三章 また、やってしまった

第16話 本当は・・・

「あんたのことも嫌いよ」

そう言ってみたけど、実のところ、あたしは霞河のことを嫌っているわけではない。

そりゃまあ、初対面のときは秘密の場所を侵されてうざかったし、人間なのか、なんて聞かれたときはぶん殴ってやろうかと思った。

でも、あたしは生まれつきこんな体だったし、そんなふうに言われるのも、流石に慣れた。

いやまあ、それでも人間であることを疑われたのは初めてだったけど。大抵は外国人に間違われるばかりだ。

だからそれだけで嫌いって思ったり本気で怒ったりする時代は、もう通り過ぎていた。

ちなみに、百パーセント勢い任せの言い訳だったけど、あたしの容姿を綺麗って言ってくれたのは霞河で三人目だったりする。

一人目はお母さん。

二人目は部長。

まあ、だからって簡単に気を許したりはしないんだけど。

話がそれちゃったけど、そういうわけで、あたしの霞河に対する印象は無に近い。

じゃあ、なんで教室では無視してたのかって?

それはあれ。時と場所によるってやつ。

霞河が知ってるかはわからないけど、あたしとあのクラスには昔、結構な諍いがあった。

その諍いがあったときは、あたしもまだ幼くて、それにその時期は色々あって、人間不信っていうか鬱っていうか、ちょっと精神的に病んでいる時期でもあった。

だからクラスの男子のちょっかいに反応する気もなくて、普通に話しかけられても生返事ばかりで返していたと思う。

そんな中で若宮の「紅野さんだって好きでこんな体に生まれたわけじゃないんだ」って言葉には、とうとう堪忍袋の緒が切れちゃって。

「……当たり前でしょ。あたしだってこんなふうに生まれたくなんてなかったわよ!」

って、怒鳴りつけてしまった。

そうなったらもう事態は最悪。

担任の先生とかを巻き込んでクラス会議が始まったり、先生がクラスの人たち全員であたしに謝らせたりしたっけ。

そのあとすぐに夏休みに入っちゃって、気まずいまま学校生活が始まって、あたしに話しかけてくる人はほとんどいなくなった。

それで報復してやろうとか、もっといじめてやろうとか思う人はいなかったのは単純に運が良かったのかもしれない。

まあ、肌が真っ白だから少し興奮したりするだけで、すぐに体が真っ赤に染まるあたしの体質を揶揄して、『紅の梓』なんてふざけた仇名をつけたやつはいるし、今もひそかに言われてるみたいだけど。少なくとも陰口を叩くだけで実害を与えようとしてくる人はいなかった。

ちなみにそんな中で、若宮はすごい話しかけてきたけど、全部無視してた。

思えばあの時だったっけ。あまりにもしつこかったから。

「お願いだからあたしに構わないで」

って、あたしが直接文句をいったのは。

それでも若宮はまだあたしに構おうとしてたけど、それは朝比奈さんが止めてくれた。

「あんまりしつこくすると迷惑だよ」と。

朝比奈さんは、多分優しい人なんだろうなって思う。

あの人はクラスのちょっかいにも一切加担しなかったし、若宮とは違うやり方で、むしろあたしのことを気にかけていてくれた気もする。

けど、あたしは全部無視した。

だから怖がらせちゃったのかな。いつからかあの子もあたしに関わってこなくなった。

でも、そうしてできた孤独空間は居心地がよかった。

ちなみに、最初の方に言ったとおり、年を重ねるに連れ、容姿に関する話題にはかなり寛容になった。

だから、今はもうクラスの人達を嫌ったりはしていない。

それでも、今の立ち位置をあたしは気に入っている。

それを崩したくはないから、あたしは霞河を遠ざけようとした。

どうせ無視してれば、あいつも周りと同じようにあたしに関わってこなくなるはず。

けど、あいつはしつこく話しかけてくる。

あいつは若宮にしつこく勧誘されるのを嫌がってたみたいだけど、自分も似たようなことをしてたのは気づいてたのかしら。

しかし、あたしは別に霞河に苛ついていたわけではない。

むしろ、ある程度仲良くなった人にもバルコニーのことを言いふらしたりはしてないみたいだし、その誠実さと、こんな変わり者のあたしにほぼ一切偏見を持たず、普通の人と平等に扱ってくれる点には好感をもっていた。

後者に関しては弓道部の部長も同じだった。

あの人も常にテンションが高くて鬱陶しいけど、あたしに変な遠慮をしたりしない。

変に気遣うよりも多少からかってくれたほうが楽でいられる。無論、悪意がなければの話だけど。

ちなみに部長は、あたしがどれだけ遠ざけようとも遠ざけられなかった唯一の人間だったりする。

「もう関わらないでください」

って言っても、

「いいよ。あずさが弓道部やめるなら関わらない。でも、うちの部にいるなら楽しくやってほしいから、私は話しかけるよ」

と、返されてしまった。

まあ、部長はあんな調子だけど、あたしが的前に立ってるときは厄介な絡みとかしてこないし、TPOはわきまえてくれるから、あたしも諦めている。

それに弓道部はもともと人気がなくて、ずっとあたしと先輩の二人で続けてきたから、ある程度仲が深まるのは必然だった。

部長はあたしが精神的に病んでいた時期を克服するきっかけを与えてくれた人であり、もう一つの居場所を作ってくれた恩人でもある。

教室で誰とも関わらない生活をストレスなく続けられるのも、きっと弓道場で誰かとの関わりを保てているからなんだろうって、最近思うようになってきた。

弓道場はあたしにとって家とバルコニーに並ぶ聖域のような場所だった。

だから、また霞河が聖域を侵してきたときは、本気でイラッとした。

けど、そこまで追いかけてくる胆力はすごいと思ったし、どうせバルコニーの方もバレてるんだし別にいいかって思い直した。

もう一度言うけど、別にあたしは霞河のことは嫌いじゃなかった。

むしろ好感も抱いていた。

だから、あの時の言葉は最後の試練のつもりだった。

もしそれでも話しかけてくるようなら、教室でも少しだけ接し方を変えてやってもいいかと思っていた。

けど、あいつは土日を挟んだ週明けから、めっきりあたしに関わらなくなっていた。

月曜の朝、いつもの挨拶がなかっただけで悟った。

──そっか。霞河も結局みんなと同じだったんだなって。

かくしてあたしの、いつもどおりの日常が戻ってきたのだった。

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