1-1-3. 彼女が欲しいとか(章悟Side)

 購買で買ったミントタブレットを渡した後、僕は廊下で別のクラスの灯子と別れ、教室の中に入り、席に着いた。


「よう! 今日もあれか? と一緒に登校か?」


 そんな言葉で挨拶してきたのはかいたく。男子にしては低い身長とやや太めの眉毛が特徴のクラスメイトであり友人である。僕と灯子の事情を知っていることもあって、いつものように妙なアクセントを付けて質問してくる。


「僕がちゃんと見ておかないと、電車で寝過ごすかもしれないし……妹の面倒を見ているみたいな感じ? 妹がいないから、よく分からないけど」

「妹ってのは違うじゃん。見た目全然似てないし。篠塚は何ていうか、薄い顔で、菅澤は外国人っぽくて、で、何といってもやはり胸がデカくて、E……いやFはあるな。あんな美少女とおさなみって、そんなのありかよ?」

「そんなこと言われても」


 まあ、灯子の見た目が特徴的なのは間違いない。濃い顔立ちのせいか結構大人びており、学校の中では余計にそれが際立っているような気がする。


 幼少期からの付き合いである僕からすると不思議な感じだ。髪が短く女子っぽい服装をほとんどしないこともあって、小学生の頃は時折男子に間違われていたというのに、今となっては「美少女」だなんて言われている。単に鵜飼の好みの問題かもしれないけれど。


「しかも、家が隣同士とか、窓開けたら相手の部屋とか、設定濃すぎじゃね?」


 と、鵜飼はやけにテンションを高くして次々と口に出していく。うちに遊びに来たことがあるので、そういう事情に関してもある程度知っているのだ。


 鵜飼とのこういったやり取りは今まで何度繰り返してきたかよく分からない。まあ、反応が色々と面白いので特にうんざりすることは無いけれど。「設定が濃い」ってどういう意味なんだろう。ゲームの中の話?


「でさ、『付き合いたい』とか、そういうの思わないわけ?」

「灯子と? 特に無いよ。そういう関係じゃないから」

「だって、下の名前で呼んでるじゃん」

「昔からだから、特別な意味は無いよ。そもそも、彼女が欲しいとか思ったことはないから」

「……前も言ってたけどさ、篠塚、お前変わってるよな」

「そうかな?」

「いや、変わってるって。一緒にいて、彼女にしたいとか、そういうの無いんだろ? だったら、変わってるって。ゲームとかしないし、趣味とかも無いし、変わり過ぎてお前って逆に面白いよな」

「何回『変わってる』って言うの?」

「高校生男子として、絶対そう……んっ?」


 楽しそうに話していた鵜飼が、僕の背後を見ながら何かに気付いたかのような素振りを見せる。


 それに合わせて後ろを向くと、さっき別れたはずの灯子がいつの間にか教室に入ってきていて、僕の席の近くに来ていた。


「どうしたの? 何か用があるの?」

「……シャーペンの芯が、無い」


     * * *


 今日の授業が終わり、電車に乗って自宅の最寄り駅に着いた僕は、バッグから取り出した折り畳みの傘を広げ、自宅へと歩いていった。雨の勢いは結構強い。今朝確認した天気予報の通りだった。


 登校時と違って、今この場に灯子はいない。「一緒に登校し、別々に下校する」というのはこの二人の間での暗黙の了解だ。


 そんなことを考えながら歩いていたら、ある光景が目に入った。


 まさしく「学生同士のカップル」と思われる男女の二人組。二人ともうちの学校の制服を着ており、二人で一つの傘を共有する、いわゆる「相合傘」のスタイルだ。実際の関係性については分からないけれど、肩を寄せ合っているその姿は、「カップル然」としているのは事実だった。


 そして、僕がそんな光景を目にしたところで、別段「うらやましい」という感情を抱くことは無かった。劣等感のようなものも無い。


 今朝、鵜飼に言ったことはうそでも強がりでも何でもない。僕は生まれてこの方「彼女が欲しい」と思ったことは一度も無いんだ。かといって、同性愛者というわけでもない。


 「恋愛」という物事を第三者の視線で見ること自体は別に嫌いじゃない。そういうことをテーマにした曲に対して「良い歌詞だな」と感じることだってある。


 でも、自分から積極的にしようとは思わないんだ。


 鵜飼はそんな僕のことをよく「変わってる」と言う。こちらからすれば、「異性の幼馴染みが恋愛につながる」といきなり決め付ける方が変わっていると思うけれど。


 そう考えているうちに、家の前に到着する。


 鍵が開いている。灯子は篠塚家の鍵を持っているので、先に帰ってきているということだろう。案の定、玄関には彼女の靴が置いてあった。


 廊下を歩いていき、れてしまった靴下を洗濯機に入れるために、浴室の隣の脱衣所のドアを開ける。


 すりガラスの扉を隔てた先にある浴室の明かりがいている。誰かが入浴中なのは明らかだった。


 うちの学校の制服が脱ぎ捨てられており、着替えとなるTシャツや短パンが置いてある。今、そこにいるのは灯子で間違いないだろう。


 別に、灯子が篠塚家の方のお風呂に入るのは今回が初めてというわけじゃない。菅澤家の方が使用中と思われるタイミングで入りに来たことは何度もある(昨日もそうだった)。ただ、今はまだ灯子の親が帰ってきていない時間帯のはずだし、他に家族はいないので、向こうが「使用中」ということは無いはずだ。


「灯子? 何でうちのお風呂に来たの? 向こうのは空いているはずだよね?」


 その時、ある一つの可能性が頭に浮かんだ。確か、去年辺り同じ理由でうちの浴槽が使えなくなったことがある。


「壊れてお湯が出なくなったとか?」

「……うん」


 やっぱりそうみたいだ。灯子の短い返答で事情を察する。


「今日は金曜日だから、制服とかはうちの洗濯機で洗っておく?」


 特に返事は無い。僕はそれを肯定と捉え、靴下と一緒に灯子の衣服も洗濯機に入れていった。


 こんなやり取りを鵜飼に話したら、どんな反応をするだろう。何てことのない光景のつもりでも、彼にとっては驚くべき出来事なのかもしれない。そして、こういった関係性は大学生になっても、いや、社会人になっても続いていくんだろうか。


 そんなことを少しだけ考えながら、僕は洗濯機に洗剤を入れ、作動させたのち脱衣所を出ていった。


 同時に、ポケットの中のスマートフォンが振動した。確認すると、一件の着信がある。


『もう帰ってきてる? 洗濯物取り込んでもらえる?』


 灯子の母親である、さとさんからだった。雨が降ってから結構経っているので、もう随分濡れてしまっているだろうけど。


 灯子自身はスマホを持っていないので、何か用事がある際は僕の方にメッセージが来ることになっている。いや、例え持っていたとしても、彼女のことだから着信に気付かずにスルーしてしまうかもしれない。


『いつもごめんなさい。灯子の世話もしてくれて』


 再びメッセージが来る。こんな風に書かれるとまるでペットのことを話しているみたいだ。もっとも千里さんにそんな意図は無いと思うけれど。


『大丈夫ですよ』


 そう返したのち、僕は菅澤家へと向かっていった。

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