第10話 そうして彼は心を失った

 



 シンは、走りながら思い出していた。



 彼の名前は、シン・セキグチ。



 先日、事故に遭うまでは、月都市の軍士官学校に在籍する学生だった。


 事故で両腕を失い機械義肢セイバーで補っているが、機械人形アンドロイドではなく、まぎれもない『人間』だ。



 *



 礼子を故意に騙そうとしていたわけではない、ただ事故後、他人にも世間にも関心がなくなり、医師のルーカスや技師の篠原博士の誘いに肯定も否定もせずにただ流れに身を任せていたら、彼女の元にたどり着いたというだけだった。


 最初に機械人形アンドロイドであることを否定しなかったのは、自分自身が生きている実感がなく人形のようだと思っていたからだ。


 あの時、シンは空っぽな自分を享受し生きることを放棄していた。


 別に人間であることを強く口止めをされているわけでなかった。勘違いする礼子に折を見て打ち明けてもよいと言われていたが、日を追うごとにそれは難しいものになった。


 礼子が、機械人形アンドロイドであるシンを望んでいたから。

 それは、シンにとって不思議な感覚だった。


 感情の乏しい、くだらない、価値のない人形ようだと自分自身を否定していたシンを、礼子はそんなシンだからこそ興味を持ってくれているようだったから。



 *



「今でも、腕は借り物みたいかい?」


 カウンセリングの時に、ルーカス医師に何度かそう問われたがシンは返事をしたことがなかった。


 無視をしたわけではない。ただ、どう答えていいかわからなかったからだ。


 機械なのは腕だけのはずだ。


 なのに、自分の体とは思えないくらいすべてが重く、目も見えてはいるのに、今までよりも色あせて見え何も感じなかった。

 その原因は、事故ではなく、自分自身にあることをシンは気づいていた。



 シンは地球で生まれ、物心つく前に両親を亡くし、祖父母に育てられた。

 両親は宙軍の軍人で、人命救助の際に亡くなったと聞いている。


 祖父も、同じく宙軍に所属しており現役時代は黎明期の宇宙戦闘機乗りで有名であった。

 亡くなった父親もパイロットだったと教えられて育ち、その面影を祖父に重ねていた。


 だからこそ、いつか父や祖父のように宇宙を飛び周り、人を守り救う仕事をしたいとシンは強いあこがれを抱いていた。



 そのために選んだ月都市の学校は宇宙空間での飛行時間フライトが非常に多く実戦訓練が充実している。

 しかも、寄宿舎もありお金もかからない。


 祖父母に負担をかけたくない彼にとっては、最適な場所だった。

 地球校で十歳から勉強を始め、厳しい選抜試験に合格し十五歳から月で訓練を始めた。

 学校は厳しかったが、次々に出る難しい課題をこなして行くことは、欲するところの少ない彼にとっては夢中になれることであり、とてもありがたいものだった。


 しかし幼い頃より訓練校に入り、優秀な飛行士である祖父の背を見て育ち、それを目指して勉強していたシンの成績は突出していた。


 勉強熱心な上に、身体能力に優れていたシンは、他の学生たちから羨望され、嫉妬され、常に浮いた存在でもあった。


 人見知りする性格ではなかったが、口下手であまり同年代の者と話をできないことでいっそう孤立していった。



 *



 ある日、訓練終わりにシンは同級生たちが自分のうわさをしているのを耳にする。

 盗み聞くつもりはなかったが、自分の名前が聞こえ反射的に身を隠し足を止めた。


「シンのフライト・シュミレーションの攻撃アタックのスコア見たか?」


「97.45パーセントだろ?」


「毎度、よく95パーセント以上の命中率なんかたたき出せるよな」


「現役だって80パーセントいければいい方なのにって、教官が褒めちぎってたぞ」


「あいつ、普通じゃないよな。他の射撃シューティングだって体術だって、教官と互角じゃないか?」


 大げさな身振りで信じられないと言いながら、鼻で笑う男子学生。


 地球の学校で、成績が優秀であっても実践の多いこの月学校に入学し、あまり成績が振るわない学生は大勢いる。

 彼らは、その類の生徒だった。

 陰口が興に乗ってきた彼らは、シンが聞いているとも知らずに揶揄する。


機械人間ブレリアンって、あんな感じなんじゃねーの?」


「ああ、人工知能で動く人形ね」


 機械人間ブレリアンとは、小説に出てくる人間そっくりの容姿をし、人間のような人工頭脳を持っているアンドロイドのことだ。


 しかし、体も脳もすべてが冷たい機械……。


「怖いな。血も涙もない機械さまだ。

 あいつに照準を合わせられたら終わりってことだ」


 金髪の青年がからかい半分で、両手を組み銃を構えるしぐさをするともう一人のそばかすの青年は、やられたとばかりに倒れた。


「よかったなぁ、戦争がおきてもアイツが敵にならなくて」


「アイツは殺しまくるぜ」


殺人機械キラーマシンて呼んでたやつもいたな」


「シンて何を考えてるかわからないし。黒髪で黒目。死神みたいで、ホント不気味だよな」


 同級生らは、そういうと爆笑し教科書端末タブレットを振り回しながら去って行った。


 シンが偶然聞いていたのも知らず。




 嫉妬からくるたわいのない悪口であった。いつもなら聞き流しているが、何故かその日はシンの胸を深くえぐった。


 相槌を打つ声の中に、同部屋の青年の声があったから。

 積極的に陰口をたたいていたわけではなかったが、促されるままに同意していた事実にシンは怒ることもできずに呆然と立ち尽くした。


(俺は、人殺しなどしない……。機械じゃない。人間だ……)


 シンは、床を見つめ拳を握りしめた。


 そうしなければ、大きな闇に飲まれ、自分を見失ってしまいそうな気がした。

 人を殺すために、射撃や武術の鍛錬をしているわけではない。


 両親や祖父のように人を守るためだ。


 そして、宇宙をどこまでも飛んでみたい。


 その夢の為に、真剣に取り組んでいるだけだ。




 宇宙はいつも危険と隣り合わせ。


 その危険を回避するためには操縦技術が必要だ。さらに機銃の腕もあるに越したことはなく、小惑星群アステロイドに遭遇した操縦士が細かい岩石を機銃で破壊し活路を開いたという話さえある。

 どこで何が必要になるかはわからない。だからこそシンは、教えられるすべてのことを習得し、人一倍練習したのだ。


 未開の惑星を探索したり、災害時に人命救助をする。


 確かに、宇宙軍に所属している以上、戦争に行き人を殺める可能性もあることは事実だった。

 しかし、シンはそこまでは考えていなかった。

 祖父や父のように、命がけで人を救うことだけが望みだったから……。



 おそるおそる、胸に手を当てると鼓動が聞こえた。


(俺は人間だ……。機械なんかじゃない)


  けれど、そう自分に言い聞かせなければいけないことは、すでに何かが欠けている証拠なのではないか?


 誰もいない冷たい廊下で、シンは泣くこともできず立ち尽くした。



 ★



 月都市のドーム外の飛行訓練は定期的に行われる。


 シンは、小型機でのフライトが好きだった。

 特に宇宙空間では、引力から解き放たれ上下の感覚がない。

 水を得た魚のように、彼にとって宇宙は地上よりも自由だった。



 人は、何か悩みを抱えているときは判断が鈍る。


 そういう意味で、シンは確かに人間だった。


 その日のフライトもシンは教官から早々に合格点を貰っていた。

 染みついた習慣で、心が晴れ晴れとしなくとも機乗すれば無意識に体は動いた。

 けれど、突然のアクシデントまでは習慣では回避できなかった。


 同じ訓練をしていた仲間の機体がシンの機に激しく接触した。


 いつものシンならば、察知し避けることができたかもしれない。

 しかし、一瞬判断が遅れた。気がついたときには機体は吹き飛び、制御が効かなくなっていた。


 宇宙空間に、天地などないが、それでもシンの視界には星々と月都市のドームがものすごいスピードで交互に映る。


 きりもみしながら機体は、月都市のドームへ吸い寄せられていく。



 ―――― 月都市に落ちる!!



 月へは学校へ通うためにきていた。とりたてて思い出のある場所ではなかったが、その光るドーム内に人々が幸せに暮らしていることをシンは自覚していた。

 両親や祖父のように、人を守る仕事をしたい。そう思い志願した宇宙軍だ。

 なのに、こんなところで人の命を奪うような事故を起こすわけにはいかない。


 眼下には、淡く発光する月都市。


 このままでは、月ドームの外壁のど真ん中を壊すことになるかもしれない。その前に異物として異物探知レーダーで消滅させられる可能性も高い。

 どちらにせよ、人々を危険にさらすことだ。

 シンは、最初の衝撃で意識を失わなかったのは幸いだったと思い直した。


 計器を確認すると、破損個所が悪く操縦が利かなかった。


(どうすればいい? 残された時間はない)


「シン、意識はあるか!」


 教官の通信に、シンは応答する。


「はい。しかし、機体は破損して操縦不能です」


「今アンカーを打って機体を牽引する! 諦めるな」


 シンのことをよく目にかけて、訓練以外のことも親身になってくれる教官だった。

 頭では、シンを救うことは無理だと分かっているが、それでも見捨てることが出来ない正義感の強い人だ。


 シンは、巻き込みたくはないと思った。


 小さくひとつ息を吐くと、心を決めた。


「そんなことをすれば二次災害になります。

 教官、被害を最小にするために未開拓のドームの西側に……落として下さい」


 教官が、自分からそれを言うのかと息を飲む。


「……すまない」


 教官のつらそうな声を聞いて、シンは少しだけ救われた気がした。


 機体に強い衝撃が加わり、落下進路が変わる。


 撃墜される覚悟でいたが、まだ機体は形を保っていた。

 薄れゆく意識の中で、シンは思う。


(俺は、自ら進んで死を選んだ……)


 こんなときまで、取り乱すことのない機械のような自分にシンは嫌気がさした。

 どうして、悪口を言われたあのとき彼らを殴り倒さなかったのか?


 どうして、こんな事故に遭っても『もっと生きたい!』『死にたくない!』と思えないのか?



 ――― 俺は、きっと人形だったんだ。



 それが、最後の瞬間に思ったこと。



 だから、シンは、奇跡的に生き残った今も、自分で自分を殺したと思っている。




 ★



 あの事故で機体は大破し、死んでも不思議ではなかったが、シンは二本の腕を引き換えに一命を取り留めた。


 昏睡から目覚めたシンは、生きている実感が湧かなかった。


(なぜ、自分はここにいるのだろう?)


 世界が、色あせて見え、ねっとりと重い空気の中を漂っているような感覚。

 生き残ったことが、いいことだったとはシンは到底、思えなかった。



 カウンセリングの医師らには、人を助けるためだったのだから、進んで死を受け入れたのは勇気ある正しい判断だったと何度も言い聞かされた。


 けれど、シンは繰り返される正論が自分の本心だとも思えなかった。

 確かに、月都市に被害を出さないために取った行動だ。


(違う。都市を守るのは言い訳で、単に俺はあの時消えたかったんだ……。

 あの時だけではないのだろう。

 俺はずっと、両親のように誰かを助けて死にたかったのかも知れない……)


 シンは、自分で自分のすべてを否定することで、腕だけでなく心も失ってしまった……。



 ★



 身体補助機械義肢、通称『セイバー』の最高技術者である篠原博士との出会いは、ルーカス医師の引き合わせだった。


 シンの腕の代わりに作られた機械義肢セイバーは何の問題もないにもかかわらず、まったく動く気配がなかった。

 篠原博士は、『自社製品にケチを付けるのか!』と怒るようなことはしなかった。


 シンの両腕のセイバーを何日もかけて入念に検査した。


 篠原技術研究所の所長、篠原智がなぜ人々に評価され信頼されているのか、仕事へ対する情熱と利用者に対する真摯な姿勢からすれば、当然のことである。


「検査の結果、義手セイバーには問題はないですが、シンくんの神経伝達系が普通の人よりかなり早いのでその辺の精度を少し高く設定しましょう。そうすれば、今感じる違和感は軽減できます。ただ、それよりも……」


 篠原博士は、シンの目を見つめた。


 見透かすように、そして、いつも穏やかな博士が責めるかのような視線をシンに向けた。


「君は、リハビリをしていないね?」


 シンは、聞こえなかったかのように顔を背けた。


「セイバーは、接続した日から初期値デフォルトの設定でそれなりに動くようにできている。君は、それを試すことすらしていないね?」


「これが自分の腕だという実感も、自分が生きているという実感もない……俺は、あの時死んだんだ」


 うつろに機械の手を見るシンの両腕を篠原博士は強く握った。


「君は、生きている! この義手セイバーは、生きようとする人間たちが長い年月をかけて完成させたものなんだ。君の腕はただの機械じゃない。これからの、君の相棒なんだ!」


 シンは、機械の腕に力が加わるのを感じた。

 しかし、それでも心までは届かない。


 重い空気がシンと世界を隔てている。


「わからない、俺は誰にも必要とされていないし。おれ自身も必要としていない。あの時、俺は死ぬことを進んで選んだ。なぜここで生きているのかわからないんだ」


「シン! どんな形であれ生きていた方がいいに決まっているじゃないか。

 そんなふうに思い悩む時間があるなら、私の娘に君の時間をかしてくれないか? あの子も君と同じ様に、自分の気持ちを押し殺して人形になろうとしているから……」


 こうして、篠原博士の申し出と、ルーカス医師の策略により、シンが礼子の元に来る事になったのである。



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