第4話 レアリテ《立体映像》の鳥

 


 とは言え、あれから数日たったが礼子とシンの仲が急速に良くなったかといえばそうでもなかった。


 相手は機械人形アンドロイド


 礼子は何を話してよいかもわからず、父からシンを預かった手前、仕方なく傍に座らせ以前と変わらぬ生活をしていた。


 ベッドに座り本を読む、それが礼子の日課だった。

 シンの方はというと、彼女に命令されリンゴの皮を剥く練習をしている。


 彼女は、お気に入りの植物図鑑を見ながら長いため息を吐く。

 本を読んでいても、外を眺めてもリンゴを握り潰すシンの姿が視界に入るのだ。


「今日は、それで何個目?」


 礼子は、呆れながらパタンと本を閉じた。


「3個目だ」


「わたし、そろそろリンゴジュースじゃなくて、リンゴが食べたいんだけど?」


「……自分で剥くか?」


「いーや。シンが剥いたリンゴが食べたいんだもん」


「いつになるか分からない」


「あんまり時間がないから、早めにお願いね」


 礼子は、あまり重要なことではないかのように軽く言ったが、その『時間』というのは手術を受ける日までのことであるとシンにも分かった。

 しかし、彼女がもっとも触れて欲しくない話題だと智から聞いていたため、聞き返すことはせず違う質問をした。


「リンゴが好きなのか?」


「うん」


 礼子は、無邪気に笑った。


 15歳と言う年齢より、幼く無垢な笑顔に見えたのはたぶん小さな時に母親にウサギの形にリンゴを剥いてもらったときのことを思い出していたからだろう。

 それにつられたのか、シンの口元が微かに緩んだ。


(シンが、笑った!?)


 それは礼子の思い込みかもしれなかったが、それでも今までになく楽しい気持ちになり、思わず思いついたことを口にする。


「そうだ! リンゴが上手にむけるようになったら、ごほうびにシンのお願いごとを聞いてあげるわ」


「俺の願い……?」


「ちゃんと考えておくのよ」


 シンが戸惑う姿を見て、礼子は満足そうに声を出して笑った。



 ★



 部屋の中から、娘の明るい笑い声が聞こえて篠原博士は扉をノックしようとした手を止めた。


(礼子のこんな声を聞くのは久しぶりだな)


 娘に同年代の友が必要だと思ったことは間違いではなかったとホッと胸をなでおろした。

 一方で、機械人形アンドロイドだと伝えたシンとこんなにも早く打ち解けることは予想していなかった。


「入るぞ。今日はずいぶん賑やかだな」


 娘の元気な様子に、満足そうに笑いながら智が部屋に入る。

 手には小包を抱えている。


「あれ、お父さんどうしたの?」


 振り向いた礼子は、頬をばら色に染めて笑っていた。

 シンを見ると、表情を変えずに折り目正しく智に一礼した。

 しかし、智はシンが今までとはどこか違うように思えた。


(取り巻く空気が柔らかく感じるのは気のせいだろうか?)


 虚ろだった黒い瞳に、いかばかりか光が見える。

 それは明るい光のさす部屋にいるせいだけではないと確信する。


「お前が注文していた『レアリテ』が届いたから持ってきたんだよ」


 両手を伸ばす礼子に、包みを渡す。


「わぁ、待ってたのよ!」


 礼子は、待ちきれないとばかりにぞんざいに荷を解く。


 レアリテとは、立体映像のデータを納めた記憶媒体キューブのことだ。

 旧式の立体映像に『ホログラム』というものがある。それは光の屈折を利用したレーザーで像を作りだす。それに対し、『レアリテ』は『レアリテリウム』という四方向並びに天井・床に投影装置・音響を備え付けた空間において、よりリアルな可動可能な立体映像を展開する。


 音に関しても、遠くで聞こえる音、または耳元で聞こえる音も合成が可能だ。

 レアリテというソフトの入れ替えや複数を同期することで、部屋を森の中にでも海の中にでもすることが出来ると言える。


 この技術は、宇宙開発に力を注ぐ惑星探査局が、長期航行宇宙船の乗組員のストレスを削減させるために開発した機器だったが、近年は病院や一部の一般家庭でも見ることができた。


「今度のレアリテは何の鳥だ?」


「『プテラノドン』 かっこいいでしょ?」


 鳥ではなく翼竜の名前を言われ、父は、目を丸くした。


「ウソに決まってるじゃない」


 礼子は、おかしくて堪らないとばかりにくすくすと笑った。


「今度のレアリテはね……」


 スイッチを入れるとキューブの中から、小さな小さな鳥が飛び出した。


 腹は白く、背中はエメラルド色に艶やかに光っている。


 長いくちばしは、蝶のように花の蜜を吸うためだ。

 体長は10センチほどだろう、世界で一番最も小さな鳥。


 これは……。


「ハチドリ?」


 シンが聞き返すと、そのレアリテの鳥を目で追いながら満足そうに礼子は言う。


「そう、ハミングバード。やっぱり、かわいいな~。

 見てよ、あのホバリング。鳥って普通滑空するのに、あの子ホバリングして滞空することができるのよ。色もすごく鮮やかできれいだと思わない?」


 なんと答えてよいかわからないシンを尻目に、礼子は父に頼む。


「父さん、お願い。本棚の一番下にある緑色のレアリテケースと隣の白いケースを取って」


 それはレアリテのコレクションしてある箱だった。


「これは、グリーンのレアリテのキューブたち」


 スイッチを入れると、部屋を囲むように緑の木々が現れ、一気に部屋は森の中になる。


 その森の中を自由に飛び回っているハチドリは、花を見つけ蜜を吸うためによってくる。

 レアリテは立体的なビデオとして使われることが主流だが、礼子はより高性能のレアリテを集めていて、自律型プログラムが入ったものだ。


 つまり、レアリテ同士が認識しあい独自の行動を起こすことが可能だ。

 今のハチドリと花ならば、鳥一羽ならばただ部屋を飛びまわるだけだが、花のレアリテを作動させることで二つのレアリテが同期し新しい行動=花の蜜を吸うに至る。


 もう一つのレアリテ収納ケースの中には、他にも色とりどりのキューブがひしめき合っていた。


「全部オン!」


 すると、ケースの中からたくさんの鳥たちが飛び出した。


 ばさばさという心地よい羽音が部屋中に響く。


 シンも耳元をかすめる翼の音に一瞬目を見開いた。

 礼子は、シンの表情が少しだけだか変化したことに満足し、


「驚いた?」

 と、自慢げにシンを見やりウインクをした。


 

 シンは、礼子のウインクよりも彼女のレアリテの選び方に興味を持ったようだ。


 木、花、鳥……。


 よく見れば、窓辺にもよく手入れされたテラリウムがある。

 テラリウムとは、観葉植物が入ったガラス容器のドームのことだ。

 植物の水槽と考えてもらえればいいだろう。


「礼子は、自然が好きなのか?」


「うん、鳥も花も木も大好き。でも、月都市じゃ本物を見られるところはないけどね」


 少しがっかりした様子の彼女に、シンは思いもよらないことを告げる。




「外に出ることができるなら……」


「え?」


「月でも本物の緑や鳥を見ることのできる場所を知っている」


 シンはまっすぐに礼子を見た。

 それは彼女を挑発しているわけでもなく、ただ彼女の欲しいだろう情報を伝えただけだ。

 しかし、礼子は動揺した。


(わたしが、外に出る……? 

 イヤよ、発作で倒れたり苦しくなったりするのは怖いもの……)


「そんな場所ないわよ」


 礼子は冷たく言い放った。

 シンが嘘をついているとは思わなかった。


 しかし、そんな夢のような場所があるにもかかわらず行けないとしたら、『ない』のと同じだと礼子は思ったのだ。

 だから、月に自然の樹木や鳥が見ることのできる場所などないと思い込みたかった。

 けれど、その考えをシンがさえぎる。


「興味がないならすまなかった」 


 彼は、自分が間違った判断で情報を渡し礼子に不快な思いをさせたのだと考え謝った。


「――― !?」


 礼子は、息を呑んだ。


 怒りがこみ上げてくる。

 情けをかけられたと思ったからだ。


 それは礼子の勘違いだったが、リンゴも剥けないほどの頼りないアンドロイドだと思っていたシンが、実は礼子の外への憧れを見透かせるくらい優秀な上に、礼子に恥をかかせないために自分が先に謝れるほども空気が読めると分かり、礼子は取り残されたような気がした。


(わたしだけが役立たずなの?)


 礼子は、父も一緒に部屋にいることも忘れて怒鳴った。


「わたしは、外には出られないのよ!」


「篠原博士は、俺が一緒なら出てもいいといっていた。医師からも、無理をしなければ体力づくりに歩くのはいいと……」


「あなたはアンドロイドだからわからないのよ。発作が起きると、どのくらい苦しいのか……、怖いのか……! 

 はじめて発作が起きたとき一人で遊んでいたわ。あんな恐い思いは絶対いや!」


「ならば、手術が終ってからでもいいだろう?」


「手術したって、成功するとは限らないじゃない!」


 礼子の睨みに動じもせず、シンは冷静に答える。


「失敗するとも限らないだろう?」


(『絶対成功する』って、安っぽい同情をしないあたりも憎らしい!)


 礼子は低い声で言う。


「出て行って……」


 彼女は、レアリテのスイッチを全部切る。


 部屋は、優しい緑の楽園から殺風景な白い部屋へ戻った。



「みんな、出て行って! 大嫌い!」




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