1-4-8. 恋愛対象として(章悟Side)

 僕は夜道を歩いていた。パンを切らしていたことに気付いたので、近くのスーパーに買いに行く途中だ。


「こんばんは」


 銭湯の近くを通ったところで、僕のよく知る人物が屋外のベンチで涼んでいることに気付き、そう声をかける。


 灯子の母親である、千里さんだ。何度見ても、その濃い顔立ちと栗色くりいろの髪の毛は灯子によく似ている。いや、正確には「灯子が千里さんに似た」ということになるけれど。


「あっ、章悟君も入りに来たの~?」


 しかし、口を開けばやはり娘とは別人だということがよく分かる。もし灯子が急にこんな態度をとってきたら、僕は自分の頭を疑ってしまうだろう。間延びしたしゃべり方は多分天然だ。文章でやり取りする際はもう少しキッチリした感じだし。


 そういえば、菅澤家の浴槽は今壊れているんだっけ。だから銭湯に来たのかもしれない。現に、灯子はここ数週間、篠塚家の方で毎日入浴している。


「いえ、ただ通っただけです。あと、灯子から聞いたんですけど、まだそっちのお風呂は壊れているんですか?」

「えっ、何の話~?」


 質問すると、千里さんから意外な答えが返ってきた。


「うちのお風呂は別に壊れてないけど……ねえ、灯子がそう言ってたの~?」

「すみません。僕の記憶違いかもしれません」


 思い出してみると、灯子の方から明確に「壊れた」と言っていなかったかもしれない。ほんの短いやり取りだったので、よく覚えてないけれど。


「でも、ここ最近、ずっとうちのお風呂に入りに来ているんですよね。まあ、別に問題は無いですけど」

「もしかして……もしかして、なんだけどね、灯子って、章悟君と一緒になりたいんじゃないの?」

「一緒? どういうことですか?」


 話の中に出てきたやや曖昧な言葉に、僕は問いかける。


「灯子って、中学生くらいから私のことを避けている感じで、で、その分、そっちの家に入り浸っているような気がして……だから、生活の拠点をそっちに移そうしていたりして。そして最終的には結婚まで考えていたりして?」

「ちょっと待ってください。何言ってるんですか?」


 僕は慌ててそう返した。まだ高校生だというのに、いくらなんでも早過ぎる。


「僕と灯子は、そういう関係じゃないですから」

「あら、そうだったの~? てっきり、もう付き合っているのかと」

「違いますって」


 そういえば、鵜飼も似たようなことを言っていた。やっぱり、僕と灯子は恋人同士に見られがちということなんだろうか。


「でも、もしもの時はお願いね。ほら、あの子って見た目は良いのに、人との間に壁を作るようなところがあって……だから、章悟君としか上手くやっていけないような気がするのよね」


 確かにそれは事実だ。幼い頃からの付き合いだけど、灯子が他の同級生と親しくしている様子を目にしたことなんて一度も無いかもしれない。まあ、当の本人が望んでいるみたいだからあまり深刻に捉えていなかったけれど。


 だからといって、何で僕が灯子と結婚することになるんだろう。知らず知らずのうちに許嫁いいなずけができてしまったような気分だ。


「……千里、そこまでにしておけ」


 どのように反論しようか考えていたところで、銭湯の出入り口の近くから声が聞こえてきた。これまた風呂上がりと思われる一人の男性が立っている。千里さんの夫、つまり灯子の父親だ。どうやら、僕達の話を聞いていたみたいだ。


「向こうが困ってるだろ? 勝手に話を進められても」

「えっ、でも似合うと思わない? 灯子と章悟君って」

「それは当事者同士で決めることだろ? ほら、行くぞ」

「あっ、ちょっと待って~!」


 千里さんは歩き始めた彼を追い掛け、横に並び立つ。そして、間髪入れずに身を寄せ始める。


「……こんな場所で、やめろって」

「もう少しだけね~。体、冷えちゃったから」


 千里さんは彼の体から離れようとはしない。彼の方も少し面倒臭がっているが妻を突き放そうとはしない。もう十年以上夫婦をやっているというのに、その熱は冷めることを知らないみたいだ。


 結局のところ、結婚の話は有耶無耶うやむやのうちに終わってしまった。まあ、おそらく本気じゃないだろう。先輩もそうだったけど、僕の周りの女性は冗談が好きなのかもしれない(灯子は除くとして)。


 むしろ、本気だったら困るくらいだ。僕と灯子があんな風に身を寄せ合える関係性になるという未来をどうやっても思い描くことができない。あの二人は極端なケースかもしれないけれど、少なくとも、灯子を恋愛対象として見ることができないんだ。


 ただ、それはあくまでも「灯子」に対してであって……

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