第19話 武道の授業
母はやたらと心配していたが、俺の学校生活はそれなりに順調だと思う。
五月の末に実施された中間考査では、赤点を取ることなく、それどころか総合得点はクラスでも五位という輝かしい成績を残すことができた。
といっても、十六人しかいないクラスではたいした順位でもないのだが。
「ほわあ、クルくんすごいねー」
月をまたぎ六月初週の金曜日に返された個票を自席で確認していると、ひななが感心しながら覗き込んでくる。
「私は八位だったよー。数学がちょっと危なかったー」
たはは、と彼女は恥ずかしそうに笑った。
本人はそういうが、彼女は旅館のバイトでも並行してやってるんだから、十分誇っていい成績だと思う。
同じように部活に力を入れていた水原なんて、机で突っ伏してるし。
何位だったかなんて恐れ多くて聞けやしない。
しかしながら。
「来人、今回は僕の勝ちだね」
剣道バカの真司がクラス二位なのだから、俺の論は破綻してしまってるのだ。
「お前、勉強出来たんだな」
「勉強は学生の本分だからね。剣道に打ち込ませてもらっている以上、勉強を疎かにするわけにはいかないんだよ」
「ふーん、すげえな」
好きなことのために頑張る、か。
勝ち誇られるとイラっとするが、その真っ直ぐな姿勢には素直に感心できた。
悔しいけど、そういう真摯な部分は彼の美徳だと言わざるをえない。
「霞河くん、体育九二点なんだ。すごいね」
そう言ったのはひななでも真司でも、ましてや水原でもない。
この落ち着いた声は、島村さんのものだ。
島村さん、もとい
彼女とは、千五百メートル走のペア組みをきっかけに話すようになった。
いつも一緒にいるほど関わりがあるわけではないが、席が近いので何かと話すことは多い。
ひななや真司、水原と行動することが多い俺だが、彼らを除けば一番仲がいいのは島村さんだろう。もはや彼女を含めてイツメンといってもいいくらいに。
「ありがとう。でも体育だけ点数高いと、脳筋みたいで嫌なんだよなあ」
もしくは保険体育があったら変態みたいに思われそうだ。保険のペーパーテストは期末にしかないけども。
ちなみに体育の点数は普段の授業の様子から体育教師がつけているらしいので、採点基準などは不明である。
さらに蛇足だが、真司と俺はなぜか同じ点数だった。
「そ、そんなことないよ。運動できるの、カッコいいと思う。私は、全然ダメだから……」
苦笑しながら謙遜した俺を、島村さんはやんわりと否定してくれた。
褒めてくれるのは嬉しいけど、だからって卑下するのはいただけない。
「そんなことないでしょ。浅葱、美術の時とかすごいじゃん」
否定のカウンターを放ったのは、俺ではなくいつの間にか顔を上げていた水原だった。
「そんな……私なんて別に……」
島村さんが卑屈な調子で頭を振る。
もし本当に、彼女の言う通りなら俺も言葉に困っていたかもしれない。
だが、俺は彼女が非常に絵がうまいことを知っている。
それに、密かに勉強ができることも。
「そういえば、島村さんは何位だったの?」
俺は助け舟をだすつもりで質問を流した。
「私? 私は……三位だった」
「まじ? すげーじゃん」
「う、うん。勉強だけは、得意だから……」
島村さんが遠慮がちにうつむく。
基本自分を卑下しがちな島村さんだが、勉強には自信を持っているようだ。
「にしても、三位と二位がここに揃ってるのか。じゃあ、一位って誰なんだろうな?」
盛り下がった空気が少しはもとに戻ったことに安堵しつつ、さらっと話題を変える。
「ああ。それは多分──」
ふと疑問に思って尋ねてみると、真司は顎で示した。
俺の隣で突っ伏してる白いやつを。
「……まじで?」
一呼吸の間を置いて、俺は目を丸くした。
失礼な話、こいつはいつも授業中もつまんなそうにぼーっとしてるし、真司以上に部活にストイックなやつだから、一位を取るほど勉強に長けてるなんて微塵も思わなかったんだが。
「ああ。直接聞いたことはないし探ったわけでもないけど、いつも一位がいないから、多分そうなんじゃないかって言われてるよ」
「ほええ。すげえんだな」
俺が褒めた瞬間、隣のやつがピクッと動いた気もする。
この距離で聞こえてないわけないだろうが、別に悪口じゃないし構うまい。まあ、話題にされるだけで嫌っていうなら申し訳ない限りだけども。
「そういえば、来週から体育、武道だよね」
ふと、島村さんが嫌そうにいった。
……なに。武道、だと?
「あー、そういえばそうだね。懐かしいな」
思い出したようにひなながいった。
「武道?」
「あー、そっか。クルくんは知らないんだっけ。一学期の中間試験の後はね、七月まで体育が古中の一年生と合同で武道になるんだよ」
首をかしげる俺に、ひななが説明してくれる。
古中というのは、近隣にある古川中学校のことだろう。
だが待ってくれ。武道って一口に言っても色々種類があるんだぞ。
柔道とか合気道とか。警察官が履修している逮捕術だって武道だし、弓道だってその一部だ。
それに……剣道だって。
「武道って何やるんだ?」
嫌な予感がしつつも、聞いてみる。
すると、真司が満面の笑みを浮かべて答えてくれた。
「剣道と柔道だよ。男女別、途中で剣道と柔道が入れ替わるんだ」
まじ、ですか。
「でも……武道のときって、確か武内先生もくるんだよね。私、あの人苦手……」
「あー、そうだよね。あの人、すぐ怒鳴ったりするもんね。浅葱ちゃんもよく怒鳴られてたっけ?」
「うん……だから憂鬱」
島村さんが心底うんざりとした様子でため息を漏らした。
そうか……あの横暴顧問が担当になるのか。剣道部の練習を見ていたからわかるが、あんなに怒鳴られたら嫌がられるのも当然だろう。島村さんのような運動が好きじゃない人は特に。
「つーか真司、お前知ってたのか?」
「ふふ、どうだろうね」
「てめっ……」
なるほど、そういうことか。
どうせすぐ剣道の話をしなきゃいけなくなるから、部活動見学の時、俺の約束に乗っかってきたってことか。
そうだよな。剣道の話はできなくても授業の話なら出来るもんな。
まあ、真司が本当にそこまで姑息な計算をしてたかはわからんが。
もしそうなら残念だったな。俺にだって考えはある。なめるなよ、俺の剣道嫌いをな。
「剣道、楽しみだね。来人」
真司が意味深な笑みを浮かべて語りかけてくる。
「……だな」
俺は心底嫌だという空気を醸し出しながら、首肯した。
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