第26話
席を立つと、あたしは部外者なのに事務所へ通してもらったことを謝りに。朝比奈さんは同僚の人に別れの挨拶をするために、受付へ寄っていく。
それぞれ用事を終えると、あたしたちは連れ立って外に出た。
「朝比奈さん、さっきまた変な人に絡まれないようにって言われてたけど、前にもそういうことあったの?」
夜桜から出ると、あたしはさっき気になった言い回しについて訊ねた。
「あー……うん。四月の頭に酔っ払ったお客さんに言い寄られちゃって」
すると朝比奈さんは、苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「うわ……めんどくさそ」
あたしは最大限の尊敬と同情の念をこめていった。
朝比奈さんがどんな仕事をしてるのか、詳しくはわからないけど客商売には間違いないわよね。
旅館で働いてるみたいだし、お部屋に伺って御酌したりしてるのかしら。って、女の子一人でそれは危なくない? きっと複数人で一つの部屋を担当してるのかも。
なんにせよ、仕事で愛想振りまきまくった挙げ句、酔っ払った男(性別までは聞いてないが、言い方的に男で間違いないでしょ)に絡まれるなんて、あたしだったら絶対に耐えられない。
そもそも愛想を振りまく時点で無理だし。
それが出来る時点で既にすごいと思う。
「それで、結局その後どうなったの?」
「あのときはね。クルくんに助けてもらったよ。お客さんにパンチされそうになってけど、それをヒョイッと躱して倒してた」
「へー、そうなんだ」
そっか。あいつ、あたしの時以外にもそんな事してたんだ。
まあ、道場でも武内に殴られそうなのがあたしじゃなくても助けてたって言ってたし、そんなに意外でもないけど。
ふーん。そっかー。へえ……。
────あれ? なんであたし今、ちょっとイラッとしたんだろう。
「ん? それって先月の話だよね?」
ふと、気になって訊ねてみる。
「そうだよ。クルくんが来た日だから、四月の頭のほう」
「へえ」
それって、あたしが初めてあいつに会った日でもあるじゃん。
っていうか、あいつ道場で「こっちでは普通に過ごすつもりだった」ってドヤ顔で言ってたくせに、なにやってんのよ。初日からアブノーマルに過ごしてんじゃないわよ。
心の中で突っ込んだところで、あたしたちは夜桜の門をくぐって敷地を抜ける。
そしたら、あたしは右に。朝比奈さんは左に曲がった。
あっ、と二人同時に声を上げる。
「え、梓ちゃん帰りそっちなの?」
「あ、うん。あたし、こっち」
驚いた。
一緒に帰る流れだったのに、まさか最初から分かれることになるなんて。
でもま、仕方ないか。
どっちかが反対方向に進むなんて手間をかけるわけにもいかないし。
そう思って、気まずいなと思いながらも別れの言葉を告げようとした瞬間だった。
「あ、私の家、やっぱりこっちだったかも」
あははー、って笑いながら朝比奈さんがあたしの方に来ようとする。
あたしはそんな彼女を手で制した。
「いやいやいや、やっぱりってなに。絶対ウソでしょそれ」
「う、うそじゃないよ?」
どもってる上に目が明後日の方向をむいてる。
うん、ギルティ。めちゃくちゃわかりやすいわね、この子。
そもそも、夜桜には彼女のほうが行き慣れてるんだから、道なんて間違えるはず無いのに。
「しらばっくれてもダメよ。受付の人も早く帰りなさいって言ってたでしょ」
「早く、じゃなくて気をつけてだよ?」
「いやどっちも同じでしょ。とにかく、今日はまっすぐ帰りましょうよ。だからここでお別れ」
子供のように屁理屈をこねる朝比奈さんを、諭すようにいう。
すると、彼女は「えーっ!」と不満の声を上げた。
「でも私、もう少し梓ちゃんとおしゃべりしたーい」
とうとう隠す気もなくなったらしい。
まるで駄々っ子みたいだ。
この子、少し前まではあたしにビクビクしてたくせに、害がないってわかった途端にグイグイ来るのね。
まあ、普段の教室の様子からして内弁慶気質なのはわかってたけども。
とにかく、なんとかしてこの子を説得しないと。
「じゃあ、こうしましょう」
あたしはため息まじりにいうと、スマホを取り出した。
「話したいなら、電話しながら帰りましょ。それでいい?」
ラインを立ち上げ、朝比奈さんに見せる。
すると、彼女はぱあっと顔をほころばせ。
「わあ、いいの?」
心底嬉しそうにいった。
はあ、あたしなんかと連絡先交換するだけで何がそんなに嬉しいのかしら。
かくして、母親との連絡専用になっていたラインに、たった一日で新たな二つも連絡先が追加されてしまった。
「ありがと! それじゃ、早速電話するね」
「え、今すぐ?」
「うん。待ちきれないもん」
言うと同時に、彼女はスマホを操作した。
すると当然、あたしのスマホが初期設定の着信音を奏でる。
「はい。もしもし?」
「もしもし! あは、つながった!」
電話がつながるなって当たり前なのに、大はしゃぎする朝比奈さん。
まったく。電話一つでそんなに盛り上がれるなんて、随分お気楽な性格してるのね。
「はいはいつながったわね。それじゃ、あたしもう帰るから」
「うん。またねー」
目の前にいるのに電話越しに別れを告げて、あたしは朝比奈さんに背を向ける。
数メートルくらい進んだところで振り返ると、彼女はまだあたしに向けて手を振っていた。
「もう。電話で話せるんだからあんたも早く帰りなさいって」
「うん。そーするね」
そういったけど、きっと朝比奈さんはあたしの姿が見えなくなるまでずっとこっちを向いてるんだろうな。
そう思って、あたしの視力でぎりぎり見えるくらいまで離れて振り返ってみると、やっぱり。朝比奈さんは笑顔でこっちを見ていた。
あたし、もう突っ込まない。
直進だけど、しばらく進んだら見えなくなって勝手に帰るだろうし。
『梓ちゃん。今どこにいるのー?』
「どこって。まだ田道よ」
『そっかー。私も同じ感じー』
そんな会話をしながら、ポツポツと歩いていく。
『ねね、梓ちゃん。空見てみてよ』
「空?」
言われたとおりに空を見上げてみる。
まるでボールを無理やり引き伸ばしたような、ぼんやりとした光が無数に空を覆っていた。
『星、すっごく綺麗だよ。今日は一日雨だったのにすごいね!』
きっと、今朝比奈さんは満面の笑みを浮かべてるんだろーな。
でも、ごめんね。あたしはその感覚、よくわからないのよ。
「そうね。とても綺麗だわ」
『えへへ、だよねー』
さり気なくついた嘘も、朝比奈さんは全く疑うことなく受け入れてくれる。
それから、あたしは朝比奈さんが絶え間なく投げかけてくる話題に反応し続けた。
そうしてしばらく歩いたところで。
『あ、ごめん。私、もうお家についちゃった』
朝比奈さんが残念そうな声を上げた。
どうやら、先に家についたのは彼女の方だったらしい。
「そう? あたしももう着くわ」
『ほんと?』
「うん。今家の目の前よ」
『あはは、タイミングぴったりだね』
楽しそうに彼女は笑う。
でもごめんなさい、本当はあたしの家まであと十分はかかる。
嘘をついたのは本当のことを告げると、『じゃあ、梓ちゃんがお家につくまで待つよー』とか言い兼ねないと思ったからだ。
『そっかー。梓ちゃんがまだなら少し待とうかなって思ったんだけど、二人ともついたならもうおしまいにしよっか』
ほらビンゴ。
「そうしましょ。お互い、明日も学校だし」
『うん! じゃ、また明日ね! おやすみ、梓ちゃん』
「……ええ。また明日」
最後に一言だけ交わして、あたしは通話を切る。
それから鞄の中にスマホを放り込むと、あたしは大きなため息を吐いた。
「また明日、か」
まさか、あたしがまたそれを言う日が来るなんて思わなかった。
「ほんと。人間関係って一瞬で変わるのね」
周りに誰もいないのを確認して、虚空に話しかける。
人間関係は一瞬で変わる。
あたしと朝比奈さんの関係が変わったきっかけは、間違いなく朝のやり取りだった。
「……ごめんなさい。朝比奈さん、ちょっといいかしら?」
今朝、あたしは朝比奈さんがトイレに行ったタイミングを見計らって、捕まえに行った。
彼女を選んだことに、深い理由はない。ただ、朝比奈さんが一番アイツと仲良さそうだったから。それだけだ。
「へ!? あ、梓ちゃん? ど、どうしたの?」
「いえ、ちょっと聞きたいことがあるから時間貰いたいんだけど。いい?」
「う、うん。大丈夫だけど。どうかしたの?」
「いや、霞河の電話番号を教えてほしくて。知ってる?」
「えっと、うん。それは知ってるけど……どうしたの?」
仕方なく、あたしは霞河に助けてもらったお礼を告げたいという旨を明かした。
すると、途端に何故か彼女は明るくなったのだ。
「ほんと!? それなら全然教えるよ! ちょっとまってね。あ、でもラインの連絡先の方がいいんじゃない?」
「や、ラインは……いい」
まあ、たしかにそっちのほうが手っ取り早いだろうけど、断りもなくラインを追加するなんて、迷惑だって思われるだろうし。
ちなみに、その後実際に電話したあとは結局ライン追加することになるんだけど、あれはラインの自動追加機能がオンになってしまってたことによる事故だ。
まあ、霞河もノータイムで追加してくれたみたいだから何も言わなかったけど。でも、自動追加の機能はすぐにオフにしておいた。
とにかく、あたしが霞河に気を許してる姿をみたことで、朝比奈さんの危険リストからあたしは外れてしまったらしい。おかげでその後もたくさん話しかけられて大変だった。中学の時みたいにわざとそっけなく接しても効かないし。もしかして、あれって朝比奈さんがバイトで身につけたコミュニケーション能力だったのかな。
まあ、何でもいいけど、霞河にもいった通り別にあたしはクラスのみんなを毛嫌いしてるわけじゃない。
でも、友達関係を築くのはめんどくさいことに変わりはない。
とはいえ、関係が変わってしまった以上朝比奈さんを止めることは多分出来ない。それはさっきの帰り道でのやり取りから察した。
だから、学校の教室ではあまり話しかけないでほしいって頼んでみた。
当然、渋られたけれども、ごめんね。そこはあたしも譲れないの。
結局、彼女は渋々ながらも受け入れてくれた。
『そっか……でも、ゆっくりでもいいから真ちゃんや亜子ちゃんも一緒に、みんなで話せるようになりたいな』
彼女はそんなふうにいっていたけど。
多分、そうなることは絶対にないと思う。
悪いけど、あたしはもうこれ以上朝比奈さんとの距離を詰めるつもりはない。
なんでって?
あたしはしってるから。
関係が変わるのは必ずしも悪い方から良い方ってわけじゃないことを。
いいや、むしろ悪い方から良い方に変わるパターンのほうが遥かに高いことを。
たとえ親友でも家族でも。そのきっかけは、ふとした瞬間にやってくる。
あたしはそれが怖い。あまり近づきすぎると、そうなった瞬間が辛すぎる。
だから、あたしは距離を保つ。いつ縁が切れても悲しまない程度の距離を。
「気をつけないと、ね」
つぶやきながら、あたしはバルコニーへ続く道を途中で曲がった。
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