第15話 何かあった?
それでも夜桜に戻る頃には、なんとか平常に近いところまでは気を持ち直せた。
「おかえり、来人くん。なんか面白い部活はあった?」
「ただいまです。んー、テニスは結構面白かったです。最初は全然打てなかったんですけど、多少当たるようなったら面白いなって思いました」
「そうね。あれは初心者には難しいわよねえ」
「結構汗かいたんで、風呂もらいますね」
「うん。いってらっしゃい」
真弓さんと雑談を交わし、風呂へと向かう。
浴槽に浸かりながら、俺はほっとした。
真弓さんと遭遇した時、内心肝が冷えた。
というのも、もし浮かない様子を悟られたら、弓道場でのことを話さざるを得なかったからだ。
実親から俺を預かってる以上、真弓さんはかなり気をかけてくれる。その分、あの人に隠し事はしづらい。
いっそ話してしまえば楽なんだろうが、勝手に一人で勘違いして、舞い上がって、挙げ句あてが外れて落ち込んでるなんて、そんな情けない心情は吐露したくない。
そう思っていたのだが。
ひななには見抜かれてしまった。
「クルくん、何かあったの?」
注文した野菜炒め定食を置きながら、尋ねられる。
シーズンも終わったということで、ひななは旅館業務から食堂へと移行したらしい。
なので最近は食堂で彼女を見かけることが多い。
「何もなかったよ」
と答えたのだが。
「うそだ。だってクルくん、ちょっと悲しそうな顔してるもん。ひょっとして、真ちゃんがまた何かした?」
さすがひなな。鋭い。
だが今は、一撃で彼女を遠ざける必殺ワードがあるんだ。
「いや、ちげえよ。それより、いつまでも突っ立ってていいのか?」
「あ……」
シーズンが終わったとはいえ、夜桜には食事処として地元客がごった返している。
特に今日は金曜日。
会社終わりのサラリーマンなどいつにもまして客足は遠い。
まだ納得行かなそうな顔をしていたが、彼女はしぶしぶ仕事に戻っていった。
また彼女に暇な時間ができないうちに、食事を終えてそそくさと部屋へ戻る。
そうしてその場を乗り切った俺だが。
日課のランニングと筋トレを終えて、寝ようと思ったが寝れず、ぼーっと縁側に座って月の出ていない空を眺めていると。
──コンコン。
不意に入り口をノックする音が聞こえてきた。
「まさかな……」
もう夜の十一時を超えている。
基本的に、二十一時に退勤する彼女が訪れるような時間ではないのだが。
そう思って、一回目は無視。
すると、今度は少し強めに入り口が叩かれる。
これも無視すると。
今度はスマホが震えた。
仕方なく出ると。
『もう。クルくん、明かり付いてるから、起きてるのはわかってるんだからね』
開口一番、そんなふうに怒られてしまった。
しまった。
最低限の視界確保のために、ルームライトをつけているのが仇になったか。
とはいえ、居留守がバレた以上突っぱねるわけにはいくまい。
俺は入り口を開け、ひななを招き入れた。
「どうしたんだ、こんな夜遅くに」
「どうしたって、用件はわかってるでしょ?」
少しムッとした様子でひななはいった。
そんな彼女の格好はクマのパジャマ姿だった。
よく見ると、髪も少ししっとりしている。
「風呂、入ったのか?」
聞くと、ひななはうなずいた。
「今入ってきたばかりだよ。私、今日はここに泊めてもらうから」
そう言われて、一瞬俺の心臓が跳ねる。
泊まるって、まさか俺の部屋か?
普通は恋人でもない男の部屋になんて泊まらない。
でも、普段の彼女のおおらかさなら、十分ありえると思った。
「え、泊まるのか?」
「うん。明日は朝からシフト入ってるし、空いてる部屋に泊めてもらうの」
さすがにそれはなかったようだ。
ホッとしたような、少し残念なような。
そんな俺の内心には気づかず、ひななは軽く中を見渡す。
そういえば、彼女は俺の部屋を掃除したことがあると言っていたが、布団を敷いたときの俺の部屋は見たことないんだよな。
だからなんだと言う話だが。
「ここ、座っていい?」
「ああ」
俺がうなずくと、ひななは布団の上に座った。
すると長い髪が揺れ、部屋にミルクのようなな匂いが広がった。
間違いなく風呂上がりのひななの香りなんだろうが、夜桜のシャンプーってこんな香りだったっけ。
そんなくだらないことを考えながら、俺は彼女の正面に、端に避けていた座布団を敷いて座った。
「で、クルくん。もう一度聞くけど、私がここに来た理由はわかってるよね」
パッチリした目を精一杯吊り上げて、ひななは問いかけてくる。
本人は凄んでるつもりなんだろうが、クマさんパジャマのせいですごくシュールに見えてしまう。
「さ、さあ……」
「もー、またしらを切って。クルくんさ、絶対学校で何かあったんでしょ」
むぅ、と唸りながら身を乗り出すひなな。
顔の距離ほんの数センチ。
柄にもなく、少し鼓動が早くなる。
「クルくん、本当に話したくなかったら言わなくていいけどさ。今日、何があったの?」
「……わかった、話すよ。話すから少し離れてくれ」
さっきからいい匂いがして落ち着かないんだ。
俺、汗臭くないよな。軽く筋トレはしたけど、そんな汗が出るほどはやってないし。
「あ、ごめん」
ひななは慌てて元の位置に戻る。
若干顔が赤いのは、向こうも少しは意識してるってことなんだろう。
「んっ。えっと、それで今日のことなんだけどな──」
微妙な空気を咳払いで払拭すると、俺は今日あった出来事を、ゆっくりと話し始めた。
渋りつつも、俺はなんだかんだで誰かに聞いて欲しかったらしい。
一度口を開けば、驚くほど言葉がスラスラと出てきた。
でも、その内容は支離滅裂なものだったと思う。
俺が紅野に話しかけてたのは嫌いと言われたことがなかったから。
でも弓道部を見に行った時は楽しくて、あいつも普通に会話してくれて。
俺が飯を忘れたから、あいつが自分の分をくれて。
でも、最後に嫌いって言われちまった。
相手に伝わりやすいように、とか一切考えていない。ただ思うがままに言葉を羅列しただけだ。
もっと要領よく話せよ、と自分に突っ込みたい。悪いな。人に相談するとか、慣れてなくて。
しかしひななは何も言わず、時々相槌を打ちながら、そんな俺の弱音を受け止めてくれる。
おかげでだいぶ話しやすかった。
「……そっか。確かにそれは辛いね」
ひななは悲しそうに目を伏せた。
「でも、ごめん。それ、私たちのせいだと思う」
続けて謝られる。
「え?」
「だから、多分私たちのせいでクルくんもそんな風に思われてるんだと思うの」
どういうことだ。
さっきの話で、俺は紅野がクラスのみんなのことを嫌いだと言っていたことは伏せた。
わざわざ不快にさせる必要はないと思ったからだ。
まぁ、ひなななら察しててもおかしくはないが……どうして断言できるのか。
「うん。やっぱりこれ、話しといた方がいいかな」
彼女はまだ何かを言おうとしていたので、黙って耳を傾けた。
「ちょっと長くなるかもだけど、いいかな?」
時計を気にするひなな。
もちろん、構わない。
俺は大きく頷いた。
「じゃ、話すね」
ひななが大きく息を吸う。
「えっとね。中一の時、梓ちゃんが転校してきたばかりの時の話なんだけど……」
ちょっと待て。
なんかいきなり新情報出てきたぞ。
「紅野が転校してきたって、どういうことだ?」
「あ。そういえばクルくんは知らないんだっけ。梓ちゃんは、中一の夏休み前に転校してきたんだよ」
初耳だ。
そうだったのか。
にしても、なんで夏休み前なんて微妙な時期になんで転校してきたんだ。
気になるが、ひなながすぐに次の話を始めてしまったので、聞けなかった。
「それで、あの時はみんな中学生になったばかりで、幼かったから……って、そんなの言い訳だよね」
途中で言葉を切って、ふるふると首を振るひなな。
その仕草だけで、彼女が何をいわんとしているのか、わかってしまった。
「一言でいうとね。イジメみたいなことがあったんだ」
いじめ……か。
俺の想像するいじめといえば、人気のないところに連れこんで殴ったりすることなんだが、それは大分誇張的な考えだろう。
おそらく真相は──
「最初はね、ただ珍しくて、肌真っ白だね。とか、外国人なの? って聞くだけだったんだけど、そういう質問に梓ちゃん全然答えてくれなかったから、みんなちょっかいかけるようになっていって……」
まぁ、そんなとこだろうな。
身内で固まってる空間にあんな突飛なやつが来たら、そうなるのも無理はないだろう。
「そのあとも色々あって、とうとう梓ちゃんに怒られちゃって、みんなちょっかいをかけるのは止めたんだけど……そのまま夏休みに入って、なんとなく梓ちゃんには話しかけちゃいけないみたいな雰囲気ができちゃったんだよね」
で、そんな関係がずるずると続いて今に至る、というわけか。
しかしそれだと解せないことが二つある。
ひとつはそういう行為に真司やひななが加担するとは思えない。むしろ真司は率先して止めにいきそうなものだが。それとも昔は違った性格だったんだろうか。
あと、そんな過去の話がどうしていま俺が嫌われてることに関係あるんだ?
気になって尋ねてみると。
なんと無視を貫いていた紅野を怒らせたのは真司であるとのことだった。
どういうことかというと、やはり見かねた真司は度々止めに入っていたそうだが、とある日の止め方が悪かったらしい。
執拗に「その肌って病気なの?」と聞く男子に対し、「やめようよ。紅野さんだって好きでみんなと違う肌になったわけじゃないんだから、気にしないであげようよ!」といったそうで。
そりゃ怒られるだろう。
あれ、でも部長が似たようなことを言った時は笑って流してたような……まぁ、それはいいか。
ちなみにひななは加担こそしなかったが、止める勇気もなくて傍観していたらしい。
彼女はそれを悔やんでいるようだったが、俺としては加担しなかっただけ偉いと思う。
けど、それが俺に対してどんな影響を及ぼしたのか。
その答えは。
「多分、梓ちゃんはそんな私たちと仲良くしてるクルくんが嫌なんじゃないかな……」
とのことらしい。
確かにそれは一理ある。
でも、そんなこと言われたら俺にはどうしようもないんだが。
俺は紅野のためにせっかく仲良く慣れたひななや水原、みんなとの関係を切りたくはないし。できればその逆だってしたくはない。
こういう時、どうすればいいんだろうな。
「それじゃ、私はもう寝るね。遅くにごめん」
会話が途切れると、ひななは自分の部屋に戻っていく。
俺は、どうして紅野に嫌われてしまったんだろう。
ひななが去ってからも、俺は悶々と考えた。
彼女は私たちのせいだと言っていたが、どうにも全てそのとおりだと言い切る気にはなれなかった。
まあ、確かにそういう理由もあるのかもしれない。
例えば炊きたての白米のおかずに嫌いなものが出てくれば、あるいは丼ものとして乗っけられてしまえば、白米すらも食べる気が失せるように。
なんとも思ってないやつが嫌いなやつとつるんでいれば、嫌いになるなんてことはあってもおかしくない。
それになにより、俺には自覚があった。
毎日しつこく声をかけるのは不快感を与えていたのではないかと。俺が真司の勧誘を不快に思ったように。
俺は──紅野に嫌われるような行動を取っていたんだって自覚が、あったんだ。
そうして俺は、週明けを境に紅野に話しかけることをやめた。
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