思いますが、でも、テレビでしか情報を手に入れられない人だっていると思うんです。その中には、小麦のパンを食べられない人もいるかも知れません。こんなこと言ってしまうと失礼ですけど、もう自分でなんでもできてしまう時代ですよ。その中で、色々不自由なことがある人達に、手を差し伸べてあげるのが、私達、テレビの役割ではないでしょうか。視聴率が悪く立っていいんです。それより大事なことは、テレビを通して、小麦のパンを食べられない人に、救いの場所があると伝えてあげることではナイかしら?」
製作部長は彼女のそういう態度に、なにか感じてくれたようだ。何を感じてくれたかは読み取れないけど、真奈美さんにはそう見えた。製作部長は少し考えて、
「わかった。じゃあ、真奈美さんのやりたいようにやればいい。ただ、視聴率が全てなのは、真奈美さんもわかっていると思うから、それは考慮してもらいたい。」
と、だけ言った。
「ありがとうございます!こんなことができるなんて夢みたいです。テレビを通して、弱い人たちを救えるんですから。」
大喜びする真奈美さんに、製作部長は、ちょっと苦笑いして、
「もしかしたら、テレビタレントというより、政治家を目指したほうがいいかもしれないね、真奈美さんは。」
と、言った。
数日後、阿部くんのパン屋、つまりパンの店阿部に、テレビの撮影隊がやってきた。リポーターはもちろん、杉原真奈美さんである。もちろんテレビに慣れているわけではない阿部くんは、真奈美さんの質問にちょっと戸惑うような様子もあったけれど、きちんと答えていた。まずはじめに、店の中に置いてある、ライ麦パンの紹介から始める。ライ麦比率が多く、長時間焼く必要があるが、その分とても美味しいプンパニッケルや、独特なかわいい形をしている、ペーマーバルトブロート、牛乳パンと呼ばれて比較的食べやすい、ヴァイツェンミッシュブロートなど、パンの種類を紹介する。いわゆるドイツパンと呼ばれているライ麦パンたちを紹介したあとは、阿部くんへのインタビューだ。ライ麦パンに必要なサワータイクのこと、ライ麦パンは体にいいし、腹持ちがいいのでダイエットにもなることなどを紹介して、ライ麦パンが食べたくなったら、ぜひ、いらしてくださいという言葉で、中継を締めくくる。阿部くんと、杉原真奈美さんは、にこやかに笑って、見えない客に向かって頭を下げたのであった。
テレビ番組は生放送であったため、すぐに放送されてしまった。録画放送という手もあるけれど、真奈美さんが属するテレビ局は、生放送が売りのものであった。視聴率がどこまでとれたのかは不明だが、彼女はできる限り、阿部くんの店の良いところを紹介するように勤めたつもりだった。中継をし終えて局へ戻ってきても、反応は冷たいものであったが、それでも良かった。自分は、できることをしたんだ。テレビは、不自由な人達に対して、なにか解決の糸口になったりするために利用するもの。もっとかいつまんで言ってしまえば、視聴者たちが幸せになるためにあるもの。だから、それを壊してはならない。それは、テレビに関わるものとして、頭の中に叩き込んでいた言葉だった。
阿部くんの店は、テレビの生放送を通して、静岡県のテレビで、ダイレクトに放送された。ほとんどの人が、チャンネルをひねれば、阿部くんの店を見ることができた。でも何人の人が、阿部くんの店を見てくれただろうか?
それから数日後。阿部くんの店にまた杉ちゃんがやってきた。
「よう阿部くん。テレビに出て、どうだった?少しは売上もあがったか?」
杉ちゃんが、からかい半分で、そう言うと、
「いやあ、変わらないよ。でも、相変わらず遠方から、お客が来てくれるので、助かっているけどね。」
と、阿部くんはにこやかに言った。
「そうなんだねえ。まあ、あれだけ一生懸命あのローカルタレントが、紹介してくれたから、少しは売上も上がったと思うんだけど、変わらないかあ。それはちょっと残念だな。」
杉ちゃんがそう言うと、
「まあ、それはしょうがない。大半の人は、だいたいショッピングモールの中のパン屋さんのパンのほうが美味しいって言うだろうし、パンと言えば、大体の人が小麦のパンだからね。現実は簡単には変えられないよね。」
と阿部くんは、そういった。
「そうか。でも、あのタレントを、ここへ連れてくることができたのは、おっきな成果じゃないかな。まあ、成果って、求めるものじゃないけどさ。でも、必要なものでもあるわけで。」
杉ちゃんがそう言うと、
「そうだね。でも、あの女性、一生懸命この店を紹介してくれて、なんだか、選挙演説する人みたいだったねえ。彼女、あれほど口がうまくて、情熱的であれば、もしかしたら、政治家のほうが向いているかもしれないねえ。」
と、阿部くんも言った。確かに、テレビで紹介している彼女は、そのような雰囲気があった。確かに、テレビに慣れているタレントということもあるのかもしれないが、彼女の喋り方は、選挙演説する人みたいだった。
「もしかしたら、政治家に転生する日が来るかもよ、彼女。じゃあ、またプンパニッケルを一斤お願い。」
杉ちゃんが、そう言うと阿部くんは、はいわかったよと言って、プンパニッケルを一斤出して、紙袋に入れた。
それと同時の頃、
「へっくしょい!」
と、久しぶりにタレント業を休みで、自宅にいることができた杉原真奈美さんは大きなくしゃみをした。ちょうど、お昼どきだった。彼女は、すぐに、自分と息子にご飯を食べさせなけばならないと思った。真奈美さんは、台所に行き、自分と、息子のために、先日購入したプンパニッケルを細かくちぎり、お皿に持って、牛乳をかけて、パン粥を作った。そうして上げることで、息子も自分と同じものを食べることができると思ったのだ。
阿部くんのパン屋さん 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます