第25話

その後、これから俺を待ってる間に溜まってた事務仕事をこなすからと事務所を追い出され。

紅野はどこにいったのかと探していると。

「あ、おーい。クルくーん」

聞き慣れた大声が俺を呼ぶ。

声の方向を向くと。

玄関から受付を左に回ったあたりに設置されている待合所で、ひななが紅野と向かい合って座っていた。

ガラス張りの机の上には紙コップが二つ置かれている。すぐ側に紙コップで提供するタイプの自販機があるから、そこで買ったんだろう。

ひななの方にはオレンジジュースが、紅野の方にはコーヒーが入ってるようだった。

「ひなな? 仕事じゃなかったのか?」

壁の時計を見ると、時刻は二十時半。上がるには多少早そうだが。

「んー。次に入る人が早く来ちゃったのと、お客様が少なかったから早めに上がらせてもらったの。で、帰ろうとしたら梓ちゃんがいたから、一緒におしゃべりしてたんだ」

ひななはいつもと変わらない満面の笑顔でいった。

梓ちゃんとおしゃべり、少し前のひななからは絶対に聞けない単語である。

「お前ら、急に仲良くなりすぎじゃね?」

問いかけながら、ひななの隣か紅野の隣に座るか迷う。

数秒迷って、俺は紅野の隣に腰掛けた。

こっちのほうがひななとも話しやすいからだ。

紅野は特に嫌がる素振りも見せずに、俺が座りやすいように横にずれてくれた。

「うん。クルくんのおかげでね」

そういって、ひななはオレンジジュースを口に含む。

「俺のおかげ?」

ひななと紅野の関係を変えるようなことはした覚えがないんだが。

そう思って首をかしげていると。

「別に。あたしが今朝、あんたの電話番号を聞いただけよ」

紅野がそっと補足してくれる。

「そうそう。いきなり『ねえ、朝比奈さん。霞河の連絡先教えてもらっていいかしら?』なんて言い出すからびっくりしちゃったよ~」

途中、紅野の真似をしながら、ひななはうなずいた。

ちなみにモノマネはぶっきらぼうな言い方が結構似ていた。

「……そんな言い方だったかしら」

目をつむって、眉をひくつかせながら紅野が尋ねる。

どうやらモノマネが気に食わなかったらしい。そんな様子を見せたら、以前のひなななら気まずそうにしていたものだが。

「あはは、そんな感じだったよー。あ。でももうちょっと厳しい感じの言い方だったかも?」

今は顎に手を当てて、軽く受け流してる。

いったい、どういう心境の変化があったんだ?

少し話してみたら本当は悪いやつじゃないってわかったから、多少凄まれても気まずいと思わなくなったとかだろうか。

「けど、クルくんと梓ちゃんもすごく仲良くなってるよね。今日もどっかで二人きりで会ってたんでしょ?」

今度はひななが俺たちの関係を不思議がる番だった。

ていうか、二人で会ってたのは事実だが、そんな風に言われると逢引でもしてたみたいだな。

実態はぜんぜん違うんだけどな。

「ああ、まあな」

「二人で何してたの?」

「それは──」

アルビノのこととか、言ってもいいんだろうか。

そう思って紅野の方を見ると。

「別に大したことは話してないわよ。あたしのせいでこいつがあんなことになっちゃったんだから、謝ってただけ」

俺の代わりに紅野が淡々と答える。

他にも色々と話したが、そういえば主題はそれだったな。

「そういうことかー」

「そんなことより、あんた処分内容は何だったの?」

ひななが納得すると、すぐに紅野が話題を別に移す。

俺は「ああ」と頷くと、横に抱えていた封筒を机の上に置いた。

「謹慎二週間だったよ。課題と反省文が大量に出てる」

紅野が躊躇なくその封筒に手をのばす。

「あらま。こりゃえげつない量出てるわねえ」

中身を改めると、彼女は分厚い問題冊子をパラパラとめくった。

「あ、こっちは処分内容が書いてあるね。へえ、こういうのってこんな感じで通達来るんだ」

紅野が投げ捨てた封筒を取る前に、きちんと「見てもいい?」と確認したひななが感心したようにいった。

こうして比較してみると、遠慮の有無が正反対だなこいつら。

「まあな。大体そんなもんだよ」

「あはは、なんかクルくん慣れてるような言い方だね」

あ、しまった。

そういえば、ひななには中学時代のことは話してなかったんだっけ。

真弓さんといい紅野といい、知ってる人とばかり関わってたから失念してたな。

とはいえ、もうバレてるようなもんだから別にいいか。

「実際、慣れっこなんじゃないの。ねえ?」

「不本意ながら、中学の時にな」

「え、もしかしてクルくんって中学の時不良だったの?」

「そうだよ。ずっと喧嘩ばっかしてた」

「ふええ、だからあんな強かったんだね」

ひななも察してたんだろう。だから驚くような反応は見せず、むしろ納得していた。

自分の隠してきた過去をこんなにあっさり受け入れられるのは微妙な気分なんだが、嫌われてないだけましか。

と、そうだ。ちょうどひなながいるんだから、これも言っておこうか。

「それと、ひなな」

「ん?」

「俺、夜桜で働くことになったわ」

「はい?」

目を丸くするひななに、俺は罰として謹慎期間中は夜桜でタダ働きするように命じられたことを説明する。

すると、ひななは俺の過去や初めて会った時の真実を知ったときよりも驚いてみせた。

しかし、すぐに笑顔になっていった。

「じゃあ、わたしたち明日からちょっとだけ仕事仲間だね」

「はは、確かにそうだな」

無邪気に笑うひななに俺も笑顔で相槌を返す。

だが、正直心の中は不安でいっぱいになっていた。

それはなぜかというと。

「でも、この課題こなしながらバイトもするって、相当大変じゃない?」

まさに紅野の言った通りである。

ただでさえ尋常じゃない量の課題に加えて、慣れない労働も加わるとなると、まったくやり切れる気がしないのだ。

「それに、これところどころすごく難しい問題混じってるし。相当きついわよ」

「まじ?」

「うん。社会は調べ学習も結構あるし、数学なんて証明問題がたくさん。ほら」

さらに追い打ちといわんばかりに、紅野が問題冊子の中身を見せてくる。

「うげ、まじか……」

紅野が見せてきたページは、主に合同や相似であることを証明する問題で埋まっていた。

それを見て俺は頭を抱える。

きっと、今やってる範囲では足りないため、中学の分野を流用してるんだろう。

ちなみに、図形の証明問題は俺が中学の時に最も苦手なところだった。

それが少なくとも見開き一ページ分に六つずつある。

まったく、見てるだけで頭が痛くなりそうだ。

「ま、精々がんばんなさいな。いざとなったらあたしも助けてあげるから」

げんなりする俺を励ますと、紅野は紙コップの中身を一気に飲み干した。

それからバッグを手に持って立ちあがる。

「帰るのか? 送ってこうか?」

「いらない。あんた謹慎中でしょうが、大人しくしときなさい」

もう夜も遅いから一人で帰るのは危ないだろう。そう思って声をかけると、いつものつっけんどんな調子で返される。

そうか、そういえばさっき謹慎を破って真弓さんに怒られたばかりだった。

「あ、それなら私が一緒に帰るよ」

外に出られない俺の代わりにひななが立ちあがる。といっても、彼女としては安全とかどうでよくて、ただ紅野と一緒に帰りたいだけなんだろうけど。

それでも、結果的に一人より二人の方が安全であることに変わりはないが。

「好きにすれば?」

「うん。すきにするー」

「じゃ、またね。霞河」

「クルくん、ばいばーい」

そっけない返事にも臆するすることなく、ひななは紅野についていく。

「おう、またな」

そんな二人を、俺は片手をあげて見送る。

二人は受付の谷村さんに軽く挨拶したあと、雑談しながら夜桜を出ていった。

「……さ、俺も戻るか」

俺はプリント類を封筒に突っ込み、立ち上がった。

これが、俺が彼女たちに勉強を教えてもらいながら働くことになった経緯だ。

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