第3話 そのアンドロイドはリンゴをきれいだと言った

 


「そんなでかい図体で部屋に立ち尽くされたら困るわ。椅子を使って。立ってると疲れるでしょ?」


 素っ気無い態度を取る礼子だったが、シンに興味が湧いてきたのを隠すことは出来なかった。

 しかし、彼の方は淡々と聞かれたことにのみ答える。


「疲れはしない」


 かみ合わない会話に、礼子は戸惑ったがすぐに相手が機械人形アンドロイドだったと思い出した。


「そう、機械だから疲れないのね……。でも、なんだか年上の人を立たせているようであんまりいい気がしないの。ここに座りなさい」


 シンは、命令されるままにベッドサイドにある椅子に腰をかけた。




 視線が同じ高さになり、礼子は満足した。


 人に見下ろされることが嫌いだから座らせたわけではない。

 ベッドで体を起こしながら人を見上げるのは疲れるのだ。


「あなた、本当にアンドロイドなの?」


 繰り返しの質問だったが、礼子は確認せずにはいられなかった。


(こんなに、マイナスの感情が剥き出しの人工知能ブレインなんてあるのかしら? それとも機械人形アンドロイドってみんなこうなの?)


 父親の智が機械人形アンドロイドだと言うのだから人形には違いはないとは思っているが、見かけだけでは分からないため確かめたい気持ちがあった。

 シンは、礼子の問いに両腕の袖を肘までまくり上げ差し出した。


「なに?」


 礼子は、訳がわからずその大きな手をいぶかしげに見つめた。


 長い指に形のよい爪、指紋も浮き出る血管も生身の物としか思えなかった。


「触れば分かる」


 礼子は、促されるままシンの腕に恐る恐る触れてみた。


 少しひんやりとするしっかりした腕。


 彼女の腕より重くて硬いかもしれない。

 けれど、男性の腕を取ったことのない礼子にはその差はよく分からなかった。


(ただ、男の人に触れてるだけみたいで、ドキドキする。心臓が壊れそうよ!)


 発作を起こしそうなほどの胸の動悸を抑えるために、礼子は大きく息を吸った。


 しばらくそうしていて、不意に人間とは明らかに違うことが分かった。




 ――― 脈!




 シンの腕には、確かに青く血管が浮き出ているが見かけだけのことで、そこには血は通っていない。


 シンの拍動はなく、聞こえるのは礼子の鼓動だけ。

 ショックを受けながら礼子は、手を引いた。


「よく分かったわ。身体ボディの製作はうちの研究所が担当したの?」


 シンはこくと頷く。


 それを聞いて、父親の技術のすごさに驚いた。

 触れるまで、いや触れてもしばらくはシンの腕が機械で出来ているとは思えなかった。


「シンは、どんなことができるの? 目から光線とか出る?」


 自分の冗談にシンがどんな反応をするかためしてやるつもりで言うと、彼は静かに答える。


「なにも特別な能力はない。

 普通のことすらできない木偶人形でくにんぎょうだ」


 礼子は、シンのどこか諦めきったような言動に自分を重ねた。


(何も出来ないお人形……わたしのことみたい……)


 しかし、それを認めたくない礼子は、隠すように、さもあきれ果てた口調でシンに言い返す。


「自分でそんなこと言うなんて、まったく、どんなプログラミングされてるのよ」


「宙船や戦闘機の操縦はできるが、他はこれと言ってできることはない」


「乗り物の操縦はできるけど、自分の体を動かすのは苦手だってこと?」


「そうだ」


「じゃあ、あなたを何のために使えばいいというの?」


「レイコの心臓に負担のかかる動きのときに補佐するようにということだが……」


「だが?」


「できない」


 礼子の疑問は募るばかりだった。



 首をかしげる彼女をよそに、シンはベッドの端に置いてあるリンゴを手に取った。

 いい香りだからと、今朝智が持ってきたものだった。

 一人で一個食べるのは食の細い礼子には無理なため父が来たら一緒に食べようと思っていたのだ。

 そのため、礼子はリンゴをぴかぴかに磨いていた。


 そのリンゴをシンがゆっくりと手に取り眺める。


「きれいだな……」


 表情は変わらなかったが、言葉を発することで自分の感情を確かめようとしているようにも見えた。


(人間のような感情が欲しいのかしら?)


 礼子の目には、そんな風に映った。


(まさかね……)


「あなたのプログラムした人は変わった人ね。

 普通、リンゴを見たら『おいしそうだ』と言うものよ」


 出来の悪い生徒に教える先生のつもりで礼子はシンをたしなめた。


(しかし、そうなのだろうか?)


 当然だといわんばかりに言った自分の言葉だったが、シンに一生懸命に磨いたリンゴをきれいだと言ってもらえたことはうれしかった。


「ナイフを借りてもいいか?」


 礼子の手には大きすぎたリンゴも、シンの手の中では小さく見える。


 果物ナイフを使い、シンはぎこちない手つきでリンゴを剥きはじめた。

 慎重に、皮を途切れさせないように長く、長く。


 ゆっくりと丁寧に、それは何故かとても緊張感があった。


 紡ぎ出される赤いリボン。



 礼子が、その姿に見入っていたとき異変は起きた。



 ――― ぐしゃ!



 シンが、リンゴを握り潰したのだ。

 リンゴの残骸と雫が、床に落ちてゆく。



「シン!?」


 礼子は驚いて声を上げた。

 リンゴを持っていたシンの左腕は、拳のまま固まっている。


「こんなことすら満足にできない……ここにいても、お前の役に立つことはない」


「今のわざとじゃないわよね? 力加減ができないの?」


 シンはうなづく。表情はあまり変わらなかったが、リンゴを握りつぶしてしまった左手をじっと見つめるその姿は打ちひしがれたように見えた。


機械人形アンドロイドなのに……一人では歩いていけない子供のよう)


 礼子は、シンの不思議な表情と行動にあきれながらも親近感を持った。


 確かに、リンゴを握りつぶすなどというのは機械人形アンドロイドとしての性能を疑うが、正直なその様子に好感を持った。


「あなたに運んでもらうのはよすことにする。わたしはつぶされたくないもの。その代わり、話し相手くらいできるわよね!」


 ベッドから身を乗り出して、礼子はシンの手をタオルで拭う。

 人に面倒を見てもらっても、人の世話を焼くということは礼子にとってははじめてのことだった。


「………」


 シンは、礼子への返答を考えている。


「もう、すぐに黙り込まないで! 『はい』とか『うん』とか、『嫌だ』とか返事しなさい! 分からないなら『分からない』って言っていいのよ」


「すまない……」


「――― !? あやまるくらいなら、行動で示しなさい」


 礼子がシンを睨むと、彼はうなずいた。


「わかった」


 礼子は、大きくため息を吐く。


 シンがしている行動がいちいち気になるのは自分に似ているからだと分かっている。


「沈黙が悪いとは言わない。けれど、何度も沈黙しているのは、答えを先延ばしにしようとしているか逃げてるようにしか映らない。それは嫌なの……嫌なのよ……」


 シンは答えがわからなくて黙っているだけで、自分とは違うとも思う。

 けれど、八つ当たりせずにはいられなかった。


(手術は怖い、手術は嫌だとはっきり言えない意気地なしはわたしの方……)


 智に手術の話を持ち出されると、いつも黙り込んでしまう。

 そんな自分が好きではなかったのだ。



「俺は、ここにいないほうがいいか?」


 立ち上がるシンの袖を礼子がきゅっと握る。


「待って、聞きたいことがあるの。

 リンゴが上手く剥けないことがわかっていてどうして、わたしの前でやってみたの?」


「……人のためなら、上手く出来るかもしれないと思った。目的はどうあれ、結果は同じだったが」


 シンが淡々と語る言葉は、どこか寂しさが込められていて礼子はどうしても励ましたくなった。


(がんばって、負けないでよ! 無力だからいらないなんてことないって証明してよ)


 それは、彼女が言って欲しい言葉だったのかもしれない。


「わたし機械には詳しくないから上手く言えないけど、身体機能に問題があるわけじゃないと思うわ。お父さんが設計に携わっているなら絶対できるようになる!」


「すごい、自信だな」


「当然でしょ、わたしの自慢のお父さんよ!」


 頬を染め、初めて心から明るく笑う礼子を見て、シンは瞬きを一つする。

 それは、驚いたようにも見えた。



 その姿を見て礼子は、シンは『人間』になれると思った。



 いや、『人間にしてあげたい』そう思ったのだった。



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