第20話 叩き直す
あっという間に週は明けて、六月二周目の頭、ついにその日がやってきてしまった。
体育は火木金と週に三回ある。だが履修科目が武道である期間に限り、時間割が変わって週四日になるらしい。そのせいで月曜日の三限目、週の初っ端から憂鬱な時間が訪れてしまった。しかも体育の日が増えただけでなく、一時間から二時間に伸びるそうだ。
つまり今日の三限に続けて四限も体育の時間になるということ。
やれやれ、なんでそんな武道に力入れてるんだろうな。この学校は。
まぁ学校のカリキュラムで決まってるのだから文句を言っても仕方ない。
黙って従おう──なんていうとでも思ったかバカめ。
こんなものオールずる休みで通すに決まっている。もしくはサボりだ。それが俺が考えていた策である。
まあ、出席点がやばいかもしれないということと、毎度毎度休んでは呼び出しを受けるかもしれないというリスクはあるが、少なくとも前者は大丈夫だろう。
この武道の時間は男女で剣道と柔道に別れる。
切り替わるのは履修期間の半分が過ぎた時なので、出席点は柔道の方にさえ出ていれば稼げるはずだ。俺は今のところ皆勤だしな。
ちなみに幸いにも男子は最初が柔道である。なので後者に関してはあとで考えればいいだろう。
体操服に着替えたら、男子は柔道場のロッカーにある柔道着を着て待機。
待機中、男子のグループは大きく二つに分かれた。
俺たち高校一年生と中一の奴らだ。
彼らと合同でやるということで同じ場所に集合してるのだが、初対面ではやはり明確な距離がある。
まぁ、真司は例外だけどな。
「やあ、こんにちは! 今日からしばらくよろしくね」
さっそく単身で挨拶に乗り込んでるし。
「よ、よろしくお願いします……」
中学生たちはビクビクと恐縮していた。
無理もない。
中一といってもまだ体は小学生と変わらない。第二次成長期をとうに超え、しかも毎日の鍛錬でガチガチに鍛えた体の持ち主が寄ってくるのは、さぞ怖いだろう。
だが中には怯えるだけでなく、気まずそうに目を逸らす者も。
よく見ると、彼らはいつかしごかれていた体験生だった。
あの様子をみると、やはり入部はしなかったんだろう。
一ヶ所に固まって、チラチラと真司の顔を伺っている。
「あ、君たちは……」
そんな視線に気づいてしまったらしい。
おい真司、やめてやれ。そこは何も言わずにスルーするのが正解だと思うぞ。
「部活動体験にきてくれた子たちじゃないか! 久しぶりだね!」
まぁ、そんな空気が読めるやつじゃないか。
どんまい体験生。そいつに目をつけられるとしつこいぞ。
気の毒に思いながら、俺は頭の中で合掌を捧げた。
何分か経って、始業の鐘が鳴る。
すると体育教師から号令がかかり、整列。
剣道場と柔道場の境界線を中心に、男女で分かれて集まる。
さっきまで女子は剣道場の方で待機していた。
格好はもちろん、紺の道着に袴姿である。
だが防具はつけていない。
練習前に胴だけはつけておくことも多いようだが、そもそも道場内に防具が用意されている形跡もない。
もしかしたら防具の付け方から教えるのだろうか。
それとも、最初もしくは授業だからと防具無しでできる練習をするんだろうか。
まぁ、どっちでもいいか。
正面では涌井が武道とスポーツの違いはなんだと講釈を垂れている。
それに関しては、割と論争の種とされることが多い。
スポーツは娯楽で、武道は己を律するためにやるとか、スポーツは勝敗に重きを置くが、武道は内容を重視するとか。
とにかくスポーツと武道は差別化されているのだ。
ちなみに俺は、その二つの違いは格式へのこだわりと、金になるかの二つだと思っている。
武道は格式へのこだわりが強いものばかりだ。例えば剣道なら神棚への拝礼だったり試合前に特別な礼法があったりする。
対してスポーツは練習開始時にわざわざ何かに頭を下げたりしない。
金になるかどうかは、スポーツにはオリンピックやメジャーリーグなど明確に金の動く場がある。武道にはない。それだけだ。
体育教師が話し始めてから十分ほど経った。
話は移って、今は武道をやる理由や、それが俺たちにもたらす影響について喋っている。
いわく、心が強くなる。いわく、忍耐力がつく。いわく、根性がつく。
どれも意味一緒じゃね。それにそういうのって、武道に限らずスポーツでも身につくと思うんだが。
と、そんな感想はさておき。
黙って話を聞いていると、眠くなってくるな。
ここでひとつ、欠伸が湧き上がってきたので手で押さえると。
気のせいだろうか。
今、脇で控えていた武内に睨まれたような。
ちなみに彼は、意外にも中学校の方では体育ではなく、社会科の教師をやっているそうだ。
剣道の時間には授業の合間を縫ってきていると、本人が言っていたらしい。
ちなみに授業は教科書の朗読会のようで、ひどく退屈だったそうだ。
ここまで全て伝聞系なのは、無論他の人から聞いたからである。
「──というわけで、この四週間、各々鍛錬に励んでください」
四週間、月に換算すると約一ヶ月である。なんて憂鬱な一ヶ月だろう。
そのまま礼をして、このまま男女ごとに別れて始まるか。と、思いきや。
「すみません、ちょっといいですか?」
動き出そうとする俺たちの出鼻を挫いたのは、後方で腕を組んで黙っていた武内だった。
「はい、なんでしょう?」
涌井が尋ねると、武内は無言で正面を向いた。
そして威圧感のある声でいった。
「お前ら、弛んどらんか?」
……あれ、気のせいかな。なんか俺、見られてる気がするんだが。
「先程、涌井先生が武道は心が強くなると仰ってたな。あれは武道が礼節を重んじ、己を律する競技だからだ」
そういえば言ってたな。
「だからこういう話も、しっかり聞かねばならんのだ。人が話してる時にあくびを噛み殺すなど、言語道断だ。わかるな?」
全体に問いかけつつ、目は俺を見てる。
さっき睨まれたのは気のせいじゃなかったようだ。
「俺は体育の先生ではないが、お前らの甘ったるい根性を叩き直すつもりで臨む。心してかかるように」
力強く断言して、武内は下がった。
甘ったるい根性を叩き直す……ね。その前に死人が出ないといいんだけどな。
まったく恐ろしい限りだ。
なんて、サボり通すつもりの俺には関係ないんだけども。
宣言通り、武内の気合の入れようは凄まじかった。
柔道の授業は涌井と中川が担当ということもあり、受け身の取り方から一つ一つ丁寧に教えてくれたのだが。
剣道の方はすり足や構え方などをさっさと教えると、体で覚えろ。とすぐに素振りに移行した。
道場端に女子たちを長方形の辺をなぞるように並ばせ、十本振ったら三十秒休憩を一セットとして、それを何度も繰り返させている。
以前にも言ったことがあるが、竹刀は持つだけならともかく、振ると存外重い。
素人であればものの数本で腕が疲れてしまうこともあるのだが。
驚くべきことに、もうまもなく三限が終わる時間になっても、武内はまだ素振りを続けさせていた。
しかも。
「いちっ! にっ! さんっ!──」
「声が小さい! もっと腹から声を出さんか!」
声が小さくなると、怒号というオプション付きで。。
「しっ!! ごっ!! ろくっ!!」
発破をかけられ、聞こえてくる声が大きくなる。
しかし表情の方は苦悶の色に染まっていた。
特に中一の女子は、明らかに振りが追いついていない者が多い。
他の人が十まで数え終わった後に、遅れて「なな、はち──」と声が聞こえてくる。
……なんかこの光景、見たことあるんだが。
いや、やらされてるのが男子ではなく女子である分、もっと酷いかもしれない。
男女には御し難い差がある。
体の構造はもちろんだが、こと運動能力においても。
実際に体験したわけではないので断言はできないが、しんどさだったらきっと女の子の方が上なんじゃないだろうか。
ほら、疲れ果てて座り込んじゃった子もいるじゃん。
あーあ、根性が足らんとか言って怒鳴りつけてるし。手に持った竹刀をビターンって、怖がられてるよ武内先生。
もう一人の中学校の体育教師もなんか言ってやれよ。と思ったが、あまり強くいえなさそうな雰囲気なので口を出せないようだ。
「なぁ、相変わらずやり過ぎだろあれ」
一方、柔道サイドの方は五分早く休み時間に入ったので、真司の方に寄って文句を言ってみる。
こいつにいっても意味ないとは分かってるが、どうしてもあのやり方は気に食わない。
「まぁ、たしかにちょっと授業にしてはやり過ぎな気もするけど……根性がつくんだしいいんじゃないかな?」
で、こいつは妙に肯定的な部分があるし。
お前は剣道で洗脳されてるからそう思うかもしれんが、あれは異常だと気づけよ。
やがて休憩に入り、汗だくで肩で息をしているひななの元へ駆け寄ると。
「……もう……むり。クルくん……水とって……」
「お、おう。待ってろ」
言われるまま、隅に寄せられた水筒群の中から、彼女のものであるピンク色の水筒をとってやる。
それを渡すと、彼女は勢いよく飲んだ。
「おい、あんま飲みすぎると逆効果だぞ」
中身を全部飲み干しそうな勢いだったので、途中で止めてやる。
するとひななはぷはー、と大胆に息を吐いた。
「なんか酒呑みみたいだな」
「えへへ、ごめん」
気恥ずかしそうにひななは笑う。
水分を取ったからか、多少余裕が出てきたようだ。
「はー。これ筋肉痛ひどいんだろうなー。明日に残るのやだなあ」
二の腕を揉みながら嘆いた。
ひななの場合、旅館の仕事もある。
きっと彼女が心配しているのはそのことだろう。
「まあ、確実に残るだろうな」
「うひぇー」
「よかったらマッサージしてやろうか?」
「んー、今は汗だくだからいいー。でも後でお願いするかも」
話しながら周りの様子を伺ってみると、女子はみんな疲れ果てている様子だった。会話する元気もなく、中には体育座りでふさぎ込んでいるものもいる。
ただ、水原のように部活で鍛えている何人かは平気なようで、端に集まり、唇を尖らせて大声で何かを話し合っていた。
何かといっても「こんなのまじありえない」とか「こんな授業ひどすぎない?」といった言葉が節々で聞こえてくるので、間違いなく武内への悪口だろうけど。
まあ、あんな横暴けしかけられれば、不満の声が上がるのも当然か。しかも、体験生と違って自分から望んだのではなく、授業としてやらされているわけだし。
ちなみに割と大声で話しているが、それは武内が涌井に連れられて外へ出ていったからだ。
きっと人目につかないところで、「やり過ぎだ」と注意を受けているんだろうが、あの横暴顧問がそれだけで止まるだろうか。
「涌井先生。確かに辛いかもしれませんが、これが武道なのです」
とかいって聞き入れない気もするが。流石にそれはないか?
俺としては、出来ればやめてあげてほしい。男子には関係ないとはいえ、隣で知り合い達が酷使されているのを見るのは気分が悪いからな。
しかし、武内先生はそんな予想を悪い意味で裏切ってくれた。
何が起きたかというと。
「次、早素振り!」
まさかまさかの早素振りが追加されてしまった。
代わりに通常素振りと早素振りの休憩時間が一分に伸びたが、その程度で取り戻せるほど早素振りでかかる負荷は軽くない。
三限での疲れも相まって、みなほとんど形になっていない。
割と元気だったはずの水原も、ヘロヘロになるほどだった。
「素振りは剣道の基本だ! 根性みせてみろお前ら!」
だから、そういうのは根性でなんとかならないんだって。
「なあ、あれってさ。三年前もあんなだったの?」
投げ練習のローテーションで、ちょうど当たったペアに訊ねてみる。
「そうだよ。初日はあんな感じだった。二日目は面とか胴の練習も入るから、多少は楽になるんだけどな……てか、後半は俺らもあれ、やらされるんだよな……嫌だよな」
「そうだな」
俺の場合、少し意味合いが違うが、うなずいて共感しておく。
あんな精神論を唱えられながら竹刀を振るのは、確かに、あまりに苦痛だ。
「あれ、でもそういえば霞河って剣道やってたんだっけ。剣道部は厳しいって聞くけど、剣道って普通あんなキツい練習すんの?」
「……俺の通ってたところならするかもな。でも、始めからあんな無理させることはないと思う」
「まー。そりゃそうだよな……」
俺の通ってたところとなると、件の剣聖霞河総一が師範を務める道場──すなわち実家のことだが、あそこは入門してから一ヶ月は、素振りや筋トレによる体作りと、すり足のやり方や礼儀作法など、剣道の基礎といえる要素を叩き込まれる。
ただし最初の方は肉体トレーニングより構え方や作法の比率が大きい。時間が経つに連れ、徐々にその比が逆転していくのだ。
それは大人だろうが子供だろうと、仕上がりによって多少期間は変われども平等に行われる。
打ち込み稽古ができないのはつまらないとやめていく門下生も多かったが、うちは絶対に基礎の部分を削ることはなかった。その部分で学ぶことは剣道において、なくてはならないものだからだ。特に心構えは。
授業はどうせやめられないんだから、せっかくなら最初の一限くらいは座学で心構えを説いてもいいと思うんだけどな。
父だったら、そうするかもしれないな。
あの人は、人一倍礼儀にこだわる人だった。
あれは、俺が剣道の礼儀を軽視していることを明かしたときだったか。
『来人。剣道というのはな。竹刀で叩きあう競技ではあるが、決して人を傷つける競技ではないんだ。剣道は武道だ。だから堅苦しい礼儀作法や心構えについて厳しく説くんだ。それもわからんお前は──』
目をかっと見開いて、ひどく怒られたものだ。
思えば、父親に殴られたのはあの時が初めてだったかもしれない。
「来人、何を考え込んでいるんだ?」
「……真司?」
「もうローテーション回ってるよ。次は僕とだ」
ああ。もうペア交代か。
上の空でやっていたせいで気づかなかった。
「で、何をっ。考え込んでいたんだい?」
相手の袖を掴んで引き寄せて投げる、体落としという技を練習中、投げられながら真司が訊ねてくる。
「別に。大したことじゃねえよ。それよりお前、剣道部部長なんだから、あれ何とかしろって言ってこいよ」
真司を投げたら、今度はこっちが投げられる番だ。
受け身の準備をする。
「何とかって、なんだい?」
「だから。無闇やたらに素振りさせるより、もっと教えることがあるだろって」
「んー。僕もそう思うけど……先に身体を作って、礼儀作法はその後にやるっていうのが武内先生のやり方だからね」
先に身体を作る……ね。まるでスポーツみたいな考え方だな。
霞河総一選手なら、絶対そんなことは言わないぞ。
そういってやろうと思ったら。
「おい、手を止めるな!」
と、厳しい叱責の声が飛んでくる。
驚いて目を向けると。
「すいません……もう、むりです……」
うずくまって涙を流す島村さんと、彼女を般若の如き形相で見下ろす武内の姿があった。
あーあ。絶対脱落者は出ると思ってたけど、まさか泣かすとは。
「おい島村。本当にもう立てないのか? なあ?」
島村さんが涙を流したまま頷く。
立てないだろ。どう見ても。
「お前は高校生だろう。そんなふうにうずくまって、恥ずかしくないのか」
ひどい言い草だ。
そんなふうに島村さんを追い込んだのはお前のくせにな。
それに、仮に彼女が耐えたとしても、そのうち別の生徒が泣き出してたんじゃねえの。
ほら、あの中学生のちょっと背の低いポニーテールの女の子。肩で息をしてて、本当につらそうだぞ。
「あ……あの。浅葱は頑張ってましたけど」
そういって島村さんをかばうように立ったのは、水原だ。
「水原。俺は今、島村と話しているんだ。お前はどいてろ」
「どきません。浅葱は頑張ったのに、そんなふうにいうの良くないと思います」
気丈に反論を返す水原。
その表情は怒りに満ちていたが、よく見ると足が震えている。
怖いのは当然か。ただの女子高生が、岩みたいなガタイのおっさんに凄まれているんだから、これで怖がるな、という方が無理だ。
むしろ島村さんを庇うその勇気に拍手を送りたい。
「来人、動くな」
水原のそばに寄ろうとした俺を、真司が止める。
なんで、と聞くと、彼は横に目を向けた。
その先では、涌井が動き出していた。
そうか。せめて男がそばにいたほうが良いと思ったのだが、ここはただの生徒よりも、教師のほうが適任か。
そう納得して、足を止める。
だが、この場を意外な形で収めたのは、まさかの人物だった。
「……やってらんないわ」
柔道場の真ん中にいた俺の耳までしっかり届くほどの声量で、そいつは吐き捨てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます